【メンタルエイド】BRAND-NEW MUSIC DAYS
今回、あなたの心に届けたい楽曲は
RADWIMPS の うるうびと です。
歌詞の意味を考察し
筆者がこの歌が届けたい想いの本質であるとした
この世の誰もが「うるうびと」の真意をお伝えします。
命をテーマとした5分23秒の壮大な物語
引用元-ファッションプレス
繊細かつ聡明なサウンドとメッセージ性の強い歌声が私たちの心をわしづかみにする、2001年に結成された日本のロックバンドRADWIMPSが、2022年に発表したこの曲。
(C)2022年 映画「余命10年」製作委員会
全編5分23秒の「命」をテーマとした壮大な物語は
小坂流加さん原作、小松菜奈さんと坂口健太郎さん主演の映画
「余命10年」の主題歌として書き下ろされました。
(C)文芸社文庫
原発性肺高血圧症という難病と立ち向かいながら、小坂さんが執筆された小説の映画化。
主人公である茉莉(小松奈菜さん)が難病を患い、余命10年の宣告を受ける形であることを考えた時、この映画は原作者の小坂さんの生きた10年間の闘病生活を投影するものだといえます。
実際に楽曲制作をする中で、RADWIMPSの野田洋次郎さんは
シーンを観ながら、茉莉や和人やその周りでたしかに生きる登場人物たちに どんな音で寄り添うべきなのか、背中を押すべきなのか、幾度もの苦悩もありました。 編曲もすべて終わり最終のオーケストラの本番レコーディングで やはり画面を観ながら涙がポロポロと出てきました。 この映画には、茉莉の人生には、きっとご覧になるあなたが 明日からも生きていく意味が詰まっていると思います。
と語っており、主演の小松奈菜さんは
命は軽いものではないからこそ、中途半端な気持ちで挑むつもりはなかったし どうすればこの気持ちを自分なりに伝えることができるのかを模索してきた。 最後を見るのではなく、茉莉の生きている証をどう刻むのかを考え 彼女の人生を生きようと覚悟を決めた。
とコメントしています。
主旋律はピアノですが、1番のサビが終わった直後から一斉に奏でられるオーケストラの演奏が、この歌の世界観のすべてを表現しているように感じられ、少年のような透き通る歌声が想いの強さと切なさの両方をイメージさせながら、聴いている人たちの心の琴線を振るわせ、自然と涙が溢れてくる…そんな楽曲です。
歌詞の意味を考察!20㎝先の君を目指した想いの果てに…
主人公・茉莉(小松奈菜さん)と過ごした日々を振り返りながら、後悔や惜別の想いを抱きながらも、出会えたことに感謝し、前を向くといった和人(坂口健太郎さん)の姿が投影された歌詞。
1番の歌詞から考察していきます。
ホントみたいな嘘ばかり 頬張り続ける世界で
嘘みたいなホントばかり 抱えた君は窮屈そうに 笑った
Source: https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/radwimps/uruubito/
元気すぎるこの身体に 飽きた頃に熱が出ると
なぜか妙に嬉しくてさ 大きな声で 母の元へと駆けた
Source: https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/radwimps/uruubito/
この2つのフレーズは、一見すると何処にも接点がないように感じますが、「元気過ぎる」からのフレーズは「子どもの頃にはどんな些細なことでもお母さんに話していた」という想いから、茉莉のことを想い「どんな些細なことでも一緒に共有したい」と願う和人の姿が投影されていると感じられます。
余命を知っているがために、できるだけ人との関わりを少なくしようとする茉莉の想いを分かった上で「生きている限り、自分ができることで幸せを感じてもらいたい」とする和人の心情が読み取れます。
心の色、形 まるで違う
二つの魂が混ざった時 何が起こるかな
あといくつ心臓があれば僕は君の手を掴んで
この胸の中に 攫えるだろう
今や人類はこの地球を 飛び出し火星を目指す
なのに僕は20センチ先の 君の方が遠い
Source: https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/radwimps/uruubito/
この世に「奇跡」が存在するのであれば
2つの魂が混ざり合った時の「化学反応」によって起こしたい。
それでも足りなければ、命をかき集めてでも奇跡を起こしたい。
命の期限を知り、自らの生き方を制限する形にシフトした茉莉。
命の期限があるからこそ、たくさんの幸せな想い出を一緒に作ろうとする和人。
逃れようのない現実を目の前にした2人の心の距離は
たった「20㎝」であっても果てしなく遠いように感じてしまう…
こんな感じになるでしょう。
続いて2番の歌詞です。
小さすぎるその背中に 大きすぎる運命背負い
「僕も持つよ」と手貸そうにも この手すり抜け
主の元へと帰る
目を離したらすぐにまた
いびきをかきはじめる僕の 細胞起こしたのは
あといくつ心臓があれば 君にこの気持ちを
過不足なく僕は 伝えられるのだろう
今や人類を超える知能が 生まれているのに
僕の言葉は足踏みを ただ繰り返す
Source: https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/radwimps/uruubito/
全体として「20㎝の距離感」を見事に表現していると筆者は考えます。
自らが背負った運命を、誰にも背負わせることはしない。
そうしてしまうと、自分の心が壊れてしまいそうになる…
それでも「自分にできることから」と彼はいい、優しく手を差し伸べるけれど
越えられない距離と時間の中で、優しさに触れることに怯えてしまう自分の弱さを知る…
人が抱く心情に一番合った言葉を人工知能は選び出すのだろうが
人のリアルな心情にまで届く言葉となると、きっと選び出せはしないだろう。
だってそうだろう?
