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欅坂46は、社会にとって不協和音でしかなかったのか【前編】

ターニングポイント~人間模様~
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2015年8月21日~2020年10月13日

5年2ヶ月に亘り、彼女たちが全身全霊を賭けて社会に訴えたものは何だったのか。

そんなことを考えてしまう今日この頃です。

引用出典-https://cinemarche.net/wp-content/uploads/2021/02/FotoJet-1-3.jpg

欅坂46

先行アイドルグループ「乃木坂46」の新プロジェクトとして

全国約23,000人の中から選ばれた22名の少女たち。

洗練された女性もいれば、まだあどけなさが残る女の子もいて

結成当初の映像をみても、キラキラとした輝きを放つグループでした。

発表されるシングルは、すべてオリコンチャート1位を獲得し

アイドルグループとして確固たる地位を築き上げたことは

「記録に残るアイドルグループ」だったといえますよね。

ただ、彼女たちが築き上げたものは、他の女性アイドルグループとは違うもの。

それは「社会に対する叫びに共鳴する人々が多くいることの証明」だったと私は考えます。

現世における不条理、深い闇の中でもがいている人々への一筋の光。

「黙っていることが正義」「右へ倣え」が当たり前のように思われていた社会に、音楽を通じて敢然と立ち向かう彼女たちの歌声やパフォーマンスは、若者を中心に多くの人々の心に響き、今なお語り継がれている「記憶に残るアイドルグループ」だと私は考えます。

今回のターニングポイントは【前編】、【後編】に分けて

欅坂46は、社会にとって不協和音でしかなかったのか と題して

彼女たちの軌跡を振り返りながら、筆者の見解をお伝えしたいと考えます。

今回は【前編】

彼女たちが発表したシングルの数々(ディスコグラフィー)を振り返りながら筆者が感じた印象や、社会においての彼女たちの存在意義などについて検証していきますので、どうぞ最後までご覧ください。

それでは始めていきましょう!


欅坂46は「2つの大きなギャップの融合」から始まった

彼女たちが発表したシングルは、デジタル配信限定版を含めて9曲。

  • ・サイレントマジョリティー
  • ・世界には愛しかない
  • ・二人セゾン
  • ・不協和音
  • ・風に吹かれても
  • ・ガラスを割れ
  • ・アンビバレント
  • ・黒い羊
  • ・誰がその鐘を鳴らすのか?

すべてのシングルをご覧いただきながら、お話を進めていきますね。

サイレントマジョリティー(2016年4月6日発表)

総再生時間 4:26

まず、デビュー曲である「サイレントマジョリティー」

  • 彼女たちの見た目の可愛らしさ軍服のような衣装
  • あどけなさの残る歌声世相を鋭く突いた歌詞の内容

この2つ大きなのギャップが融合されたことによって一躍注目を集めます。

この曲に関しては、10代のみならず

筆者のような50代においても強烈なインパクトを与えていて

ある意味で「現世は従順ではいられない社会だ」という認識が根付いています。

軍服のような衣装について発表当初には海外から批判の声もありましたが

筆者からすれば「サイレントマジョリティーを目覚めさせるには効果的だった」と考えられ、戦略的には成功だったのではないでしょうか。

世界には愛しかない(2016年8月10日発表)

二人セゾン(2016年11月30日発表)

総再生時間 4:56
総再生時間 5:15

「世界には愛しかない」「二人セゾン」の2曲は

彼女たちがアイドルグループであるということを知らしめている曲。

  • 夢や希望を抱き、笑顔をもって社会に出ていこう
  • 青春時代の想いを伝えられなかった切なさを胸に、前を向いて進もう

そんな感じがする曲です。

そして、ここからがある意味彼女たちの…

「ターニングポイント」になります。


不協和音の大ヒットが、私たちの「大きな勘違い」の始まりだった

2017年4月15日

彼女たちの4枚目のシングルが発表されました。

それが「不協和音」です。

不協和音(2017年4月15日発表)

総再生時間 4:22

筆者がこの曲を初めて聴いた時の印象は、たった一言。

「は?」

不協和音という言葉は、当時においてもあまりメジャーな言葉ではなく

彼女たちの曲を聴いてから辞書で調べたりした人が多かったのではないでしょうか。

ダークで心情的な重さが漂うメロディー

合間に入る「僕はイヤだ」

聴き初めの筆者からすれば「違和感だらけの曲」でした。

しかしながら、筆者は気づいたんです。

この曲の本質はその「違和感」をどこまで感じられるかにあるということに…

歌詞の意味、メロディーライン、ダンスパフォーマンス。

不協和音という曲の中で繰り広げられるすべてを現世に置き換えて考えた時

目の前に拡がる社会は「違和感」で溢れ返っていることに筆者は気づいたんです。

そのことを感じ取った多くの人々が

不協和音を歌う彼女たちに熱狂し

「欅坂46を代表する曲の1つ」として、人気を不動のものにしていきました。

不条理や閉塞感が漂う社会に鋭い視点を置いた歌詞。そして歌声、パフォーマンスで若者を中心に「平成の世のジャンヌダルクたち」といった印象を与えた欅坂46。

しかし、この曲がヒットすればするほど

今を生きる私たちは「大きな勘違い」を膨らませていくことになったんです。

その「大きな勘違い」とは何なのかは、以降にお伝えすることにして

今は彼女たちのディスコグラフィーに沿って、話を進めていきますね。

風に吹かれても(2017年10月25日発表)

