「未来が変わる思考術」chよりお伝えする「メンタルエイド」
様々なジャンルの楽曲や笑いのエンターテインメントなどをご紹介しながら新型コロナウイルス感染拡大のみならず、現世において様々な事共において抱えこんでしまっている悩みや不安に押し潰されそうなあなたの心と向き合い、癒し、笑顔に変えていくといった「メンタルケア特化型」企画です。
今回お送りするのは「It’s a SHOWTIME!」
楽曲紹介ではなく、様々なジャンルの(楽器)演奏やダンスなどにおいて素晴らしいパフォーマンスを繰り広げておられる方々に焦点を当て、その人となりと実際のパフォーマンスをご覧いただきながら、あなたの心を癒していただく内容になっています。
今回は「堅実とおちゃめが同居する悪魔が奏でる至高のサウンド」として
聖飢魔Ⅱをご紹介します。
プロフィール概要を見ながら、まずはルーツから迫っていきます。
聖飢魔II(せいきまつ、英語表記:SEIKIMA-II、SEIKIMA II、海外公演の際にはTHE END OF THE CENTURY)は、日本のヘヴィメタルバンド。
現在の主要メンバー
- デーモン小暮閣下
- エース清水長官
- ルーク篁Ⅲ世参謀
- ジェイル大橋代官
- ゼノン石川和尚
- ライデン湯沢殿下
デビュー当初は、バンドのコンセプトに沿った奇異な外見や独特のパフォーマンスや説法(いわゆるMC)で世間の話題を集めた。
赤色や金色に染めて逆立てたヘアスタイル・歌舞伎の隈取風の顔の模様(本魔たちによれば、それが素顔でありメイクではない)、文字通り悪魔的な世界観に則った歌詞、ヘヴィでラウドな演奏などである。
黒ミサでは、アメリカのロックバンド「KISS」ばりの火吹きや血吐き(血を模したものを口から吐き出す)、逆の血飲みも披露した。
同じソニー系列のレコード会社に所属していた米米CLUB、爆風スランプと合わせて
「ソニー三大色物バンド」と呼ばれていた時期もある。
引用元-Wikipedia
私が初めてメディアで見たのが高校時代の頃。
「素顔」と称されるメイクに度肝を抜かれ、率直に思ったのが「この顔を子どもが見たら、夜寝られなくなるなぁ…」
ヘヴィメタルというジャンルの音楽との出会いもこの頃で、周囲の友達はあまり馴染めない感じでしたが、かなり高い音楽性を持っているように思えた私は、以降閣下の創り出す音楽にハマっていきました。
「三大色物バンド」というのは正直頷ける部分が多いです。
あまり認知されていない部分が多くある中での「奇抜さ」ですから、そう思われても致し方ないように感じますよね…
そんな聖飢魔Ⅱの「ルーツ」を探っていきましょう。
1982年12月末、早稲田大学にて、ダミアン浜田地獄皇太子殿下を中心に結成された(当初のバンド名は、『は、は、は、は、浜田さんバンド』)。
引用元-Wikipedia
当時から「素顔」で活動していたのかは計り知れませんが、単に「バンド活動をしている楽器好きな人たち」ではなく、高い音楽性とクオリティーがあったと考えられます(バンド名は、ともかくとして…)
1985年9月に地球デビュー大教典『聖飢魔Ⅱ~悪魔が来りてヘヴィメタる』を発布(発売)。
売り上げは日本のヘヴィメタル史上初となる10万枚超えを記録した。
引用元-Wikipedia
この頃までに4度ほどメンバーの入れ替わりがあったようです(人間界でいう所の「人事異動」)が、現在の主たる構成メンバーは、この段階で確定したようです。
1986年4月、小教典『蠟人形の館』と、大教典『THE END OF THE CENTURY』を同時発布する。 『ザ・ベストテン』出演などで注目を集め、大教典はオリコンチャート5位を記録し、小教典は初登場17位ながら30万枚をこえる大ヒットとなり、売り上げ以上に一大ムーブメントとなる。
引用元-Wikipedia
度々出て来る「小教典」「大教典」とは「シングル」「アルバム」のこと。
全体を通して「悪魔の世界観」を醸し出す内容ではあっても、どことなく人間界の悲哀や刹那などを思わせる楽曲が多くあり、色物バンドとの言葉だけでは片づけられない魅力を感じさせます。
その後、どうなっていくのか。
続きを一緒に見ていきましょう。
1987年には小教典「EL・DO・RA・DO」を発布。この曲は最後の最後まで聖飢魔IIの大黒柱的楽曲として機能していた。11月に発布した大教典『BIG TIME CHANGES』では、ルーク参謀の加入によるバンドの変化が如実に現れていた。
