第3話:君のためにできること
「知らなかった・・・。そんな大変な時期に、俺は・・・。」
祐二は、その場に立ち尽したまま、自分を恥じた。
あの日の智子の微笑が寂しげに見えたのは、ただの「思い過ごし」ではなかったのだ。
「でも、今の俺にはどうすることもできない…」
「申し訳ない」という思いを引き摺ったまま、数日が過ぎた。
武田さん、ちょっといいかしら?
4月のある日、祐二は婦長に呼ばれ、婦長室へ。
私に何か御用でしょうか?
実は、園芸係のことなんだけど…
園芸係ですか?
『園芸係』 智子の担当している係だ。
屋上に花壇が4つあるのは知っているでしょう?
はい
花を植えるだけでなくて
4つあるうちの2つを使ってプチトマトやピーマンなんかを育てたいと思うの。
そうしてできた物を、入所者の方々に食べていただいたら喜ばれるんじゃないかと思ってるんだけど…
へぇ~!それはいいですね
でも、あなたも知っている通り『園芸係』は女性ばかり3人。
しかも2人は『おばさん』で力がないし
寺西さんはお家の『騒々しさ』があって、なかなか進まないのよ。
武田さん、力を貸してあげてくれないかなぁ
分かりました。
でも…私は何をすればいいんでしょうか?
詳しいことは園芸係の人に聞いてね。
担当の赤城さんには、私から伝えておくから
はあ…
婦長室を出てフロアに戻ろうとすると、目の前には
おはよう!
うわっ‼お…おはよう…
びっくりしないでよ。
どうしたの?婦長さんに呼び出しって、さては何かしでかしたんじゃないの?
そんなことないよ!
園芸係を手伝ってやってくれって言われたんだ
そうなんだぁ!それは助かる!
詳しいことは園芸係に聞いてって言われたんだけど、何をやればいいのか…
土を掘り返して畝を作ってほしいの。
知ってる通り、赤城さんも矢上さんもおばさんで力がないでしょう?
それに家のこともあるから、あんまり遅くまではできないから…
分かった。
じゃあ善は急げで、今日仕事終わりに屋上へ行くよ
じゃあ私も今日屋上に行く!
大丈夫なの?…
…そこから先が言えなかった。
大丈夫!
武田くんがなまけないか監督しとくから
言いたい放題だなぁ…
えへへ。じゃあ、後で!
智子の笑顔が、祐二の胸を締め付ける…。
小走りに歩く智子の後姿に、祐二は心の中で詫びた。 「本当に、ごめん…」
仕事終わり、祐二は急いで屋上に上がった。
倉庫にある軍手と鍬を手に、いざ出陣!!
扉を開けてすぐのところに2つ、反対の道路側に2つ花壇がある。
扉を開けてすぐの方には、たくさんの花が植えられていて、既に花を咲かせているものもあった。
へぇ~。こんなにキレイにしてあるんだぁ
…ってことは掘り返すのは、反対側の方だね。
祐二は反対側の花壇に行き、土を掘り返すが、何せ「やったことのない」ことなので、勝手が分からない…
慣れないことに悪戦苦闘していると
お疲れさま!
おっ‼やってるやってる~
お疲れさま。こんなもんでいい?
ダメダメ。もっと深くまで鍬を入れて掘り返すの
どのくらい?
1回掘り返すでしょう?
そしたら同じところにもう1回鍬を入れて掘り返すの
結構大変なんだなぁ…
頑張って!
私は掘り返した後の石なんかを処理するから
初めての作業で大幅に時間がかかってしまい、1つ分の花壇の掘り返しだけで本日は終了。
うん!
今日はこの辺で終わりにしよう
終わり⁉…はぁ~疲れたぁ~
ありがとう。頑張ってくれて
また明日、頑張るとするか
そうしよ!
それからの数日、祐二と智子は時間のある日は屋上に上がって遅くまで作業を行い、時間のない日は赤城や矢上の協力を得ながら『順調』に作業を続けていった。
そしてついに!
やったー‼
ついに完成‼
すごい‼
よく頑張りました‼
これで、いよいよ野菜作りだね
たくさんできるといいなぁ
汗だくの2人。しばらく風にあたることにした。
しばしの沈黙… 心地よい風を感じながら、祐二はふと智子を見遣った。
智子の顔は「あの時」と同じで、寂しげだった。
祐二は意を決して…
…ごめんな
へ?
何が?
君の家が大変な時期に、無理を頼んじゃって…
ああ…
いいの。
どうなるもんでもなかったし、それに…
早く忘れたかったし…
今は何処からここへ通ってるの?
高階の隣の大川町にハイツを借りて、そこから通ってるの
そうかぁ…
慣れない所で戸惑いはあるけどね…
二人はいろんな話をした。 家族のことや自分の小さい頃のことなど。
時間はあっという間に過ぎて行った。
何か…
お腹空いてきたね
そういえば私も
ご飯、食べに行こうか?
うん!
二人は近くの喫茶店へ。
軽めの食事をしながら、話は「介護福祉士資格」のことへ。
俺、まだ実務経験が足りないんで、しばらくは介護を頑張らないとなぁ
私、実は通信教育をやってて、今度実習があるんだぁ
いつから?
明後日から7日間
うちの施設で?
別の施設で実習するんだけど…
どこの施設?
蔭山インパレスっていうんだけど…
知ってる?
蔭山インパレスは知ってるよ。
でも遠いね…飛山町だから。
車で行くの?
電車とバスよ。
実習に行くのに車はまずいって
婦長さんに言われて…
大井町からだと、1時間以上かかるね…
しばしの沈黙の間、祐二は考えた… そして
よし!
そしたら俺が仕事帰りに
蔭山インパレスまで迎えに行くよ
ええ‼
ちょ…ちょっと待ってよ…
大丈夫なの?
大丈夫だよ。
往きは悪いけど電車とバスで行ってもらって、帰りなら
武田くんの勤務。
この期間は夜勤も入っているんだよ?
お迎えって言っても
ここからでも40分はかかるし無理だよ…
大丈夫だって‼
君のために何かをしたいんだ。
お願いだから…
…分かった。
お言葉に甘えて、お願いします。
でも…
無理しないでね
店を出ると、少し風が肌寒い。
しかし二人の気持ちは、どこか温かかった。
君、確か明日休みだったね?
そう。
だから実習が終わるまで
施設には来ないよ
園芸の方は、ちゃんとやっておくから
野菜
つまみ食いしないようにね
しないよ…
じゃあ実習が上手くいくように
君に『おまじない』をかけてあげるよ
おまじない?
どうするの?
こうするの
キョトンとする智子。 そして。
ガンバレ‼
…あ…
ありがとう…
おまじない、利くかなぁ…
うん‼
絶対利く‼
私も頑張るから‼
智子の表情に笑顔が戻った。
帰りは必ず迎えに行くから
ありがとう。
待ってます
今、君にしてあげられる「精一杯」がこれ。
ちょっとやり過ぎかも…
でも、笑顔が戻ってよかった。
いつもそうだよ… 笑顔でいなきゃ。
走り去る智子の車に、祐二は見えなくなるまで手を振り続けた。
2人の「心の時計」が今、時を刻み始めた…
(次回へつづく)
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