今回のターニングポイントは
欅坂46は、社会にとって不協和音でしかなかったのか
後編 です。
【前編】では、彼女たちのシングルのディスコグラフィーを紹介しながら
私の見解をお伝えしました。
今回は欅坂46の活動期間5年2ヶ月の間に起こった事件やスキャンダルなどを検証し、タイトルである「欅坂46は、社会にとって不協和音でしかなかったのか」の真意に迫る内容を予定していたんですが、何せ多いんです…
細かなものまで入れてしまうと30以上あるので、まとめ切れない部分もあり
ましてや「蒸し返す」といったことはファンの皆さんも望んではいないと考えます。
そこで、欅坂46の音楽活動の中で、特にターニングポイントとなった出来事についてをご紹介しながらその本質を探り、私の見解をお伝えする。 といった内容にしたいと考えます。
内容的には
- ・欅坂46の音楽活動を根底から揺るがせた社会に根付く2つの考え方
- ・精神的支柱を失い、心まで折られた果てに、欅坂46は崩壊した
- ・欅坂46は、社会にとって不協和音でしかなかったのか
この順番で、私の見解をお伝えしたいと考えますので
どうぞ最後までご覧ください。
欅坂46の音楽活動を根底から揺るがせた社会に根付く2つの考え方
社会を騒がせる出来事が多いのには、2つの考え方によるものがあると考えます。
- ☆社会的影響力の強さ
- ☆アイドルというものに対する神格化
この2つの考え方によって巻き起こされた出来事が多いんです…
このことは何も彼女たちだけではなく、アイドルと呼ばれるすべての人たちにおいて通じるものではありますが、ここでは彼女たちの音楽活動の中で起こった出来事。
これについて1つ1つ検証しながら、私の見解をお伝えします。
社会的影響力の強さが巻き起こした出来事
社会的影響力の強さによって巻き起こった出来事。
その最たる例が「握手会での出来事」です。
内容的にはザックリいうと
握手会会場で、主要メンバーが握手に臨むレーンに、1人の男が危険物を投げ込んだというものです。
握手会での出来事は、ちょうど「不協和音」が発表された後に起こっています。
当時から彼女たちへの誹謗中傷がネットに溢れている実情があり、事に及んだ人においては「誹謗中傷を止めたかった」と発言していたようですが、誹謗中傷において腹が立つのであれば、怒りを向ける矛先がまるっきり逆ですよね。
発表された多くの楽曲の内容を理解していない訳ですし、理解した上での凶行であれば言語道断です。
彼女たちのデビューから提供される一連の楽曲の内容を、表現力抜群の平手友梨奈さんとすべてのメンバーが具現化することで生み出される「現世の実情」。
これを目の当たりにすることによる心の動揺を抑えることができず、誤った思考によって凶行に及んだ。と見る方が自然だと私は考えます。
「社会的影響力の強さ」が巻き起こした出来事はもう1つあります。
平手友梨奈さんと秋元康さんとの間で起こった出来事。
内容的にはザックリいうと
秋元さんが新たに作った曲を平手さんに聴かせたら、平手さんがすごく気に入り、そのことで平手さんはその曲のイメージを膨らませるなどしていた最中、別の人に楽曲提供が成されたため、平手さんが激怒した というものです。
この頃になると、社会において「欅坂46=平手友梨奈」との認識が支配していたように感じ、楽曲の流れからしても「平手さんメインの楽曲制作をしている」ということが誰の目にも明らかだったと私は考えます。
内容を見る限りでは「平手さんのわがままが過ぎる」や「秋元さんが平手さんを重用し過ぎる」という感情が湧き立ちますが、事実上センターである彼女を中心とした楽曲制作を行っていた以上、どうすることもできないですよね。
センターであることの責任や制作者の意図することをしっかりと汲み取ろうとする姿勢と、忠実以上に表現するパフォーマーとしての絶対的信頼の間で生じた「確認のズレ」だと考えるのが自然だと考えます。
そして、彼女たちに対する社会全体のイメージが固執してしまったことも、大きな要因になっていたのではないでしょうか。
アイドルというものに対する神格化
アイドルというものに対する神格化が巻き起こした出来事については
スキャンダルというものがあります。
憧れや推しというものからくるピュアな思考により、自分の中のイメージを膨らませる中で「交際発覚」や「お泊りデート」などと言う記事などをみると、「汚された」と考えてしまって、SNSなどを通じて誹謗中傷を繰り広げていく…といった内容になるかと考えます。
私の見解では、アイドルであろうとなかろうと「一人の女性」。
あくまでも個人のことなので、周りの人たちは「当事者がどのように考えるのか」以上のことには踏み込まなくていいと考えるのが常道。
ファンからすれば「俺たちが応援してるのに、なぜこういうことするんだ」みたいな思いもあるのでしょう。
握手会やイベントなどによって、これまでとは違ってアイドルとの距離が近いだけに「俺の推しが!」、「私の憧れを汚すなんて!」といった、ある意味で独占欲に近い考え方に波及していったとも考えられますよね。
「アイドルは常にピュアな存在」、「アイドルにはゴシップやスキャンダルはNG」といった考え方が令和においても根強く残っていることが、自然体であるはずの彼女たちの活動に変な縛りをつけてしまうことにつながり、彼女たちの活動を根底を揺るがす形になってしまったと私は考えます。
精神的支柱を失い、心まで折られた果てに、欅坂46は崩壊した
握手会での出来事が起こって以降、明らかに活動においての萎縮がみられるようになり、センターである平手さんの度重なるケガ、療養しているにもかかわらず状態は悪化し、長期に亘ってセンター不在の状態が続いた時期がありましたね…
