今回の【実録】介護の本質chは
【PLAN75】は、現行の介護保険制度の延長線上にある⁉~あらすじから現世の介護保険制度を考える~
と題してお送りします。
この記事では、先ごろ開催された「第75回カンヌ国際映画祭」で、新人賞である「カメラドール」の次点「ある視点」賞を受賞した、早川千絵監督の「PLAN75」のあらすじや内容から現世の介護保険制度を考えていきます。
お伝えする内容は、こんな感じです。
- ・「PLAN75」とは、どのような映画なのか?
- ・現行の介護保険制度の延長線上にある「PLAN75」
- ・「PLAN75」を具現化しないために最も重要なこととは?
筆者がこの映画とは違った「ある視点」に立って、この映画の本質や近未来の日本の高齢者介護の展望についてお伝えします。かなり厳しい話になりますがぜひ最後までご覧ください。
「PLAN75」とは、どのような映画なのか?
まず始めに「PLAN75」とはどのような映画なのか?について
その「あらすじ」を見ながら一緒に理解していきましょう。
2025年。増えすぎた高齢者が財政を圧迫し、しわ寄せが自分たちにかかることを恨む若者たちによって、高齢者が襲撃される事件が相次いでいた中、75歳以上の高齢者に死を選ぶ権利を認めて支援する制度、通称「PLAN75」が国会で可決。
審査不要で支度金が10万円支給され、無料の合同プランもあることなどを盛り込んだ「早く逝くことで国家財政の圧迫を解消しましょう」という「早期退職」ならぬ「早期他界(死去)」を勧める制度に異を唱える人もいたが、運用開始から3年が経ち、PLAN75を推進する様々な民間サービスも開始され、次第に「PLAN75を正当化する空気感」が世の中を支配していった…
夫と死別後に独り暮らしをしている角谷ミチ(倍賞千恵子)は、ホテルの客室清掃の仕事を生業にして暮らしていたが、同僚の1人が業務中に倒れたことで生活は一変。仕事を失い、家をも失いかけ、精神的に追い込まれたミチは「PLAN75」の申請手続きをすることを決意する。
(C)2022『PLAN 75』製作委員会/Urban Factory/Fusee
「PLAN75」の申請手続きをする高齢者に笑顔でその趣旨を説明し、申請を勧める市役所職員岡部ヒロム(磯村勇斗)と、コールセンターで申請者のサポート業務をする成宮瑤子(河合優実)は、始めは単なる1つの業務として杓子定規な対応をしていたが、あるきっかけから対象高齢者と接点を持つようになることで、自らが携わる制度に疑問を抱き始める…
75歳以上の人が死を選ぶことを支援する国の制度「PLAN75」が存在する超高齢化社会の日本を舞台に、当事者である高齢者、行政に携わる若者、現場で働く人たちの姿など様々な人間模様が描かれている… それがこの映画「PLAN75」です。
現行の介護保険制度の延長線上にある「PLAN75」
映画のあらすじをご覧になって、あなたはどのように感じましたか?
この章では、映画の内容をふまえ、現行の介護保険制度について見ていきます。
現行の介護保険制度の基本理念は「高齢者の自立支援」。
様々な疾患を抱えながら日々の生活を続ける高齢者において、自分独りでは出来なくなったことが出来るようになるために支援する。というもの。
この「高齢者の自立支援」については様々な見方があり「何を以て自立とするのか?」といった議論も少なからずあるようですが、現在の介護現場においては概ねこの考え方で支援活動を行っている人たちが大多数でしょう。
しかしながら、このことが本当に高齢者の自立につながっているのでしょうか?
人から助言や支援を受けることで、できなかったことが出来るようになったら「自立」という考え方で、本当に良いのでしょうか?
仮にもしもこれが正しいのであれば
これが出来ない人たちや、これを望まない人たちは
何処へ行ってしまうのでしょう…
そう考えた時、自立という範疇から外れた人たちの行先が
「PLAN75」の対象者となってしまいかねないのでは?
突飛な考え方ではなく、十分あり得る話だと筆者は考えます。
ですから「PLAN75」という施策は、今は「フィクション」だとしても、現行の介護保険制度においての「誤った自立の考え方」の延長線上に確かに存在していて、現状からすれば「いつ具現化されてもおかしくない」状況にある… そんな懸念を抱かずにはいられません。
誤った自立の考え方については、また別の回にお伝えすることにして
「PLAN75を具現化しないために最も重要なこと」とは何なのか?