エース長官とルーク参謀を中心に各構成員が作曲をするようになり、「ヘヴィメタル」とはジャンル分けし難い幅の広い音楽性を持つロックバンドとなっていった。
引用元-Wikipedia
この頃にまた「人事異動」があり、音楽性も少しずつ変化して、より一層人間の心に深く染み入るものとなっていきます。
再出発を果たした聖飢魔IIは、新規信者を獲得していくことを目指して、シンセサイザーを大胆に導入した小教典「STAINRESS NIGHT」を発布し、スマッシュヒットを記録する。
1988年、新しい大教典の製作に着手し、これに先駆けて発布された「WINNER!」は当時の自己最高の売り上げを記録した。
1989年8月に発布された小教典『白い奇蹟』は初のバラードで、大ヒットを記録する。 翌月発布された極悪集大成盤(いわゆるベストアルバム)『WORST』は、オリコン1位を記録した。これはヘヴィメタルを標榜するグループでは初めてである。
また、年末には『第40回NHK紅白歌合戦』にも出演した。
引用元-Wikipedia
ある意味「悪魔が日本を掌握した瞬間」ともいえるのではないでしょうか。
奇しくも時代は昭和から平成へと変わっていて「未来が変わる瞬間」でもあったように感じますよね。
続きが気になるところです。
一緒に見ていきましょう。
1991年以降、ニューヨーク、ロンドン、セルビア、スペインなど海外でのミサ(コンサート)活動を開始。
1995年には、アーティストとして(自称)日本初の公式ウェブサイトを立ち上げた。
1999年12月29日から31日の3日間、東京ベイNKホールにてラストライブである究極の黒ミサが開かれ、1999年12月31日23時59分59秒、聖飢魔IIは光の中へ姿を消しデビューから約14年4か月の歴史にピリオドを打った。
引用元-Wikipedia
実際のところは「1999年7月解散」ということだったようですが、彼らのマネージャーがそのことを忘れていたらしく、12月までスケジュールを入れていたこともあって「1999年12月31日解散」となったようです…
その後は、節目の年には1年限定での活動再開などを行っているようであり、2021年はデビュー35周年。今後の活躍と「限定ではない再結集」をファンの方々は願っているのではないでしょうか。
聖飢魔Ⅱのメンバーですが、悪魔界では高い地位を誇り、その功績を讃えられていますが、人間界においては「人間らしい一面」や「ちょっと笑えるエピソード」などが存在しているようです。
メンバーの写真と共に紹介しますので、一緒に見ていきましょう。
ルーク篁参謀のギターを始めたきっかけは「姉に無理矢理ギターを持たされて弾かされた」こと。
ギターを弾き始めた頃はフォークソングが好きな少年で、主に南こうせつとかぐや姫など楽曲をコピーしていたという。
エース清水長官のご両親は、有名なオペラ歌手。
ジェイル大橋代官の出身高校の5年後輩に、お笑い芸人の天野ひろゆき(キャイ~ン)がいる。
ゼノン和尚は以前、多摩美術大学に在籍していた。
写真や書道をたしなんでいる。
ライデン湯沢殿下は、豪快なドラムプレイとは裏腹に
大変几帳面で、自宅の部屋は整理整頓が行き届いている。
デーモン閣下のお父さんは銀行員。
塾の講師のアルバイトをやっていた頃、生徒から「ゴジラの鳴き声コンテスト」があることを教えられて応募したところ、ラジオ局から電話があり、優勝賞金10万円を東宝からもらったという。
見た目とは違って、本当に人間味溢れるものが多いですよね。
今回の「IT‘s a SHOWTIME!」は、聖飢魔Ⅱの歴史に残る数々の教典の中から「私がお勧めする5つの教典」を厳選してお聴きいただきます。
ご紹介するのは、どの曲も聖飢魔Ⅱを語る上では外せない楽曲ですので、ぜひともお聴きいただき、様々な側面からあなたの心を癒していただきたいと考えます。
「蠟人形の館」(総演奏時間 5:42)
「WINNER!」(総演奏時間 5:27)
「白い奇蹟」(LIVE総演奏時間 4:36)
「STAINRESS NIGHT」(総演奏時間 4:42)
「EL・DO・RA・DO」(LIVE総演奏時間 8:52)
「It’s a SHOWTIME!」では、今後も楽器演奏やダンスなどにおいて素晴らしいパフォーマンスを繰り広げる方々などをご紹介していきますので、どうぞお楽しみに!
それでは、また!
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