【メンタルエイド】BRAND-NEW MUSIC DAYS
今回あなたの心に届けたい楽曲は
中島みゆき さんの 銀の龍の背に乗って です。
歌詞の意味を考察し
この歌が伝えたい想いの本質をあなたに届けます。
「人が生きる上で本当に必要なものは何なのか」を教えてくれる歌
ジャケット写真:左側が2003年当時のもの、右側が2022年のもの。画像引用元-Amazon
山田貴俊さん原作の漫画をCXがドラマ化。2003年に初めて放送されて以降、数回に亘って続編が放送され、2022年12月、ついに映画化されることとなった吉岡秀隆さん、柴咲コウさん主演の話題作「Dr.コトー診療所」の主題歌であるこの曲。
ドラマ(2003年版)の概要・あらすじは、コチラ。
東京の大学病院で外科医をしていた五島健助(吉岡秀隆)が、長年に亘って診療所に常駐してくれる医師を探し続けている志木那村役場の民生課長・星野正一からの要請で本土(沖縄本島)から6時間かかる志木那島へ。 星野の娘で看護師の彩佳(柴咲コウ)や役場の職員で診療所事務長の和田をスタッフとして診療を開始するが、それまでの経緯から島の医師を信用しない島民らは全く診療所に寄りつかない。 最初の患者となった島の少年から感謝のしるしとして贈られた診療所の旗に「ドクターコトー診療所」と記されていたため、以来五島は島民から「コトー」と呼ばれることになる。 コトーの医師としての技量の確かさと誠実な人柄がしだいに島民らに受け入れられていく。 引用元-Wikipedia
映画「Dr.コトー診療所」の概要・あらすじは、コチラ。
自然豊かな離島の志木那島に医師の五島健助がやってきてから19年が経つ。
島民の命を預かる彼は長い年月をかけ島民と親しくなり、
数年前看護師の彩佳と結婚し、間もなく父親になろうとしていた。
しかし、過疎高齢化が進む島の診療所に閉鎖の話が持ち上がる。
引用元-映画ナタリー
人の世の憂いを感じさせるメロディーラインはサビの前に転調し、厚い雲間から射し込む陽の光と青空をイメージさせるものへと変化。最後には晴れ渡る空と青く澄んだ海、明るく照らす太陽から未来への希望を感じさせます。
楽曲が生む出す壮大なスケールは、ある意味において
人が生きていく上で本当に必要なものは何なのかを教えてくれる
筆者はこの歌を聴いて、そう感じました。
歌詞の意味を考察!「病は人なり、医もまた人なり、人と人なり」の真意
さて、歌詞考察に入ります。
「人間とは何か」、「医療とは何か」、「銀の龍とは何か」なども含めて注目度がいっぱいある歌詞を、1番の歌詞から一緒に見ていきましょう。
あの蒼ざめた海の彼方で
今まさに誰かが傷んでいる
まだ飛べない雛たちみたいに
僕はこの非力を嘆いている
引用元-lyric.jp
青いではなく「蒼い」であり、蒼ざめているとしているのは、これまで着任した医師が長続きせずに何度も代わり、健康への不安が海の色さえも変化させている島や人々の心の様子が窺えます。
そんな中、孤島の診療所で病に苦しむ人々の心と向き合い、一緒に立ち向かおうとたった一人で島に渡るコト-先生の複雑な心境が見て取れます。
急げ悲しみ 翼に変われ
急げ傷跡 羅針盤になれ
まだ飛べない雛たちみたいに
僕はこの非力を嘆いている
引用元-lyric.jp
羅針盤という言葉が登場しました。
羅針盤とは、飛行機や船の現在の方位や進路を測る装置のことで「方位磁針」とも呼ばれていますが、この歌詞の中においては「今、目の前にいる人の心身状態を把握し、抱える病と立ち向かう方法を示す言動」と考えると意味は通じます。
僕にできることは限られているのかもしれないけれど、少しでも抱える不安や悲しみを取り除き、笑顔と元気を翼にして不安なく生きてもらえたら…
しかしながら今はまだ… 僕に何ができるのかなんて分からない。
こんな感じになるでしょう。
続いて、Bメロからサビの部分を見ていきましょう
夢が迎えに来てくれるまで
震えて待ってるだけだった昨日
明日 僕は龍の足元へ
崖を登り呼ぶよ
「さあ、行こうぜ」
引用元-lyric.jp
ここでいう「夢」とは「自分たちの抱える病や問題について親身になって聴いてくれる人」を意味していて、これまで散々裏切られ続けて来た島の人々の「本心」のように筆者は感じます。
その想いをしっかりと受け止め
誠心誠意、笑顔と勇気を届けるコトー先生の姿が
この歌詞に描かれているのではないでしょうか。
そして最後のフレーズ「さぁ、行こうぜ」は後半にも登場しますが
1番と2番では意味合いが違います。
どう違うのかは後でお伝えするとして、このままサビの部分の考察へ。
銀の龍の背に乗って
届けに行こう 命の砂漠へ
銀の龍の背に乗って
運んで行こう 雨雲の渦を
引用元-lyric.jp
銀の龍が登場しました。
龍は「命の水の化身」、「水を司る神」であるとされ、共に「水においての守り神」ではありますが、表される色によってそのニュアンスは少しずつ違っているようです。
ここで登場するのは「銀の龍」。
中島みゆきさんによると、銀の龍としたのには3つの理由があるとのこと。
- ・医療用の手術メスの色
- ・船が進んだ後に立つ白波をイメージ
- ・金の龍との対比(小さくて弱々しい龍)
