【メンタルエイド】BRAND-NEW MUSIC DAYS
今回、あなたの心に届けたい楽曲は
KingGnu の 三文小説 です。
歌詞の意味を考察し、この歌が伝えたい現世につながる想いの本質をあなたに届けます。
1本の映画を観ているようなドラマティックなメロディ
2020年に発表されたこの曲は、日本テレビ系ドラマ「35歳の少女」の主題歌。
あらすじを簡単にまとめると…
不慮の事故で長い眠りについた10歳の少女が
25年の時を経て目覚め
全てが変わった世界を生きていく成長物語。
少女が眠り続けていた25年の歳月。
その間に時代は、社会は凄まじい速度で変貌を遂げ
家族や最愛の人の心まで変えてしまっていた…
歪んで止まった人生の時計の針を何とか動かそうと
懸命にもがき苦しみ、悲しみと絶望に打ちひしがれながらも
前を向き、自らの夢に向かって歩き続けていく…
まるで1本の映画を観ているようなドラマティックなメロディが
「人間とは何か」、「人生とは何なのか」を語りかけているように感じ
曲が終わった後の余韻がまた、自らの人生を回顧するきっかけを作ってくれる深みのある楽曲です。
歌詞の意味を考察!35歳の「少女」に10歳の少女が語りかける人生の歩き方
さて、歌詞考察に入ります。
35歳の「少女」に10歳の少女が語りかける人生の歩き方とはどんなものなのか?
それがこの歌が伝えたい想いの本質に、どのようにつながっていくのか?
一緒に見ていきましょう。
この世界の誰もが君を忘れ去っても
随分老けたねって今日も隣で笑うから怯えなくて良いんだよ
「三文小説」作詞・作曲/常田大希
そのままの君で良いんだよ
増えた皺の数を隣で数えながら
誰かが誰かに語りかけている様子が見て取れます。その人物とは誰なのか?
ドラマの内容から推測すると、少女自身ということになります。
具体的には35歳になった現在の「少女」に10歳の少女が語りかけているということです。
不慮の事故から意識を失い
長い歳月を経て目覚めた彼女の目の前に広がる社会は
明るい未来や希望など持てないような歪んだもの…
肉体と精神とのギャップに戸惑い
自分がこれからどう生きていくのか分からない不安や苦しみを
たくさんの夢を抱いていた頃の少女がそっと側に来て
押し潰されそうになる心を優しく抱き「大丈夫だよ」と伝えているイメージです。
僕らの人生が 三文小説だとしても
投げ売る気は無いね何度でも書き直すよ誰もが愛任せ
「三文小説」作詞・作曲/常田大希
いつまでも彷徨う定め
この小説(はなし)の果てのその先を書き足すよ
「三文」とは今の貨幣でいうと約30円。「小説」とは「これまでの人生」と考えられます。
他人から見れば私の人生など30円程にしかならないものであったとしても
30円もの価値がある人生だと考えれば、自信を持って歩いていける。
これまでの人生は「運命」ではなく「定め」であり
誰かが自分に都合の良いように作り上げた「常識」という名のルール。
自分の人生は自分だけのものなのだから
いくらでも書き換えられるし書き加えることだってできるのだ。
何もかも依存する社会や周りの言葉にばかり流されて生きている人たちはみな
ぬるま湯やお手盛りの中で慢心に支配され、偽りの人生を書き記すのみ…
この部分の歌詞のウラを読むと、こんな感じになるでしょう。
Bメロの部分では、人生の歩き方を私たちに伝えています。
真実と向き合うためには
「三文小説」作詞・作曲/常田大希
一人にならなきゃいけない時がある
過ちだと分かっていても尚
描き続けたい物語があるよ
自分の立ち位置が今何処にあって、どっちの方を向いているのか。
それを確かめるためには、今の自分の気持ちと向き合う必要がある。
過ちに怯え、立ちすくんでいることこそが未来を閉ざしてしまう…
直向きに自分を信じて、夢に描いた未来予想図を完成させよう。
こんな感じになるでしょう。
そして、サビへとつながっていきます。
あゝ
駄文ばかりの脚本と
三文芝居にいつ迄も
付き合っていたいのさあゝ
「三文小説」作詞・作曲/常田大希
君の不器用な
表情や言葉一つで
救われる僕がいるから
「くだらない夢」、「子どもじみた思考や言動」などと嘲笑する人たちは
どんな世の中であっても存在するけれど、そんな人たちはどうでもいい。
あなたにしか持ち合わせていない「純粋さ」、「あどけなさ」が
周りの人たちの癒しとなり、勇気となり、救いになっていることだってあるのだ。
だから悲しんだり卑下することなど何もない。
ありのままに未来を歩いて生きなさい…
そんな想いを筆者は感じます。
この想いは2番の歌詞やブリッジ部分を経て大サビまでつながっていて
楽曲全体を通して「人生の歩き方」を私たちに教えてくれています。
たとえ時代がどうであれ、社会がどうであれ
自分のこれまでの歩みを全否定することなど誰にもできないこと。
誰にとっても一度きりの人生であれば
その価値をどのように見出すかは自分次第ということになります。
だったら、自分の生き方や人生の歩き方を他人と比べる必要などないのでは?