総再生時間 3:59

「風に吹かれても」においては、少し曲調に明るさを感じるもので、歌声にも可愛らしさが聴かれ、パフォーマンスの中にも笑顔が見られましたが、それは屈託のない笑顔ではなく、何処か影を感じる寂しさをも垣間見ることができます。

そして、この曲から、彼女たちが「誰の何にあらがっているのか」がハッキリとしてきます

ガラスを割れ!(2018年3月7日発表)

アンビバレント(2018年8月15日発表)

総再生時間 3:59
総再生時間 5:06

そして「ガラスを割れ!」「アンビバレント」と続く訳ですが

感じさせるテーマは「感情の爆発」「二面性」

この2つのテーマは、人それぞれに持ち得るものではありますが

  • 現世において、眠らされている感情を爆発させていいんだ
  • いい子でいる必要なんてない。自分を見つめ直してほしい

といった「魂の叫び」のように表現される楽曲とパフォーマンスでした。

黒い羊(2019年2月7日発表)

総再生時間 5:37

何が正義で何が悪なのかを見誤った民意が多数派を占める社会との戦いに疲れ果てたという印象が強く残る曲であり、今までのものとは違ってあまり抑揚やパッションを感じない、終始暗いメロディーラインです。

「何かを悟った」ような印象があり

そのことが、ある意味で欅坂46の存在意義を崩壊させたようにも感じさせます。

誰がその鐘を鳴らすのか?(2020年8月21日発表)

総再生時間 5:31

最後に発表された「誰がその鐘を鳴らすのか?」においては

次なるテーマを模索するイメージがある楽曲。

今までの彼女たちの主張とは一線を画す内容の歌詞と

そうならざるを得ないとした彼女たちの想いが込められたパフォーマンスになっています。

既に欅坂46の活動休止が伝えられた後でしたから、こういった楽曲になるのだろうというのが、ファンの人たちには理解できるのではないでしょうか。

以上、ディスコグラフィーを振り返ってきましたが

発表された9曲の中で、ファンのみならず、ファンではない人たちの印象に残る楽曲といえば、おそらく「サイレントマジョリティー」「不協和音」ではないかと筆者は考えます。

YouTubeにおいて配信されている欅坂46のMVの再生回数をみると

これらの楽曲が1位2位であることからも証明されていると考えられますが

こと「不協和音」に関していえば、どの曲よりもインパクトの強いもの

メンバー全員が全身全霊を賭けて繰り広げるパフォーマンス。

そして、センターの平手友梨奈さんの圧倒的な表現力によって

「欅坂46」という、今までのアイドルグループとは明らかに違う存在意義を獲得した曲。

ここで、私たちが冒した大きな勘違い

彼女たちの方向性を大きく狂わせ、活動休止へと向かわせてしまったのではないか

という見解が出てくるんです。

その「大きな勘違い」とは

彼女たちが、自分たちの想いの代弁者である。 ということです。

それは、自分が抱えている苦しみや悲しみを彼女たちが歌うことやパフォーマンスをすることで晴らしてくれる。というものから始まり

自分の代りに彼女たちが、不条理や閉塞感が漂う社会へ向けての抗いを示してくれる。という思考に至ってしまったことが、「想いの代弁者」という「勘違い」を生み出してしまったのではないか。というのが筆者の見解です。


欅坂46が伝えたかったこと…「コンシャスネス・レイジング」

では、彼女たちが5年2ヶ月に亘り、楽曲を通して何を伝え、訴えていたのか?

コンシャスネス・レイジング

政治や社会などに対する問題提起と、現世を生きる私たちへの気づきだと筆者は感じています。

欅坂46のメンバー、そして何よりセンターをずっと務めていた平手友梨奈さんは、自分たちの活動を単なるブームやちょっと違ったアイドルとしてのムーブメントだけを起こしたかったのではない。

今、目の前にがる社会の中で、1人1人の存在意義を見つめ直し、事の不条理などに対して1人1人が言動に移すことを私たちに訴えたかったのではないでしょうか。

それなのに、彼女たちが身も心も削る想いで繰り広げるパフォーマンスに自分の現状を投影し、その輝きにすがり、パフォーマンスが終わると余韻に浸るだけで満足してしまい、次の日には忘れてしまっている。

発表される楽曲のすべてに注目が集まるものの

肝心のコンシャスネス・レイジングからは一向に前に進まない…

それは一瞬の閃光が矢のように走るのを、ただボーっと見ているに等しい…

発表された楽曲の並びを見ても、そのことが如実に表れていると私は考えます。


まとめ

欅坂46は、社会にとって不協和音でしかなかったのか と題して

今回は【前編】として

彼女たちのディスコグラフィーを振り返りながらお伝えしました。

次回の【後編】では

彼女たちの活動の中で起こった事件やスキャンダルなどを振り返りながら

タイトルにある「欅坂46は、社会にとって不協和音でしかなかったのか」の真意に迫っていきます。

次回もどうぞお楽しみに。

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