【メンタルエイド】
BRAND-NEW MUSIC DAYS
今回あなたの心に届けたい楽曲は
あいみょん さんの 会いに行くのに です。
歌詞の意味を考察し
この歌が現世に伝えたい想いの本質をお伝えします。
どうぞ最後までご覧ください。
楽曲紹介ならびに楽曲を聴いた筆者のイメージ・感想
心に寄り添うメロディと等身大の歌声が私たちを魅了する日本の女性シンガーソングライターあいみょんさんが、杉咲花さん主演のカンテレ系ドラマ「アンメット-ある脳外科医の日記-」の主題歌として書き下ろしたこの曲。
ドラマの概要
講談社「モーニング」にて連載中の
子鹿ゆずるさん原作の漫画(タイトルは同じ)をドラマ化。
※アンメットとは「満たされていない」という意味を持っている。
不慮の事故により記憶障害となった
脳外科医・川内ミヤビ(杉咲花)が
目の前の患者を全力で救うと同時に
変わり者の脳外科医・三瓶友治との出会いをきっかけに
悩みや葛藤を克服しながら1人の脳外科医として再生していく
医療ヒューマンドラマ。
楽曲について、制作者のあいみょんさんは、こんな風にコメントされています。
枕を見た時に浮かび上がる記憶。
吞み過ぎた日の次の日にグルグル回る嫌な記憶。
バレンタインが来るたびに蘇る記憶。
さまざまな記憶が私の中で生きていて
その記憶が私の財産になり、曲になります。
“記憶”が鍵になっているドラマの中で
この曲がどんな風に聴こえてくるのか、とても楽しみです!
楽曲を初めて聴いた筆者のイメージは「雨上がりの陽だまり」でした。
悲しみに濡れた心を仄かなぬくもりで包み
優しく温めてくれるようなメロディーラインが
心地よく耳に届く楽曲だと筆者は感じました。
歌詞の意味を考察!記憶ではなく想いをつなぐ
さて、歌詞考察に入ります。
全文については、コチラからご覧ください。
冷蔵庫の中には 食べ損ねたラブレター
ひとつずつ ひとつずつ 白くなる
赤い小さな箱には 渡しそびれたリング
もう四月 もうひとつ 息を吐く
あいみょん「会いに行くのに」 引用元-LYRICAL NONSENSE
食べ損ねたラブレターは「失っていくもの」であり、渡しそびれたリングは「目の前にあるもの」を意味しているとすれば、冷蔵庫と箱、白と赤といった対比は「多くの記憶を失い、僅かな手がかりだけが残されている」ことを表していると考えられ、このことから吐く息は「ため息」だと筆者は考えます。
これが夢だったら 何度も繰り返して君を
何度も分かったふりをして 傷つかない方法を見つけたい
あいみょん「会いに行くのに」 引用元-LYRICAL NONSENSE
失っていったものがあまりに大きく、目の前に広がる現実を受け容れられない…
愛する人や大切な人を悲しませることが、私にとって何よりも辛い。
あぁ… これが夢だったらどんなに気持ちが楽になるだろう…
そんな心情が窺えますよね。
さぁ!サビへと向かいましょう。
あと何回同じ冬を通り過ぎて 錆びたままの部屋で
君を待つには寒すぎる 心はもうもたないよ
あいみょん「会いに行くのに」 引用元-LYRICAL NONSENSE
錆びたままの部屋とは「メンテナンスしていない部屋」というイメージから「凝り固まった思考」を意味していると筆者は考えます。
心の中で葛藤し、いろんな思いの中でもがくけれど
現状は何一つ変わらず、季節だけが巡っていく…
私の心が凍えているのが手に取るように分かる。
でも、何もしてあげられない… 辛くて、苦しくて、張り裂けそうだ…
こんな感じになるでしょう。
ああ 初めてのあの日に戻ったなら
明かりの無い街も
愛して 愛を知って 会いに行くのに
あいみょん「会いに行くのに」 引用元-LYRICAL NONSENSE
初めてのあの日とは「出逢った日」ということでしょうけれど
ドラマの内容からすると「記憶が失われる前」とも考えられます。
明かりの無い街は「失われた記憶を辿り彷徨う心」。
愛して、愛を知って、会いに行くとは『不安に慄き、震える心を優しい温もりで包まれた感触を抱いて、どんな悲しみや苦しみからも解き放ってあげたい』という心情を表していると筆者は考えます。
歌詞考察は、ここまで。 この後はこれまでの考察を含めた「総合考察」。
楽曲タイトルに込められた深いメッセージから
この歌が伝えたい想いの本質と真意についてお伝えします。
総合考察:楽曲タイトルに込められた深いメッセージ!「記憶ではなく想いをつなぐ」の真意とは?
楽曲タイトル「会いに行くのに」
素朴な疑問として湧き上がるのが「何に(誰に)会いに行くのか?」ではないでしょうか。筆者もこのことに興味が湧きましたので、ドラマの内容なども踏まえながら深掘りしていきたいと考えます。
不慮の事故による後遺症として、我が身に降りかかった“記憶障害”
過去について思い出すために必要になる「記憶」を忘れるのではなく「失う」のですから、心の中は苦しみに苛まれ、計り知れない恐怖と悲しみが渦巻いている…
頼みの綱は「毎日認めている日記」であり、それが「昨日のみならず過去の自分に会える唯一のカギ」となっていると考えた時、会いに行くのは「過去の自分」ということになるでしょうが、果たしてそんな単純なものなのか?
日記に書かれているのは「過去にあった事実のみ」であり、それを書いている時の自分の「リアルな心情」にまでリーチできなければ、日記に書かれていることは一つの「点」でしかないのではないか。
点と点がつなぎ合わさって線となり
それが過去現在、そして未来をつなげていく。
それが「記憶」だとするならば
会いに行くのは「過去の自分」だけではなく
「生き様」なのではないかと筆者は考えます。
「会いに行くのに」とは、過去の自分に会いに行くのに必要な「その時のリアルな心情」が点を線としてつなぎ合わせているのかを確かめようとする「想い」であり、その想いがつながって「生き様」になることを意味していると筆者は考え、この歌が現世に伝えたい想いの本質を「記憶ではなく想いをつなぐ」としているのです。
まとめ
今回は あいみょん さんの 会いに行くのに について
歌詞の意味を考察し、この歌が現世に伝えたい想いの本質をお伝えしました。
BRAND-NEW MUSIC DAYSでは
この他にもたくさんの楽曲をご紹介していますので
そちらの方もどうぞご覧くださいね。
※あいみょんさんの楽曲については、他にも歌詞考察を行っています。
興味のある人は、コチラも併せてご覧ください。
コメント