血の通った人間同士が、お互いを想い合って伝える言葉には
決して人工知能には理解できない「意味」があるのだから。
茉莉の生きる余命10年間を俯瞰して
自分の生きる10年間を見た時に
和人自身が「自分が生きる意味」を知っていく。
引用元-ファッションプレス
そしてそれが「彼女と生きる10年間」だとした時
決して特別ではないけれど「彼女が生きる意味」として伝えたい想いが生まれる。
その意味を持った言葉を伝えたい…
でも、どう伝えたらいいのか分からないからこそ
彼女の本心まであと20㎝の所で
彼は足踏みを繰り返しているのではないでしょうか。
そして、歌詞はブリッジ部分に差し掛かります。
全人類から10分ずつだけ寿命をもらい
君の中どうにか 埋め込めやしないのかいそれか僕の残りの 命を二等分して
かたっぽをあなたに 渡せやしないのかいそしたら「せーの」で
Source: https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/radwimps/uruubito/
来世に 乗れる
非現実的な言葉が並んでいるように見えますが
言葉の本質は「死ぬまで一緒に生きよう」ということ。
この部分に「20㎝先を目指した想いの果てに見えたもの」があります。
それは、何なのか?
共に生きた「軌跡」という名の「奇跡」だと筆者は考えます。
10年ではなく、20年先も30年先もずっと一緒に生きよう
お互いの想いを確かめ合い、愛し合いながら
共に命の尽きるその日まで生きて、「せーの」で乗った来世でも一緒に…
それでも奇跡は起きなかった…のか?
いや、奇跡は起きた。
彼女と出会い、一緒に過ごす日々の中で
お互いに諦めかけていたものを一緒に手にすることができた。
このことだけでも、私は奇跡だと信じたい。
それを象徴するのが、大サビの最後のフレーズ。
「あなたは私がこの世界に 生きた意味でした」
Source: https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/radwimps/uruubito/
この言葉へとつながっていくと筆者は考えます。
歌詞考察は、ここまで。
最後の章「総合考察」では、筆者がこの歌の想いの本質であるとした
この世の誰もが「うるうびと」の真意をお伝えします。
総合考察:この世の誰もが「うるうびと」~「うるうびと」とは、この世に生きるすべての人々のこと~
引用元-ファッションプレス
タイトルになっている「うるうびと」
「うるう年」ならば耳馴染みのある言葉ですが「うるうびと」とは?
そう感じている人も多いでしょう。少し解説していきます。
「うるうびと」という言葉は存在せず、映画の内容にリンクする形で捉えた場合「通常の人生の1/4しか生きられない彼女」を表すとしているものはありますが、それならば「数奇」や「稀有」といった言葉でも意味は通りますよね。
映画を観れば確かに「数奇な運命を辿った人」を「4年に1度訪れるうるう年」に見立てて「うるうびと」としていると感じますが、これは「映画を観た印象から」であり、この歌が伝えたい本質ではないと筆者は考えました。
では、「うるうびと」の本質とは何なのか?
それが「この世に生きるすべての人々」だということなのです。
人がこの世に生を受けた時
生年月日、生まれた時間や場所、身長や体重、産声の状態など
そのすべてが全く同じ人など何処にもいませんよね。
生まれてから過ごす場所、育った環境、友達、仲間、恋人など
成長するにつれて培われていく体験や経験も
「似ている」とはいっても「全く同じ」ではありません。
で、あるならば「どんな人も唯一無二の存在」だということになり
言葉的にはそれぞれの人間は「稀有な存在」だといえますし
その存在自体が「うるうびと」であると筆者は考えます。
引用元-ファッションプレス
この世に生まれ、どんな運命を辿るにしても、精一杯生きた証を遺したい。
人は誰もがそう願っているのではないでしょうか。
その願いを脇目も降らず自分のエゴだけで叶えようとするのではなく
分かち合い、支え合いながら叶え合って生きる
このことが、今を生きるすべての人たちの心に根差したら
幸せな気持ちや喜びに溢れた笑顔は増え
流さなくてもいい涙は減ることでしょう。
これが「うるうびと」の本質であり
筆者のいうこの世の誰もが「うるうびと」の真意です。
まとめ
今回は
RADWIMPS の うるうびと
歌詞の意味を考察し
筆者がこの歌が伝えたい想いの本質とした
この世の誰もが「うるうびと」の真意をお伝えしました。
BRAND-NEW MUSIC DAYSでは
この他にもたくさんの楽曲をご紹介していますので
そちらの方もどうぞご覧くださいね。
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