このことが、この歌が伝えたい想いの本質
誰もがみな、価値ある人生 へとつながっていくと筆者は考えます。
最後の章「総合考察」で、その真意をお伝えします。
どうぞ続きをご覧ください。
総合考察:「誰もがみな、価値ある人生」の真意
日本の四字熟語の中に「二束三文」なるものがあります。
画像引用元-ちびむすドリル、PhotoAC
草履の値段から来ているもので、今の言葉でいえば
「安っぽい」、「取るに足らない」、「質の悪い」といった感じになるでしょうか。
このことを踏まえると、楽曲のタイトルである「三文小説」のような人生は価値のない人生と捉えてしまいがちですが、筆者の見解は「紆余曲折はあっても、どの人の人生も素晴らしいもの」です。
「勝ち組」、「負け組」などといって人生を自分のファクターで分別する人もいますが
おそらくそれは「生産性」でしかその価値を計れないからでしょう。
こういった人へ、筆者はここではっきりと言っておきます。
生産性だけで人生の価値を計ることはナンセンスです。
(そうでしか計らない、計れない人間の方が二束三文の価値しかありません)
どうしてそう言えるのか?
少し例を挙げてお伝えしましょう。
社会に出てから、こんなことを言われた経験はありませんか?
- ①「経験もない若造にものを言う資格はない。黙って言うことを聞け。それが社会のルールだ!」
- ②「いい歳して、こんなことも知らないのか?学校で何を教わってきたんだ!」
- ③「みんなノルマを達成しているのにお前は何だ?遊んでるんじゃないか?もっと真剣にやれ!」
経験がある人が多いでしょう。
こんなことを言われて、あなたはどんな思いになりましたか?
誰だって「自分はダメな人間だ」と思ってしまうでしょうね…
従順であり、敷かれたレールの上を走り、彼らが正しいとする常識下で生み出された「目に見える結果」だけで人のすべてを評価する社会を生き抜くために躍起になるのは理解できますが、だからといって「自分はダメな人間だ」とまで思い詰めさせられる筋合いなどありません。
「1人1人が一律に同じことを学び、社会へ出て会社や上司に指示された労働に励み、物を買って税金を払って」を繰り返すことを「経済を回す」とするならば、社会が求めるのは人ではなく「歯車」です。そんな社会をあなたは望みますか?
どんな人間であれ「歯車として生まれてきた人」などいませんし
育まれてきた環境は「歯車になるため」ではないはず。
であれば、人生の価値とは何なのかは明白。
人間性に他なりません。
②を挙げてお伝えすると、学校で何を学んでいるのかと問われたら「教科書と体育」以外はなく、
学校で教わることの中で社会に出て役に立つものなんて、ほとんどありません。
社会に出てから教わることで、人生において役に立つものの方がまだあります。
それは何故なのか?
学校で学ぶのは「学問としての知識」、「右へ倣えの道徳」であり
「生きるための知恵」、「個性を育む道徳」ではないからです。
子どもの頃はある意味純粋ですから
どんなことでも言われた通りにしておけばそれで済んでしまう訳であり
それを誰も咎める人はいない。
その弊害が社会に出てから生じているだけでしかないのです。
だから決して「自分はダメな人間だ…」などと思わなくてもいい。
あなた自身をありのままに表現すればいいのです。
あなたが生まれ、育ってきた社会環境の中には
多くの人たちの愛やぬくもりがあったはず。
あなたが見たもの、聞いたもの、触れたもの、感じたことのすべてが
「今のあなた」になっていると考えた時
それこそが「あなたにとって価値ある人生となっている」のだと筆者は考えます。
人生の価値は人間性で計るものであり生産性ではない
1億2000万通りある人生の歩み、そのどれもが「価値ある人生」
これが、この歌が伝えたい想いの本質
誰もがみな、価値ある人生の真意です。
まとめ
今回は
KingGnu の 三文小説 について
歌詞の意味を考察し、この歌が伝えたい想いの本質をお届けしました。
BRAND-NEW MUSIC DAYSでは
この他にもたくさんの楽曲をご紹介していますので
そちらの方もどうぞご覧くださいね。
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