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【実話】人間にとって本当に必要なものは「権力」ではなく「人間力」

よもやま話
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今回の「よもやま話」は

人間にとって本当に必要なものは「権力」ではなく「人間力」というお話です。

先日立ち寄ったコンビニでのエピソードから始めていきますね。

朝食もそこそこに出て来たので何か少しお腹に入れておきたいのと、目覚めをスッキリとさせたくて、コーヒーとサンドウィッチを手に取り、レジへと向かうんですが、朝の時間ということもあってレジ前には行列が。

店員さん総出の様子でテキパキとレジをこなしてはいても、なかなか行列は解消されず…

その様子を見ていたお客さんの中には財布をしまって電子マネーに切り替える人や現金でレジを済ませて小走りに出ていく人などもあって、何とかレジ前が空き始めた頃に私の順番に。

「お待たせして申し訳ございませんでした」

何度もお辞儀をされたことを恐縮に思ったので、私は店員さんにこう伝えました。

「忙しい中、お気遣いありがとうございました」

お店を出て時計を見ると、まだ少し時間に余裕があったので、車内でコーヒーとサンドウィッチを食べている時にふとある事件のことを思い出しました。

コチラになります。

エラー

記事をごらんいただけましたか?

それぞれの立場からの視点で意見が分かれると思います。

あなたもそれぞれの立場に立って考えてみてください。

まず、店員さん側の立場に立てば

  • 『釣銭の渡し方ぐらいで目くじら立てなくてもいいのでは?』
  • 『何かにつけてクレーム言う年寄りって多いから災難だったね』
  • 『朝の忙しいときに、いちいち細かいことを言われたら、そりゃそうなるわな』

次に、被害に遭われた方の側に立てば

  • 『いくら何でもやりすぎだ』
  • 『どんな状況であっても丁寧に対応するのが当然だろう』
  • 『客なんだから、気持ちよく買い物したい。ケガさせられちゃたまらない』

などの意見が出て来るのではないでしょうか?

今、双方の立場で考えてもらいましたけど、これはあくまでも「結果論」。

事の本質が判れば、これは事件や事故にはならなかったですよね。

でも、起こってしまった。

どうして?

察しがいい方にはもうお判りだと思います。

お互いに感謝と思いやりの気持ちがなかった

これが主たる要因です。​


店員さんからすれば「お客様」「年配の方」ですから、丁寧には対応しようと考えていたはずです。

しかし時間帯からすれば「朝のラッシュ」。多くのお客様がレジ前で並んでいたと推測されます。

当然ながら、テキパキと会計をこなして行かないといけない。

そこへ持って来て「釣銭の渡し方がなってない!」などと言われたら…

それとは逆に、被害に遭われた方からすれば「店員さん」「自分より歳が下」ですから、丁寧に対応されて当然って考え方でいたのではないでしょうか?

朝一番ですし、必要になったものを買いに来たのかもしれません。

一日の始まりに、気分の悪い思いはしたくない。

さっさと済ませたいけど、レジ前が混雑してイライラ。

そこへ持って来て釣銭をセカセカと渡された。となったら…

そもそも論にはなりますけど

歳が上だからと言う理由だけで、なんでもかんでも敬えばいいってもんじゃない

とは、私の見解です。

今回の場合、もちろん「重体になるまでのケガを負わせたこと」については許されるものではありません。当たり前です。

​ただ、そこまでエキセントリックになって行動してしまうってどうなんでしょうか?

被害に遭われた方について「店側の状況をしっかり見ていたのか?」と言う部分はあります。

『朝早くから、忙しそうにして大変だなぁ』

『釣銭少なくした方が、電子マネーとかにすればスムーズになるかなぁ』

と言った気持ちが少しでもあれば、店員さんへの言葉かけは「釣銭の渡し方がなってない!」ではなく「忙しいのにありがとう」ではないでしょうか。​

反対に、店員さんについて「お客様の状況をしっかりと見ていたのか?」と言う部分はあります。

慌ただしい中ではあっても、一人一人の様子を見ておく必要はあると考えます(これは防犯の意味合いもあります)

朝のラッシュ時ですから、当然お客様から見ると『スッと会計を済ませて、早く出たい』思いが強いと考えられます。

『待たせてしまって申し訳ない』

『それでも買ってくださろうとしている。ありがたい』

と言った気持ちが少しでもあれば、この方への言葉かけは「お待たせして申し訳ありませんでした。ありがとうございました」ではないでしょうか。

(もちろん、それだけ考えることが出来れば釣銭の渡し方も丁寧になるはずです)


縦社会で考えれば、昔からの通例として道理が通るのかもしれませんけど、今はもうそんな時代ではありません。

考え方からすれば、縦並びではなく横並びの社会。

そんな社会の中であっても、ほんの少し年齢が上なだけで「敬われて当たり前」と考えたり、人間として必要とされるものは「お金」「権威」「地位」「名誉」などといった「権力」だと信じて疑わず、利己主義の塊のように踏ん反り返っている方も中にはいます。

「ほんの少し年齢が上」のことについては、先程お伝えした「なんでもかんでも敬えばいいってもんじゃない」になるんですが、人間として必要とされるものは「権力」と考えている方へ。

この際ですからはっきりといっておきます。

権力などというものは、いざという時には何の役にも立ちません

なぜなら、掲げられたもの「お金」「権威」「地位」「名誉」

これらはすべて「道具」でしかないから。

いくら道具が良くても、使う人が無茶をすれば破綻します。

いい気になっていても梯子を外されてしまいますし、胡坐をかいていたらひっくり返されるのがオチです。

本当の意味で必要なものとは「人間としての成熟度【人間力】を上げること」以外にはないです。

  • 誰かが誰かを気にかけているやさしさやぬくもり
  • 気にかけられていることへの感謝と喜び
  • 支え合い、労り合うこと

このことがしっかりと行えて、次世代への「確かな背中」として見せられる方

そういう方が増えて行く社会であってほしいですし、そうならなければいけない。

私は、そう考えます。

さて、コーヒーもサンドウィッチも食べ終わりました。

今日も1日、素敵な出会いがあることを願って、フル回転しましょうか!

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