最後の章でお伝えしたいと考えます。
「PLAN75」を具現化しないために最も重要なこととは?
映画「PLAN75」が訴えかける日本社会への「問題提起」は
予告編の最後に浮かび上がるこのフレーズ
あなたは、生きますか? に集約されていると筆者は考えます。
筆者が思うに、このフレーズには続きがあって、それを表するとこうなるのではないでしょうか。
あなたは、生きますか? それとも、逝きますか?
何気ない日常に突然提示される「生と死の選択」を
国が支援するなどというのは言語道断ですよね。
しかしながら、現世を視てみると
「自分の未来さえ他人に委ねる人」や「世の中の不条理に何の疑問も抱かない人」が多いのも事実。
もしかしたらそう遠くない未来に(本当に2025年に)
「PLAN75」は国会で可決され、具現化されるかもしれません。
そうならないために最も重要なことは
1人1人が自分を愛し、事の本質をしっかりと視ること。
「自助」、「自己責任」などといった言葉が重く圧し掛かり、その思いを誰かに伝えることなく抱え込み、すべてが上手くいかないのは自分のせいだとすら思うようになり、最悪の決断をしてしまう。
自分に自信が持てなくなるような世の中って、本当に生きるのがつらいですよね…
こういった心の状態の時に「PLAN75」を申請する人が増えると考えられます。
であれば、自分を虐める必要がなく、周りの人と情報を共有しながら「何が正しくて、何が間違っているのか」が分かるようになれれば…
自己責任をいうのであれば、どんな時代になっても、ありのままの自分を愛することに責任を持ちましょう。そして、偏向する報道や情報に対して多くの人たちと意見を交わし合い、事の本質をしっかりと視るのです。
そうすることで、自分たちが何処に導かれてしまうのかが分かるようになり、今、行われようとしていることが遠い所ではなくもっと身近に感じられるようになるはずです。
「空気を読む」、「右へ倣え」などとやっていて、自分を一番理解している「本当の自分」を棄て去るようなことは絶対にしないでほしい。そうなったらドツボにハマります。
そういった意味では、この映画は「現行の介護保険制度の延長線上にあるものを映像化した」ともいえますし「すべての日本人が自分を取り戻すきっかけを与えてくれている」ともいえるのではないでしょうか。
まとめ
今回は
【PLAN75】は、現行の介護保険制度の延長線上にある⁉ と題して
映画のあらすじや内容から現世の介護保険制度をふまえ、具現化しないために重要なことなどについて、筆者の見解をお伝えしました。
「PLAN75」は、誰が誰を護るのか?といった、国や政治の根幹部分の腐敗を意味するものだと筆者は考えます。特に介護業界においては、このことが本当に国会で成立し具現化すれば最前線でその矢面に立つことになるでしょう。
どうしてか?
高齢者の生活の場を通して、生きる意味を一緒に考えるからです。
介護とは
1つ屋根の下で老いや障がいを抱えながらも互いに支え合い、暮らしと命を護ること。
だとしたら「PLAN75」は介護そのものを否定することに他ならないのではないでしょうか。
「長く生きてちゃいけない…」
「もう十分に生きたから、今死んでも悔いはない…」
介護に携わる人たちであれば、高齢者がこういうことを話すのはよく耳にするでしょう。
それは「こんな世の中になってしまった」ことへの憂いであり、未来を託す人たちへの謝意であり、自分が生きていることで何かを残したいとする想いだとするならば、この言葉は「本意ではない」ことは明白。
そんなことを微塵も考えず、この言葉をそのまま受け取って
「じゃあ、PLAN75を申請すれば?」と、面と向かって言い放つ未来が
人間が生きる上で根幹となる介護にまで及ぶことの危険を肌で感じます。
「PLAN75」は、令和4年6月17日(金)から全国一斉公開となります。
様々な意見はあるでしょう。賛否両論だと筆者は考えます。
この映画を通じて「人間とは何か」「生きるとは何か」を感じ取ってもらいたいと筆者は考えます。
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