
第2話:笑顔の裏の真実

施設開設前日の平成9年10月31日。
配属の発表があり、祐二は「一般棟」、智子は「専門棟」に配属となった。
開設されると別々の棟での介護従事となるため、なかなか顔を合わせる機会もなく、時折昼食の際に「顔を見る」程度で、2人は高齢者自立支援に向けて忙しい毎日を過ごしていた。

年が明けて、平成10年1月のある日のこと。
「話があるので、相談員室まで来てくれないか?」と野村相談員からの呼び出しがあり、祐二は3階の一般棟を離れ、1階にある相談員室へ。


失礼します

どうぞ!開いてるよ
部屋に入ると、そこには山谷婦長の姿もあった。

婦長さんもいらっしゃったんですか?私は席を外した方が…

いえいえ。いいのよ。一緒で大丈夫だから
そう言われたら仕方ない…祐二はドアに近い席に座った。
座るや否や山谷婦長が祐二に話し始めた。

武田さん、いつも入所者様への介護や細やかな心配り、本当によくやってくれてますね。ありがとう。

いえいえ…まだまだ未熟なので一所懸命やらないと

毎日毎日介護に明け暮れていると、介護職員さんたちも大変だし、気分転換も必要でしょう?それは入所者様も同じだと思うのよ。そこで野村相談員から提案があって、その話をあなたにも聴いてもらいたいと思ってね

私にですか?そういったことなら主任の田沢さんにお話するのがベターでは…

とにかくまぁ話を聴いてみて
『なんか変だ…』 祐二は思ったが、とりあえず話だけは聴こうと思い直した。
しばらく間があってから、野村相談員が話し始めた。

施設も開設して3ヶ月。入所者も増えたことだし、そろそろ何か『イベント』をやってみようと思ってるんだけど
野村相談員の提案に、山谷婦長も「同調」。
不自然過ぎるほどスムーズな流れ。
祐二はこの瞬間『この2人の間では、既に決まっていること』なんだと感じ取った。

どんなものを考えてらっしゃるんですか?

ん~と、そうだなぁ~。ひなまつりも近いことだし、『劇』なんてどうかと

いいわねぇ~。入所者の方々の喜ぶ顔が、目に浮かぶようだわぁ~
『まだ何にも決まってないじゃん…』 そう思っていた祐二だったが、

『劇』と言っても、まだみんな介護に精一杯ですし、準備期間が必要だと…

だから『イベント係』を何名か集めて、みんなで考えてもらいたいんだ

はあ…

僕も手伝うから。ね?ね?
施設開設後、初のイベント。
『劇』とは言っても「入所者の方々に分かるようなもの」でないといけないわけで。
イベント係で集まったのは5人。
男性が祐二と同じ一般棟の介護職員・聡志の2人。
女性が専門棟の介護職員・しのぶ、理恵、千津代の3人。
業務終了後、急遽集まっての「イベント会議」を開くことに。

先日、相談員さんから『イベント』のことで話があって、『劇』をすることになったんだけど、『入所者の方々に喜んでもらえそうなもの』ってない?

ん~。急に言われても、なかなか出て来ないんだけど…

昔話や童話なんかいいんじゃない?

そうね。童話はともかく、昔話なら分かってもらえると思う

昔話って言ってもいっぱいあるよ。何がいい?

『ひなまつり』でやるんだったら、女の子が主人公のものでないと…

だったら『かぐや姫』なんてどう?

それいい!そうしよう!

私も賛成!!

『かぐや姫』かぁ。いいねぇ。聡志さんはどう?

それでいいよ
と言うことで、イベントの劇は「かぐや姫」に決まった。
配役については。

私、かぐや姫!

ええっ!理恵、ずるい~

だって『かぐや姫』を提案したの、私だもん!

でも『かぐや姫』に出て来る人って、どれだけいるの?

ちょっと書き出してみるよ
かぐや姫・おじいさん・おばあさん・天女2人と、かぐや姫に結婚を申し込む人が3人、兵士…

兵士が一番多いから、これは『イラスト』でごまかそう
かぐや姫は、理恵。
天女が、しのぶ。あと一人は?

今度一緒の夜勤の時に明美に頼んでみる。絶対喜ぶよ!

僕は…
全 員:「おじいさ~ん!」

へ?何で?

だって、見た目がそうなんだも~ん!
配役の決まらなかったものについては仲間の職員に頼むことになり、衣装は、和紙を染めて「本格的なもの」にすることに決まった。
小物もダンボールなどで作成し、それらしきものにするとして、後は…

脚本とナレーターがいるね

ナレーターは、千津代がいいよ。声がきれいだし

じゃあ、それで!

脚本は…

脚本は、武田くんでしょう?

俺?

だって、介護日誌まとめるの上手じゃん!あと音楽も、ね?

…分かった
イベント準備がスタートした。
衣装や小物などは順調に進んだが、問題は配役。唯一残ったものが…

おばあさん…かぁ…
祐二は、職員すべてに頼んでみたが、すべて「おばあさんなんて…」と断られていた。
仕方ない…おばあさんは「人形」にしようか。と思っていると、

どうしたの?
そうだ!智子がいた! でも…

かぐや姫の配役が1人決まらないんだけど…

どんな役?

おばあさん…なんだけど…

それが決まれば、劇ができるの?

まあ…そうなんだけど…

私、やってもいいよ

へ?!本当?

あんまり練習なんかには残れないけど、それでもよかったら

ありがとう!
配役が決まった。
それ以降、劇の練習など、仕事が終わってから遅くまで残ってやっていた。
智子が参加したのは「衣装の染付け」と本番直前の「通し練習」の2回程度。
「無理に頼んだからなぁ。でも、一所懸命やってくれてるんだから。」
祐二は、時間の許す限る参加してくれる智子に感謝していた。
でも、参加している智子の「横顔」が、少し哀しそうに見えたことが気がかりだった。
本番当日。出演してくれたみんなは、「自分の持てるアドリブ」や「迫真の演技」でイベントを盛り上げ、入所者の方々から温かい拍手をいただいた。
やり遂げた。喜んでもらえた。
祐二は、出演してくれたみんなに感謝した。 そして

ありがとう!

よかったね!皆さん大喜びだよ!

時間がない時に、無理に頼んだりしてごめんね。

いいって!私も嬉しかった!
智子の屈託のない笑顔が、祐二のこころを癒してくれた。
しかしその「笑顔」は… どこか寂しそうだった。
イベントが終わり、平穏を取り戻した施設内で、とある職員の話す声が祐二の耳に聞こえて来た。
その内容は…
「寺西さんの家が、2月下旬に火事で全焼していたらしいよ…」
( 次回へつづく )
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