【メンタルエイド】BRAND-NEW MUSIC DAYS
今回、あなたの心に届けたい楽曲は
水曜日のカンパネラ の 聖徳太子 です。
歌詞の意味を考察し
この歌が現世に伝えたい想いの本質をお伝えします。
古いにしえの雰囲気が漂うコミカルなメロディがクセになるファンクミュージック
引用元-音楽ナタリー
独特の音楽センスと楽曲の表現力、類まれなる歌声が三位一体となって私たちの心をくすぐる、日本の男女混成音楽ユニット「水曜日のカンパネラ」が2023年秋に発表したこの曲。
洗練されたシンプルなトラック、フラットなメロディに間奏などで聴かれる笛の音が古の雰囲気を漂わせ、聴き込むほどにクセになる中毒性の高い楽曲だと筆者は感じました。
歌詞の意味を考察!傾聴しながら思考を整理整頓
さて、歌詞考察に入ります。
1つ1つの歌詞を細かく深掘りするよりも
全体を通して考察する方が分かりやすいので
皆さんもそのことを踏まえてご覧くださいね。
聖徳太子とは、今から1800年以上も前の飛鳥時代に活躍した皇族・政治家で、母親が馬小屋の前で産気づいて生まれたことから「厩戸皇子(うまやどのおうじ)」とも呼ばれています
幼い頃から聡明で頭が良く、個人の能力に応じた階級制度(冠位十二階)や十七条憲法の制定などによって中央集権国家の確立に尽力。遣唐使の派遣などにより、当時の国際交流を積極的に行う中、仏教を厚く信仰し、日本の各地に仏教を広めるために法隆寺や四天王寺を建立するなど日本の歴史を語る上で欠かせない偉人の一人なのは、あなたもよく知っていることでしょう。
そんな聖徳太子には様々な逸話やエピソードがあり、中でも有名なのが楽曲にも登場している「一度に10人が発した言葉を一つも漏らさず全て理解し、的確な答えを返した」という「豊聡耳(とよとみみ/とよさとみみ)」の逸話。
普通ならば「一遍に言いたいことを言われた日にゃあ、まともに話を聴くなんてできる訳がない!」と思ってしまうでしょうけれど、それをやってのけたところが聖徳太子の凄さですよね。
果たして本心はどうだったのか?
今でいう「ウザい」、「やかましい」、「一遍に喋るな!」なんて思っていたかもしれませんよね。
ゆえにこの楽曲の全容は、「豊聡耳」の逸話を持つ太子が心の中で感じていた「本音」が描かれていると考えられるでしょう。そのことはこういった部分に描かれています。
あなたの声しか聞けないわ
なんで順番守らないかな
一度に話しかけるな
キレそうだわ
引用元-Lyrical Nonsense
押すなよ押すな
順番に聞くから
ちょっとは落ち着いて
いっぺんに話されても
わからないから
ちょっとだまっといて
引用元-Lyrical Nonsense
1人ずつ話して欲しいんだ
できれば
十人も話したら
まるでドルビーサラウンド
引用元-Lyrical Nonsense
あなたの話が聞きたいわ
違うお前じゃない
割り込むな
相談者の民度はどうなってんだ
話聞くのもうやめた
引用元-Lyrical Nonsense
聖徳お悩み相談室
少々並びお待ちください
そんな悩み相談室
みんな 彼を頼っている
引用元-Lyrical Nonsense
「聖徳お悩み相談室」を舞台として繰り広げられるドタバタ劇。「我先に!」と太子先生に思いの丈をぶちまけようと集まる人々で大騒ぎになってしまい、太子先生も疲弊気味…
真っすぐに目を見て
真剣に聞いているようで
今日の夕飯のことを
考えてる
引用元-Lyrical Nonsense
あまりのことに、しまいには、こんな風になっちゃう…
しかしながら「なんとか力になって差し上げたい」と、民度はともかく悩み多き世の人のために懸命に話を聴こうと奮闘する太子先生の姿は、これから先の未来においても人々にとって「神様」であり「希望の光」となって、安息の日々を送る原動力になっていることだろう。
といった意味合いの歌詞になると筆者は考えます。
着眼点が面白いですよね。
人数はともかくとして「人の話を聞くこと」は
とても気を遣いますし身体を使って運動するよりも疲れてしまうもの…
筆者もケアマネジャーとして高齢者の話を聞く際には、しっかりと話を聞こうと神経を尖らせながら、話しやすい雰囲気作りをしていた記憶があります。疲れるのですよ、本当に。
しかしながら、ただただ聞いているだけではなく、ちゃんとした応対もしないといけませんから「どんな言葉でお返しすればいいのか」を考える必要があり、これまた神経を遣う…
聖徳太子って、本当にすごい人だったのだなぁと感服してしまいます。
ここで筆者には少しばかり疑問が。
それは「聖徳太子は、本当に各人に的確な答えを返していたのだろうか?」というものです。
もし仮に「本当に的確な答え」を返していたのだとしたら、おそらく「聖徳お悩み相談室」はこんなに賑わっていなかったのではないか?むしろ悩みを打ち明ける人たちの反感を買ったりすることが多かったのではないか?と筆者は考えます。
悩みを打ち明ける人の心の中は、ある程度の「自分本位の考え方」と「自分なりの解決策」を持ち合わせながら、話を聞いた人から発せられる言葉と照らし合せて「都合の良い解釈をする」と考えた時、太子が行っていたのは「的確な答えを返す」ではなく「悩みの根源に気づかせて、その人の未来に向けての考え方を整理する」ことだったのではないでしょうか。
人はそれぞれに唯一無二の存在であり、考え方や生き方は様々。
生まれた日や時間、場所、育まれた環境、愛する人や仲間などは違っていますよね。
似たような喜びはあるにしても、同じ悲しみはきっとないのではないでしょうか。
そう考えた場合、太子は悩みを打ち明ける各人の「生き様」にしっかりと「傾聴」し、その当時の背景などを踏まえ、その人が行った行動や抱いた心境などを思い返してもらい、悩みの根源はどこから始まったのかを気づかせることで、未来へ向けての考え方を整理整頓していたのではないかと筆者は考えます。
だからこそ、人は皆、太子を頼っていたのではないでしょうか。
これは現世においても通じることであり、太子が行ったことが1800年以上も後の時代においても重要なこととして受け継がれていると考えた時、筆者がこの歌が現世に伝えたい想いの本質とした「傾聴しながら思考を整理整頓」の真意が分かることでしょう。
まとめ
今回は 水曜日のカンパネラ の 聖徳太子
歌詞の意味を考察し
この歌が現世に伝えたい想いの本質をお伝えしました。
BRAND-NEW MUSIC DAYSでは
この他にもたくさんの楽曲をご紹介していますので
そちらの方もどうぞご覧くださいね。
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