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介護保険制度なんかいらない【スピンオフ版】~自立を望まない高齢者への支援

【実録】介護の本質
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【実録】介護の本質ch

介護保険制度なんかいらない【スピンオフ版】

自立を望まない高齢者への支援 と題してお送りします。

前回、このchからお伝えした「介護保険制度なんかいらない」

投稿以降、多くの人からの反響をいただいています。

今回は【スピンオフ】ということで

施設において暮らす高齢者とそれを支える介護職にスポットを当てながら

現行の介護保険制度を考えていく内容です。

その中で、家族を交えたある1つのエピソードから見えてくる本質から

「介護保険制度なんかいらない」とする真意をあらためてお伝えします。

  • ●あるエピソードから見えてくる介護保険制度の「本質」
  • ●高齢者の本意に沿わない制度などいらない。その真意とは
  • ●制度を残すなら、自立を望まない高齢者にこそ目を向けるべき
  • ●本当の意味での自立支援、自立を必要とするものとは

こういった内容で進めていきますので、どうぞ最後までご覧ください。

それでは始めていきましょう!


あるエピソードから見えてくる「介護保険制度」の本質

介護保険制度の基本理念は「高齢者の自立支援」

平たくいえば「お年寄りが自分で自分のことができるようにお手伝いする」になります。

在宅、施設を問わず、介護や福祉に携わる多くの人たちが

この理念に則って様々な介護支援サービスや支援活動を行っていますが

現世においてはこの「基本理念」に疑問を抱く人たちが増えてきているように私は感じています。

それは

介護保険制度の基本理念が

高齢者が本当に望むものとは違っていることに

誰もが気づき始めたからではないか。

というのが私の見解です。

どういうことなのか?

あるエピソードから紐解いていきたいと考えます。


まずは、私が以前に従事していた施設で過ごしていた高齢者と介護職の「ひとコマ」から、皆さんにご覧いただきます。

※これより登場する人物名はすべて「仮名」

※入居者様の敬称については、親しみを込めて「~さん」でご紹介していきますね


施設でお過ごしいただいている須川さん「100歳」のお誕生日を迎えられ、介護リーダーの田中さん介護職員の中西さん生活相談員の菱川さんと私とで施設長にお願いし、ささやかながら「プレゼント」と「誕生日ケーキ」を用意することになりました。


そんな中、4人の共通した意見として「ご家族の方々も、一緒にお祝いを!」と言うことで、菱川相談員が須川さんの娘さんお孫さんに連絡を入れ、当日お越しいただけることになったんです。


当日、須川さんの娘さんとお孫さんが施設へお越しになり、須川さんが生活なさっておられるユニットへ。プレゼントと誕生日ケーキの準備も整い、同じユニットで生活をなさっておられる入居者の方々を「会場」へ。

田中介護リーダー
田中介護リーダー

しょうらくさんは

フロアで見守りをしていてください。

私はフロアの一番「上座」で、娘さんとお孫さんに寄り添われながら談笑されている須川さんにお声をかけました。


しょうらく
しょうらく

須川さん、お誕生日おめでとうございます。

ご家族様も、この度は誠におめでとうございます。

須川さんの娘
須川さんの娘

ありがとうございます。

本日はお招きいただき、大変うれしく思っています。

須川さん
須川さん

ありがとう。

須川さんの孫
須川さんの孫

施設で何かと気にかけてくださっているようで

おばあちゃん、とっても元気ですね。

しょうらく
しょうらく

最近はよく食事も召し上がられるようになって

私も嬉しく思っているんです。

これからも健康に気をつけながら

お過ごしいただけるよう努めてまいります。

そんな会話をしていると、フロアのテーブルでお待ちの女性

認知症症状のあるお年寄り・野田さんが、須川さんを指差しながら、

野田さん
野田さん

ちょっと、お兄さん。

あの方、お誕生日なの?

しょうらく
しょうらく

そうですよ。

今日で100歳になられたんですよ。


そう話すと、今度はテーブルの反対側に座っておられた

認知症症状のあるお年寄り・久保田さんが、突然大きな声で、

久保田さん
久保田さん

100歳!100歳!

100歳!100歳!

と・・・(^-^;)

さらにその会話が、これまた隣に座っておられた

87歳の認知症症状のあるお年寄り・庄司さんに聞こえたようでした。

庄司さんは困惑した様子で、


庄司さん
庄司さん

私…100歳?

と・・・( ̄▽ ̄;)

野田さん
野田さん

へぇ~!あなたも100歳なの?

庄司さん
庄司さん

知らん…

久保田さん
久保田さん

100歳!100歳!

100歳!100歳!

