福祉支援において1人1人ができること~ポケットサイズの福祉

【実録】介護の本質

今回の【実録】介護の本質chからは、

福祉支援において1人1人ができること~ポケットサイズの福祉 というお話をして行きます。

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「ポケットサイズの福祉」?

皆さん、疑問に思われたと思います。

過去3回に亘りお話して来た「24時間テレビを考える」への反響がかなりあり、関心の高さをあらためて感じてしまいました。

以上の3つのお話でした。

この中で、私が一番伝えたかったのは「人間にとって一番大切なもの」「まごころ」そして「愛」

今の世の中で必要不可欠であり、忘れ去られかけている部分ではないでしょうか。

今回はこの「まごころ」「愛」というものを、私の造語であるところの「ポケットサイズの福祉」と置換して、この視点から現在の世相についてお話をして行きます。

そして、このことをふまえ「今の世の中のみならず、私たちにとって一番必要なものとは何なのか」へと展開して行きますので、どうぞ最後までご覧ください。


ポケットサイズの福祉とは

「ポケットサイズ」という言葉に、皆さんはどんな印象を持たれるでしょうか?

私の考えと大部分の方のお考えとは、そんなに相違はないと思います。

おそらくではありますけど「手軽に持ち歩ける大きさ」って思われているのではないかと。

確かにその通りです。

誰しもが手軽に持ち歩ける大きさであっても「まごころ」「愛」を込めるだけで、その想いは少なからず誰かを幸せな気持ちにする。

「24時間テレビを考える」の中でも何度も触れたかと思いますけど、この言葉の「原点」になるものとはコチラです!

『募金したから、もう終わりだ』ではなくて、一番大事なことは、僕は意識だと思うんです。

つまり『強い者だけが、弱い者を蹴っ飛ばして世の中を作る』とかじゃなくて、みんなで一緒に行く。

だから、明日からは『運転は俺の方が上手いから、先に行って当然だ』とか『喧嘩なら俺の方が腕っぷしが強いんだ』とかではなくて、欧米なんかでよくあるような『一台入ってもらったら、自分が入って。また一台入ってもらって』と言うような運転、運転だけじゃなくてね。

そんな思いで過ごして行ってもらいたいです。

この言葉の中にある「意識」

40年以上前に発せられたこの言葉の意味するところが、ポケットサイズの福祉につながっている

  • 現代社会に混在する様々な問題において気づき、そのことについて意識すること。
  • そして、そのことについて「自分に何ができるか」を考え、言動に移して行くこと。

それが「ポケットサイズの福祉」だと、私は考えます。


​ポケットサイズの福祉から視る世相

では、この「ポケットサイズの福祉」が、高齢者福祉や障がい者福祉、児童福祉などの多くの福祉においてのみならず、世間一般において実際に広がっているのかって考えるとどうでしょうか?

  • お金持ちと呼ばれる人は「さらに儲けたい!」「もっと稼ぎたい!」との「私利私欲」に走り、権力を持っている人は「私のいうことは何でも通る」って感じで「白いものでも、私が黒だと言えば黒だ!」と、ごり押しに突き進んで行く。
  • 社会的弱者と呼ばれる人たちをたぶらかし、だまし、もてあそんでは思いを踏みにじり、全てを巻き上げる。
  • 抱える不安や悩み、疑問に真摯に向き合うことなく、やりたい放題やって「正義化」して行く。
  • 都合の良いことのみを垂れ流すメディアの情報に翻弄され、自分自身の考えや意見を持つことを面倒臭がるように仕向けられた人たちが、不必要な我慢を強いられ、どんどん追い詰められて行く。

令和の世とは、こんな世の中なのではないでしょうか。

金持ちであろうとなかろうと、権力を持っていようといまいと、ぶっちゃけて言えば皆「人間」です。

上級も中級も下級もない。「ただの人」です。

仮に「お金や権力を持っている人を上級とする」ならば、その方が私のいう「ポケットサイズの福祉」を理解した言動を行っているのであれば、真の人間だと思います。

ただ、現在の世相からみれば、決してそうではない。

「お金は道具でしかない」と、以前にお伝えしたことがありますが、もちろん「権力も道具でしかない」と言えると私は考えます。

自分自身の手の中にある「道具」を、どのように言動にして使うかによって目の前に広がる世の中は変わります。

今の世の中に広がるのは「グローバルサイズの欲」。

そのことが日本の隅々にまで浸透し、40年以上前の「提言」(ある意味「警鐘」かもしれません)を形骸化しているように私には見えます。

「ポケットサイズの福祉」の意味を誰しもがきちんと意識し、理解し、持ち合わせ、それを言動として行使しているのであれば理不尽なことで極度に不安に陥ったり、全く見当違いのところに苛立ちを爆発させ、完膚なきまでに誹謗中傷したりなどはあり得ないのではないでしょうか。


福祉支援は1人1人の「ポケット」から「グローバル」へ

では、このような世の中において、本当に「ポケットサイズの福祉」は形骸化しているのでしょうか?

結論から言えば、そのように見えるだけで、今なお語り、行い継がれています。

実際に町中を歩いていると

  • 足下の覚束ないお年寄りに声をかけ、手を引いて一緒に横断歩道を渡る少女
  • エレベーターの中で乗り合わせた方へ『何階に行かれます?』と声をかけ、行かれる階のボタンを押して差し上げる中年層の方
  • スーパーでの支払いの際に手元が狂い、小銭をバラまいてしまった人のために、あちこち転がった小銭を拾い集める若者たち   などを見かけたりします。

その時交わされる言葉は

「ありがとう。助かりました」

「いえいえ。大丈夫でしたか?どうぞお気になさらず」

その後には笑顔を交わし合っておられました。

そうなんです。

どんなに世知辛い世の中であっても、大切にしなければならないこと、そして想い。

それが「まごころ」「愛」

それを意識する一つの手段として「ポケットサイズの福祉」があるんだということなんです。

始まりは小さなポケットサイズではあっても、私たちの意識を高めて言動に移すことを、縦にも横にも広げて行くことで、ずっと大きなグローバルサイズなものへと拡がっていくと、私は考えます。

こんな感じで…

引用元-@takashiyamagishi

まずは自分から。そして愛する人へ、大切な人へとつないで行く。

今だからこそ、そしてこれからもずっと必要なもの。

「まごころ」「愛」→「ポケットサイズの福祉」

ぜひ、みんなの想いをカタチにして行きましょう!


まとめとして

今回は「福祉支援において1人1人ができること~ポケットサイズの福祉」と言うお話をしました。

現在の世相の描写が露骨過ぎて、不快に思われた方もいらっしゃったのではないかと思いますが、あなたの目で視て、しっかりと想像してみてください。

決して見当違いや明後日の方向のことを言っているのではないと分かるはずです。

まだまだ予断を許さないコロナ禍ではありますが、どうぞ皆さん、くれぐれも心と身体を大切に。

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