今回の「よもやま話」は
引退~記録よりも記憶に残る人への憧れ~
というお話です。
先日、プロ野球・埼玉西武ライオンズの松坂大輔投手が現役を引退されました。
引退会見において、家族への感謝を話された際の涙が印象的でしたね…
高校3年生の夏、全国高校野球選手権決勝でノーヒットノーランを記録。
「平成の怪物」と呼ばれ、日本球界のみならずMLB(アメリカメジャーリーグ)においても「日本人初のワールドシリーズ優勝経験投手」となるなど、輝かしい記録を遺されての引退。
2021年10月19日。
最後のマウンドで5球投げられましたが、ストライクは1球だけ。
かつて155㎞/hの速さと伸びがあったストレートは
118㎞/hという緩やかなストレートへと変わっていました…
23年間の現役生活。本当にお疲れさまでした。
どうぞこれからは、ゆっくりと身体を休めながら
後進の指導などに尽力してもらいたいと考えます。
記録よりも記憶に残る人。その本質は結果ではなく存在にあった
こういった場合によく言われるのが「記録に残る人」という言葉。
実績に裏打ちされたものとして「後世に名を遺す」といった感じでしょうか。
確かにこれまでにも多くのスポーツ選手やアーティスト、俳優やアイドル歌手などが引退されてはいますが、多くの場合は一時的な話題で終わってしまい、再び話題に上がったとしても、なかなか思い出せないものですよね…
こんなすごい人だったと、輝かしき栄光の軌跡を話したとしても
返ってくる言葉が「ふ~ん」や「へぇ~」ではなんとも侘しいもの…
そんな中、山口百恵さんや島田紳助さん、故人でいえば美空ひばりさんや志村けんさんなど、どの世代においてもすぐに思い出され、歌やギャグなどで会話が弾む。
この違いって何なのでしょうか?
私が思うに
後に並べた人たちは「記録」というよりも「記憶に残る人」になるのではないでしょうか。
「記憶に残る人」というと「レコードやCDの売り上げ枚数が多い」、「ホームランを世界一たくさん打っている」などといった感じで「記録に残る人」と同じように捉えがちですが、どうも意味合いが少し違うようです。
どう違うのか?
「結果」ではなく「存在」だと私は考えます。
身近な人を例に挙げると、初恋の人や恩師、学校時代の先輩後輩、子どもの頃にお世話になったおじさんやおばさん、大好きなアーティスト、勇気をくれたスポーツ選手といった人たちがこちらにあたるのではないでしょうか。
自分に近い存在であればあるほど、記憶に残る人になるのは当然のことですし
アーティストやスポーツ選手などにおいては「記録先行」になるのも当たり前ですが
それでも記録よりも記憶に残る人はいますよね。
では、どうなると「記録」よりも「記憶に残る人」になるのか?
その本質は、至ってシンプル。
「その人が大切な人との想いをどれだけ分かち合えたか」にあると私は考えます。
- 愛する人や大切な人への想い
- 夢や憧れの人などに対する感情
- 同じ世代や青春時代を過ごしたことへの喜び
- 多感な時期や苦悩の日々の中で支えられた歌声 など
それらが、これから進んでいく未来へ向けても変わらないとすれば
あなたにとってその人たちは記録ではなく、記憶に残る人
ということになるのではないでしょうか。
それは逆に、あなたのことを大切に想う人たちにとっても同じことがいえます。
心を通わせ、想いを分かち合う機会が多いほど、引退や別れが来た時に、あなたの想いの中で「さよならの悲しみ」よりも「出会ったことへの喜び」の方が大きくなるのではないでしょうか。
- 素敵な出会いをたくさんすること
- 出会えたことに喜びと感謝を忘れないこと
そのことが、これからの人生において、あなた自身を強くすると私は考えます。
そしてそれが、あなたのことを想い、支えてくれる人たちの心をも強くしていきます。
記録よりも記憶に残る人…
意識しなくても、そんな人になりたいものですよね。
もしかしたら、既にあなたも私も
誰かの記憶に残る人になっているかもしれません。
もちろん、良い意味での方だと信じたいですが… (^-^;
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