そんな会話がひとしきり続いた後、少しの沈黙があってすぐにまた…

野田さん
野田さん

ちょっと、お兄さん。

あの方、お誕生日なの?

しょうらく
しょうらく

ありゃまあ。

また戻っちゃいましたね~。

私が思わず野田さんの言葉にツッコんでしまったことで、フロアにおられた入居者様は大爆笑(^O^)

須川さんの娘さんとお孫さん、介護リーダーの田中さん、介護職員の中西さん、そして菱川相談員までもがその会話に爆笑しながらフロアへ。

田中介護リーダー
田中介護リーダー

しょうらくさん

笑わせないでよ~

紅茶がこぼれちゃうからさぁ~

中西介護士
中西介護士

私も

ケーキを切り損ねそうに

なりましたよ。

菱川相談員
菱川相談員

ぶわっはっはっは。

しょうらく
しょうらく

すみません。

時間をつなごうと

一所懸命だったもので…

須川さんの娘
須川さんの娘

いつもこんなに

賑やかなんですか?

田中介護リーダー
田中介護リーダー

そうですね。

いつもこのユニットでは

このお三人様がムードメーカーになって

皆さん楽しく賑やかに過ごしていただけてますね。

須川さんの孫
須川さんの孫

だから

おばあちゃん

いつ来てもニコニコ

してるんだね。


 


エピソードは、ここまでになります。

ご覧いただいて、あなたは何を感じましたか?


高齢者の本意を無視するような制度はいらない。その真意とは

多くの人は、おそらくこう感じるでしょう。

施設で元気に楽しく過ごしている高齢者の顔を見ることは

家族にとって何よりの安心につながる

確かにそうです。

楽しそうに笑う声や元気で過ごしている姿から施設での暮らしを想像し

安心して介護を委ねておけると家族に思っていただけることは重要なことです。

高齢者1人1人が日々の暮らしの中で精一杯の「今」を

「楽しく」「自分らしく」「穏やかに」過ごして行くことこそが

「生活の場」たる施設において一番大切なこと…

それを叶えるためにスタッフは懸命に取り組んでいるんです。

しかし、考えてもらいたいのはその「裏側」です。

認知症症状があってもなくても高齢者はなかなかの「役者」

「心配させてはいけない」との思いを前面に出して、本当の思いを締まってしまう…

その思いに気づけない、気づかぬふりをする家族がいることも事実です。

エピソードにあったような家族は、現実からすれば「稀」まれです。

ほとんどの場合は面会すら来ませんし、病気やケガなどでの連絡においても

「そんなことでいちいち電話して来ないでください」と仰る家族が少なからずいるんです。

ということは、以前にお伝えした介護保険制度の本質である

制度がスタートした時から、高齢者を見捨てている にピタリとはまってしまう

自立とはかけ離れた状況下での暮らしを、介護保険制度での暮らしといえるでしょうか?

先程お伝えしたように、介護保険制度の基本理念は「高齢者の自立支援」です。

本来の目的をそのまま介護支援に移行すれば

高齢者が望むゴールは「自分の住み慣れた家で暮らすこと」になるはず。

自立とは「自己実現」のことであり、自分の人生を自分で切り開いていくことです。

病気などで後遺症が残ってしまっても、自分でできることを精一杯しながら生きていく。

助けを借りながらであっても、主体性を持って暮らしていく。

これが、高齢者の自立支援だ!と宣う人たちが、分かったような気になっている。

世の中をよく見てください。現実は違います。

多くの施設や事業所が建ち並び、できないことをサポートするという謳い文句の下で過剰なサービス提供を行うことにより、自分でしなくても何でもしてくれるような環境が広がっている…

それによって、家族の方が「何でもお任せすればいい」との考えに到り

高齢者には「体調を崩さないように」「歩いて転ばないように」などを連呼

高齢者の暮らしを、ある意味で阻害するような状況を作り出してしまう…

その行く末は、寄る年波に衰えたきた高齢者の受け皿として施設が存在し

家族は「施設で元気に暮らしていればそれでいい」となってしまっているのではないか。

というのが現実だと私は考えます。

誰もが病気になる可能性があり、重症化することもあるでしょう。

その結果、できないことが増えて喪失感に苛まれてしまうのを何とか踏みとどまり、できることをやって生きていこうとする想いを抱く中、できないことにだけ視点を置いて「これ以上は無理」というレッテルを貼り付けてしまう。

制度下での支援に疑問を抱きながら接する介護職に対して

「自立支援だろう?カネ払ってるんだから何とかしろ」

施設や事業所へ丸投げするようなものが「介護保険制度」であるならば、そんなものはいらない。

私はそう考えます。


制度を残すなら、自立を望まない高齢者にこそ目を向けるべき

自己実現力がある元気な高齢者が大多数なのであれば、介護保険制度などいりません。

だってそうでしょう?