平手さんが復帰し、パフォーマンスを繰り広げることで観衆やファンは納得するものの、ケガなどで不在となれば、その後の活動において、どうしても先に来るのが「平手さんの動向」…
これではメンバーの誰もが「自分の立ち位置」において不満や疑問を抱くものですよね。
様々な憶測が流れ、尾ひれをつける形で噂話が独り歩きし、ネット上にも多くのデマなどが流されるようになる中、他のメンバーにおいても「いじめ」などの問題が浮上し、統制が取れない状況に陥っていきます…
キャプテンである菅井友香さんの心中も穏やかではなかったでしょうし
欅坂46としての今後の展望などにおいても見通せない状況だったのではないでしょうか。
そして「自然体」であるがゆえに取り沙汰される多くのスキャンダルや礼節を重んじていないような言動にも、しっかりとした盾となる存在がいない状況においては為す術がない。
奇しくも社会では、長期に亘る失政によって人々の心は荒み、分断は拡がり、何か事が起これば刺々しいくらいに罵り合うといった状態でした。
そして、2020年1月23日。
崩壊が決定的となる出来事。
平手友梨奈さん 脱退
このことは「欅坂46=平手友梨奈」というイメージが支配していた
欅坂46が、事実上崩壊した瞬間でもありました。
絶対的とまで言われた精神的支柱を失い、露呈する問題に対する社会からのバッシングなどによって心まで折られてしまった彼女たちに残された選択は「改名」しかなかった…
5年2ヶ月の間、彼女たちが全身全霊を賭けて訴えたものは
一体何だったのでしょうか。
欅坂46は、社会にとって不協和音でしかなかったのか
前編の冒頭にループする形になってしまいましたが
欅坂46は、社会にとって不協和音でしかなかったのか との真意をお伝えします。
結論からいえば「彼女たちは、社会にとって不協和音だった」ということになります。
しかしながら、ここで勘違いしないでもらいたいことがあって。
「不協和音」であっても「不協和音でしかなかった」訳ではないということなんです。
欅坂46というアイドルグループが
不協和音として社会に存在したからこそ
現世において最悪な状態が回避されてきた
ということを、頭に入れてもらいたいんです。
どういうことなのか?
彼女たちがデビューした当時の社会は、消費税率の上昇によってさらに国民の暮らしが疲弊している状況下でした。
政治においては、新自由主義の名の下に、ありとあらゆるものを私たちから搾取し続ける政治が横行し、腐敗する政治の中での数多くの疑惑や疑獄については「首相である私がウソを言うはずがない」というウソを平気で言ってのけても通ってしまうような状況下。
そんな時代の中で「社会に対する不条理や不信感、閉塞感に敢然と立ち向かう」彼女たちの登場は、まさに「一筋の光」のように感じました。
そこにすがる気持ちを抱き、彼女たちの音楽を聴いてカタルシスを感じる人も多かったでしょう。
彼女たちが活動することは、社会においてその存在が「不協和音を生み出す最たるもの」
だってそうでしょう?
政治や社会にとっては、私たちが「サイレントマジョリティー」でいてくれた方がやりやすい訳だから。
私たちがサイレントマジョリティーではいられないことに気づかせようとする彼女たちを
自分たちが腐敗していることにすら気づかない政治や社会が、もろ手を挙げて歓迎などしますか?
そういった意味において、欅坂46は社会にとって不協和音だったということなのです。
しかしながら、彼女たちができることは「問題提起と気づきを持ってもらうこと以外には何もない」ということに、私たちがもっと早く気づいていたとしたら…
「単なるアイドルグループではない」ということを理解し、固定観念である「アイドルは云々」というものを、もっと早く取り払えていたとしたら…
目の前に拡がる社会は、少しではあっても変化していたかもしれません。
そして、「不協和音でしかなかった訳ではない」ということもお伝えしておきます。
彼女たちの活動時期と重なる部分にはなりますが
音楽以外の所でも「不協和音」として存在する活動を行っている人たちが増えています。
代表的なのが、この人たちです。
もちろん、櫻坂46として活動を続ける彼女たちにおいても
欅坂46とまではいかないですが、社会に対しての訴えは続けているようです。
形は違っても、彼女たちのこれからの飛躍に期待したいですね。
結びとして(不協和音の存在意義)
ここで、あなたに考えてもらいたいことがあります。
今、あなたが見ている社会に「不協和音」は無くなっていますか?
- ・空気を読まない人
- ・ズレている人
- ・変わった考え方の人
などというのは「不協和音の対象」にはなりません。
なぜなら、こういった人たちは「個性のある人たち」だから。
もし仮に「不協和音が無くなっている」というのであれば
その方が問題です。
すべての人が同じ考え方で
すべての人が同じ行動をすることにOKを出してしまうと何が起こるか。
極論を言えば、戦争です。
不協和音を徹底的に排除して、すべての人が同じ方向を向いた時
その方向が間違っていることに気づいた人が
「間違いだ」と指摘することが許されない状況は
明らかに時代と逆行しているのではないですか?
それぞれの個性を重んじて、誰もが1人の人間であることに誇りを持って生きる社会。
もちろん「協調性」や「愛国心」などは必要ではありますが、そういったものを大切に思う前の段階において「多様性」や「尊厳」というものを大切にしなければいけないと私は考えます。
そういったことをふまえ、私の結びの言葉としてあなたに伝えます。
不協和音というものは、いつの世においても存在する意義はある。
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