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人間の奇跡~人間はなぜ、奇跡を起こすことができるのか~

よもやま話
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今回のよもやま話は、非科学的事象と私が勝手に思っている「人間の奇跡」についてです。

「何事においても科学で立証されないものはない」と仰る方々もおられますが、実際のところ「何でもかんでも科学で立証されなければ気が済まない」という考え方って、私にとっては窮屈でしかありません。

発想や思考は誰においても自由であり、独創的であろうと「その人の唯一無二な考え方」な訳ですから、社会通念などを持ち出して批判や非難をすることよりも「新しい視点」「新しい考え方」として受け止めた方が、今まで以上に視野が広がるのではないでしょうか。

科学というものが、どれだけ現世までにおいて進歩を遂げて、様々な分野で私たちの暮らしなどに恩恵をもたらしているのかは、私は否定しませんがどれだけの頭脳を用いたとしても立証されない事象というものは少なからず存在したっていいですし、現に存在しますよね。

それだけ人間という生き物は「神秘的」であり「未知なる動物」だと私は考えます。

今回、こちらのchでお話することにしたきっかけとなった動画があるんです。

2019年7月28日放送分のCX(フジテレビ)「ボクらの時代」に出演された野沢雅子さんが体験した「アニメの力って、何なんだろう」といったエピソードになります。

30分番組の中から抜粋されたお話の一部をご覧いただきながら、後半の考察部分を一緒に考えてまいりましょう。

人間はなぜ、奇跡を起こすことができるのか

余命わずかの少年の心に生きる力を与えたもの…

それはただ単に「大好きなキャラクターからの励まし」として捉えるのではなく、その想いを何としてでもつなげようとしたご両親や医療関係スタッフの方々(お医者さんや看護師さん、看護助手さんや他の入院患者の方々も含めます)の愛なのではないでしょうか?

この動画の中では「アニメ(アニメキャラクター)」がその「奇跡」を生み出したように伝えられていますが、何もアニメのみならず、音楽や映画、演劇、歌舞伎などのアーティスティックなものにおいても、心の支えや愛を生み出してくれるものだと私は考えます。

ここまでお話して、あなたの目の前に広がる現世を視てください。

アーティスティックなものは、すべてにおいて「ソーシャルディスタンス」「緊急事態宣言」「まん延防止等特別措置」なる不条理な文言によってほとんどの場合「中止」…

あったとしても「リモートによる無観客ライブ」ですよね。

「アーティストの音楽や芸術を表現するのには、別に観客なんか呼ばなくても配信で十分。」

とでも言いたいのでしょうか?

アーティストが自分たちの音楽や芸術を表現するためには「アーティストが発するパッションを、1つの空間の中で共有することによる一体感」が重要。

コンサートでは、大好きな歌手やバンドメンバーが伝える歌声やメロディー、シャウト。

演劇では、俳優が演じる役柄が語りかける言葉の強弱や細やかな感情表現となる所作。

こういったものを共有することで一体感が生まれ、人々の心と身体に何らかの化学反応が起こった末に「奇跡」というものがあるのではないでしょうか。

そう考えた場合、「パブリック・ビューイングに毛の生えたようなもの」で、人々の心身に奇跡が生じるなんてことはありませんよね。

喫緊に迫った「東京オリンピック」にしてもそうです。

聖火リレーと称しても、実際は「新型コロナウィルス感染防止のため」といって隔離された公園内をグルグル回っていたりする所がある中で一体感など生まれる訳がありませんし、「ただやればいい」だけの話であれば、アスリートの皆さんの頑張りって何なのでしょう?

不安を抱えながらポテンシャルを維持し続けることって並大抵の精神力ではできないことであり、それを強いてまで「金儲け」や「権力者の道楽まがいの場」に引っ張り出してするものなのでしょうか。

競技場や沿道で声援を受け、大観衆のどよめきや興奮の中で最高のパフォーマンスが行えるからこそ「一体感」が生まれ、「前人未到の世界記録」などといった奇跡が起こる。

そこにはきっと「観護られている」という「確固たる安心」があるのでしょう。

だからこそ、人間は奇跡を起こすことができるのではないでしょうか

人々が抱く夢、希望、未来への想い。その中には確かに一抹の不安もあるかもしれません。

しかしながら、その不安を大きくして、そのことばかりに焦点を当て続け、苛まれてばかりでは心身ともに崩壊してしまいますよね…

確かな安心、信頼、心からの励ましや愛が、個々の心の中にある信念へと結びついた時、人間は想像をはるかに超えた「奇跡」を起こすことができると私は考えます。

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