衰えながらも元気に自分の思うことができる高齢者に「介護」などいらない訳だから。

しかし現実は「自己実現力が少ない、もしくは自己実現力がない」高齢者が大多数を占めている。

これを私的に表現すれば「自立を望まなくなった人たち」ということになるんですが

もし仮に「介護保険制度」の名前を残すのであれば

ここにスポットを当てるべきと私は考えます。

「将来介護が必要となる時のために云々」と行政は宣いますが

そうであれば、高齢者のみならず私たちにおいても元気な時に自分で投資をするでしょう。

考えてみてください。

私たちが介護を必要とした時

どうして自分のお金を使って支援してもらう必要がありますか?

もっと言えば

私たちは「日本」という

アパートや賃貸マンションに間借りして生きているのでしょうか?

高齢者の大多数

「今の自分のあるがままを受け入れて、穏やかな余生を過ごしたい」

と思っていると、私は言いました。実際にそうですから。

ということは、介護保険制度において本当に考えなければいけないのは

「サービス」ではなく「リアルな心の状態像を知ること」の方であり

「生きることを拒まない暮らし」になると私は考えます。

そこの部分にこそ、行政が全面的に支援する介護保険制度を持ってくるべきです。

どんな状態になっても、私たちには生きる権利がありますし

この国で暮らすすべての人の命を護る義務、責務が行政にはあって当然ですよね。

しかしながら、現行の介護保険制度においては、どんな介護が繰り広げられているか…

基本理念に縛られて、やみくもに「自立、自立」と声高に叫び、その名の下に介護従事者などに「本人が望まないサービス」を提供させ「国が決めたルールだから」高齢者の尻を叩く…

限りなく高齢者の意に沿わない介護を強いられている…

高齢者の想いが分かるからこそ、この狭間に苦しんでいる介護職の人たちの苦労を

あなたはどう考えますか?


本当の意味での自立支援、自立を必要とするものとは

  • 「日々穏やかに暮らせればそれでいい」
  • 「家に帰ると迷惑をかけるから、私はこのままでいい」
  • 「わざわざ会いに来なくても、自分たちの生活を一番に考えてくれたらいい」

自分のことはともかくとして、家族や周りの人たちに火の粉が降りかからないように…

こんな思いで過ごしている高齢者が、施設には多くいることを知ってもらいたい。

その胸の内を知り、葛藤しながらも支援を続けるスタッフの思いを知ってもらいたい。

介護職「総合職」であり、高齢者と家族との関係性を最前線で感じ取る職種です。

専門職たる「看護師」「(管理)栄養士」「生活相談員(支援相談員)」「介護支援専門員」らにおいては、制度と高齢者の本当の想いとの狭間で「今、何をすべきか」を言動で示す職種です。

互いのパートナーシップを以て、多くの矛盾に自問自答しながら取り組んでいます。

あなたはどうですか?

行政の口車に乗せられて、さも素晴らしい制度であると信じて疑わず

これから進んでいく未来においての闇を「他人事」のように思ってはいませんか?

「何事においてもカネさえ払えばいい」という考えが常態化している現代社会において

本当の意味での自立支援や自立をしなければいけないのは

高齢者ではなく「あなたを含めた私たち1人1人の意識」の方ではないでしょうか?

このことに目を向けられた時、きっと本来の介護支援とは何なのかが見えてくるでしょう。

元気で居続けることなど不可能です。

物事に100%があるとすれば、それは「人は死ぬこと」だけ

限りある人生の中では「誤った自立の考え方」は無用です。

歌の文句ではありませんが

時の流れに身を任せることや、川の流れのよう日々を過ごしていくことの大切さを

あなたにも分かってもらいたいです。


まとめ

今回は

介護保険制度なんかいらない【スピンオフ版】として

自立を望まない高齢者への支援 という内容をお伝えしました。

記事の展開の中で、気分を害した人がいるかもしれませんが

実情を論じるにあたっては、主として当事者である人たちへの発信が重要であり

私の介護福祉業界での実体験をふまえ、ストレートな表現でお伝えする方がいいと考えました。

高齢者が本当に望んでいるのは「昨日と同じ今日」であり「今日と同じ明日」です。

支え合いながら、助け合いながら、心穏やかな日々を過ごしていくこと。だと私は考えます。

本当の意味での支援が行き届いた未来には、介護保険制度というものは存在しておらず、誰もが不安少なく笑顔の多い日常で溢れる社会になっていると、私は確信します。

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