どれもみな「う~ん」と頷くものではありますが、銀には「抗菌作用」があり「澱んだものを浄化する力がある」と考えた場合、この歌詞に登場する「銀の龍」とは「悲しみや苦しみを抱え込み過ぎて涙すら枯れ果ててしまった人々の心をたくさんの「命の水」という名の愛を以て潤わせる存在」ではないかと筆者は考えます。
したがって、サビの部分で表されているのは、島の人々の命と向き合いながら懸命に闘うコト-先生の「本心」であり、その存在こそが「銀の龍」だと筆者は考えます。
絶望に打ちひしがれ泣くこともできずに震え慄いている人、先の見えない不安に苛まれ動けないでいる人、裏切られ続けた挙句に他人を信じられなくなっている人などの心の中はどうしようもなく渇ききった砂漠のよう… そんな人たちの心の奥深くにまで、僕の本心を届けたい。
あなたと一緒に生きたい…
僕ができるすべてのことを、人々が今まで流した涙以上の「命の水」に変えて
渇いた心に潤いとやすらぎ、そして笑顔を届けたい…
そんな心情が窺えますよね。
引き続き、2番の歌詞を一緒に見ていきましょう。
失うものさえ失ってなお
人はまだ誰かの指にすがる
柔らかな皮膚しかない理由は
人が人の傷みを聴くためだ
引用元-lyric.jp
強固ではなく柔らかな皮膚。柔軟であればあるほど表面の熱や内部の異変に気づきやすいもの。
傷みを「診る」ではなく「聴く」としているのは、単に「病気を診察する」のではなく「傷みに苦しむ人の心に問いかけている」と考えるといいでしょう。
わたボコリみたいな翼でも
木の芽みたいな頼りない爪でも
明日 僕は龍の足元へ
崖を登り呼ぶよ
「さあ、行こうぜ」
引用元-lyric.jp
わたボコリみたいな翼、木の芽みたいな頼りない爪
銀の龍の弱々しい部分から、コトー先生が投影されますよね。
そして登場する「さあ、行こうぜ」
この部分は1番のものと意味合いが違うとお伝えしていましたが
ここまでご覧になってお判りでしょうか?
同じ意味のように捉えてしまいそうですが
1番は、コトー先生からの言葉であり
2番は、先生を愛し信頼を寄せる人々からの言葉として考えると如何でしょう?
解説すると、1番には長きに亘り定着しなかった孤島の診療所に医師として着任したコトー先生が「僕が来たから大丈夫です。絶対に見捨てたりはしません」との想いから発せられた「さぁ(一緒に)生きましょう」との意味合いが。
2番には人々の命だけではなく心の奥にも向き合いながら懸命に闘うコト-先生の姿に心を打たれ「先生。俺たちにもできることがあったら何でもやるから」との想いから発せられた「さぁ(一緒に)闘いましょう」との意味合いが込められていると考えれば、この楽曲全体が伝えたい想いの本質が見えてくると筆者は考えます。
銀の龍の背に乗って
届けに行こう 命の砂漠へ
銀の龍の背に乗って
運んで行こう 雨雲の渦を
引用元-lyric.jp
2番のサビは1番と同じですが、考察内容ではこうなります。
コトー先生の想いを、島の隅々にまで届けようじゃないか。
これほどまでに私たちと向き合ってくれる人が今までいただろうか?
先生のおかげで満たされ、溢れてしまう程の「命の水」と「潤い」を
一人でも多くの人たちに力を合わせて運んでいこう!
こんな感じになるでしょう。
そして、この「さあ、行こうぜ」が持つ2つの意味合いが
この歌が伝えたい想いの本質へとつながっていきます。
人は病に伏してしまうと、身体だけではなく心まで沈んでしまいますよね…
「病は気から」といいますが言い得て妙であり、先の見えない不安に押し潰されそうになることがあるでしょうけれど、自らが抱えてしまった病を本当に治すことができるのは自分自身であり、医師や看護師ではありません(もちろん処方薬でもありません)
では、その原動力になるものとは何なのか?
「病は人なり、医もまた人なり、人と人なり」との言葉にその力はあると筆者は考えます。
私たちが病気を患ったりケガをしてしまうと、その状態を診て治療をしていくのは医者と看護師ですが、ただ単に病気とケガだけに着目してしまうと「病気やケガは医者が治すもの」といった「誤解」が生じ、その繰り返しが「病の本質」を見えなくしてしまいます…
確かに医師や看護師は、病気やケガのことに詳しい「専門職」ではありますが、元を糺せば「一人の人間」であり、あってはならないですが「判断ミス」もします。病気やケガに見舞われた人も「一人の人間」であり、普段の生活の中で気づかないうちに積み重なった「判断ミス」から、病気やケガを抱えてしまうことになったと考えると、結果として「誰が病を治すのか」の答えは明白でしょう。
人と人との関係性であり
お互いへの信頼や愛が病を治すことにつながるのではないでしょうか。
どんなことがあっても、あなたの命を護る。
どんなことがあっても、私の命を護ってくれる。
そのために、想いを一つにして一緒に立ち向かう。
6分18秒からなる熱い想いが、この歌が伝えたい本質
「病は人なり、医もまた人なり、人と人なり」を
真意として表されていると筆者が考えるのは、ここにあるのです。
まとめ
今回は
中島みゆき さんの 銀の龍の背に乗って
歌詞の意味を考察し、この歌が伝えたい想いの本質をお届けしました。
BRAND-NEW MUSIC DAYSでは
この他にもたくさんの楽曲をご紹介していますので
そちらの方もどうぞご覧くださいね。
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