今回の「よもやま話」は
【大石あきこ×立川談志】時代も世代も違う二人の3つの意外な共通点
というお話です。
令和3年10月31日投開票にて行われた
第49回衆議院議員総選挙
メディアはこぞって「自民、絶対安定多数確保」、「立憲惨敗」、「維新大躍進」、「野党共闘不発」などとお祭り騒ぎのように報道していましたが、私からすれば見解は1つ。
ある意味で、歪んだ政治や社会構造を良しとする判断を有権者が行ったことになるのですが、投票率が100%にはならないまでも、70%に限りなく近づくようでなければここまで壊れた社会は変わらない…
25年に亘るデフレーションに今般の感染症が追い打ちをかけ、ますます社会においての不安が強まる中において、それでも投票に行かない人や白票を投じる人の脳内神経を私は疑います。
閑話休題。
今回の選挙において、一躍注目を集めた人がいますよね。
国政政党「れいわ新選組」から出馬した大石あきこさん。
現在「維新バスターズ」、「れいわが送り出した最終兵器」と称され
SNSを中心に大注目の女性ですよね。
今から8年前に、当時大阪府知事に就任した橋下徹氏が30代以上の職員を対象にした初めての朝礼において、その言動や立ち振る舞いに抗議した女性として知られるようになりましたが、その彼女の政治家としての流れや現在の演説などにおいては、この人と似ている部分、共通点があると私は考えます。
7代目・立川談志さん
立川談志さんというのは「落語家」であり、現在も続く人気番組「笑点」の初代司会者。
「毒舌」という言葉がピッタリの、個性的でインパクトの強い人です。
既にお亡くなりになってから10年が経ちますが、立川さんと大石さんには、時代を超え、世代を超えて通じているものがあります。
- ●突飛なことを言って…訳分かって言ってます?
- ●なんで「立川談志」なの?過去の人でしょう?
そう思っている人も多いでしょう。
でも、確かな共通点があるんです。
今回はその「意外な共通点」について、あなたと一緒に見ていきます。
元大阪府職員と元落語家。
時代も世代も違うのに、どこに共通点があるのか?
私の見解をお伝えしますので、どうぞ最後までご覧ください。
国政選挙において一番最後に当選した
まず1つ目は「国政選挙において一番最後に当選した」ことがあります。
大石あきこさんが当選確実となったのは、日付をまたいだ11月1日の夜明け前。
既に全国で当選者が決まり、残る議席はあと1つ。
誰もが諦めかけていたその時、メディアが大石さんの当選確実を報じました。
その当時の様子が収められた映像があります。
ほとんどのメディアが維新に肩入れするような報道をする中、現世の実情と向き合い、敢然と立ち向かった彼女の強い信念が、ついに実を結んだ結果だと私は考えます。
「一番最後」というのが、なんともドラマティックでしたよね。
変わって、立川談志さんは、昭和に名をはせた落語家であることは知られていますが
彼が過去数年に亘って国会議員だったことはあまり知られていません。
彼が国会議員だった時期は、1971年から1977年までの6年間。参議院議員としてでした。
1971年に行われた選挙で、全国区において一番最後に当選を果たしたのです。
懐かしい映像がありますので、どうぞご覧ください。
彼もまた、国政において自分の為すべきことや思いを果たしたいという強い信念が有権者に伝わった結果だと言うことになります。
映像の最後にもあった「真打は最後に登場するのが慣わし」という言葉は
決して落語家だけではなく、政治の舞台においても言えるということが
今回の大石さんの当選においても物語っていると私は考えます。
大衆(国民)と接点を持ち続けることを信条としている
2つ目は「大衆(国民)と接点を持ち続けることを信条としている」ことです。
こちらの共通点は、立川さんの方からお伝えします。
彼の6年間の政治活動においては、様々な問題発言や行動がありました。
このことは、彼の中に「持論」というものが強くあり
言葉が過ぎるというよりかは
言葉が足りないことによる誤解を受けたことが多くあるようです。
代表的なものとしては
「子どもの面倒は親分が見るのが当然だ」
「公務と酒とどっちが大事かって?酒に決まってんだろう」
当時の世間の実情をストレートに発言した。と考えるのが自然ではありますが、当時においてはかなり問題視され、結果として彼の意図するものとは違う解釈で話が進んだ経緯があります。
彼の意図するところとは
「自分は(常に)大衆と接点を持ち続けることが信条」であることから、自らが発言することに対して「合わせ鏡になっている部分に気づいてもらいたい」ではなかったのか。
そう考えた時、少しでも社会を良くしたいと願っていたと考えられますよね。
そして、大石さんですが
彼女の方も、大阪府職員だった時期からずっと府政、市政を見ていて
社会に拡がる不条理や政治に対する不信などにおいて常に声を上げ続けてきました。
この部分においては「自らが当事者となって気づいたこと」が源流となっていて、伝え方においては立川さんとは異なるものの、信条的には同じだと私は考えます。
当事者であることの立場を崩さず、常に大衆に心を寄せて政治を行う。
ここが、共通点とする所です。
歯に衣着せぬ、事の本質を鋭く突いた発言力の強さ
最後は先程の内容にも通じる部分ですが
大石さんも立川さんも「歯に衣着せぬ、事の本質を鋭く突いた発言力の強さ」があります。
しっかりとした信念を以て歯に衣着せない物言いは、聴いている人にとって心地よいものであり、胸の内にあるモヤモヤを解放してくれますよね。
単的な言葉と巧みな話術で人の心を掴む立川さんと
相手の気持ちをしっかりと汲み取って自分の言葉でストレートに表現する大石さん。
ここにもまた、時代や世代などを超えた共通点だと私は考えます。
まとめ
今回は
【大石あきこ×立川談志】時代も世代も違う二人の3つの意外な共通点
というお話をしてきました。
もし今、この二人が国会で対峙する形になったとしたら
どんな世の中になっているだろうと考えると、恐ろしい部分が多いのは否定しません…
しかしながら、これだけ歪んでしまった政治や社会においては
立川さん亡き後は、大石さんのような存在は不可欠なのではないでしょうか?
心と身体、そして発言する際のパワーのコントロールに気をつけながら
大衆(国民)に寄り添う政治を貫いてもらいたいですよね。
コメント