
【GLAY×小田和正】
“悲願”が紡ぐ、“光”と心の祈り
【メンタルエイド】
BRAND-NEW MUSIC DAYS

毎回、一つの楽曲を徹底考察し、あなたの心に癒しと力をお届けする本シリーズ。
今回は、GLAYの「悲願」を考察します。
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はじめに

GLAYの「悲願」(正式タイトル:「悲願 GLAY feat.小田和正」)は、2025年4月23日にリリースされるデビュー30周年記念ベストアルバム『DRIVE 2010~2026』のDisc2・14曲目に収録された楽曲。
小田和正さんとの奇跡のコラボレーションによるこの一曲は、リリース前から大きな注目を集めていました。
本記事では、「悲願」が伝えるメッセージ、歌詞に込められた意味、そして“悲願”という言葉が私たちに投げかける本質的な問いを丁寧に読み解いていきます。
どうぞ最後までお付き合いください。
楽曲イメージ
先行音源から感じた世界観

先行配信された音源を聴いてまず浮かんだのは、“桜舞う風の向こうに見える光”というイメージでした。

ピアノ(またはキーボード)による叙情的な旋律が胸に染みわたり、TERUさんのエモーショナルな歌声によって、哀しみと希望、そして“悲願”の物語が始まります。
その歌声に、小田和正さんの透明感ある声が重なり合うことで、まるで“祈り”のような荘厳さが加わり、楽曲全体をやさしく包み込んでいく。

TERUさんと小田さん、それぞれの声が十二単のように折り重なり、出会いと別れ、喜びと悲しみ、命の始まりと終わりを映し出す…
人生の儚さと美しさが織り成す壮大なドラマが、静かに、しかし力強く響く――そんな楽曲だと筆者は感じました。
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歌詞の意味を徹底考察!
※公式な歌詞は未発表なため、音源から聴き取った歌詞について考察を進めていきます。正式発表後にさらに深掘り予定です。

サビの歌詞から読み解く“悲願”
悲しみは永遠(とわ)に消えて
喜びは永遠(とわ)に溢れる
愛を呼ぶ愛しき君が 心に浮かぶ
幾千の星 願う恋心 はためかせては
生きるとは死を知ること
死を知れば 生(せい)
「悲しみは永遠に消えて/喜びは永遠に溢れる」
このフレーズからは、命の営みの中で悲しみがやがて光へと昇華されていくような、希望のイメージが浮かんできます。
「愛を呼ぶ愛しき君が 心に浮かぶ」
“君”は恋人か、友人か、家族か、あるいは既に亡くなった存在かもしれません。
大切な誰かを想う時間こそが、人生の中で最も尊く、心を満たす瞬間であると感じさせます。
「生きるとは死を知ること/死を知れば 生」
命に限りがあると知ったとき、私たちは初めて“生きる意味”に気づきます。
死の存在があるからこそ、何気ない日常の一瞬がかけがえのないものとなる。
そんな哲学的な真理が、この短い言葉に凝縮されています。
まとめ
「悲願」とは 死と生、喜びと悲しみを越えた先にあるもの

今回は、GLAYの楽曲「悲願」を徹底考察しました。
「悲願」は、人がいつか迎える“死”という現実と向き合いながら、その中での出会い、愛、喜び、別れ、悲しみを乗り越え、また前を向く──そんな人間の営みを、深く、やさしく、そして静かに描いた楽曲です。

あらためて考察を見て行くと、“悲願”とは、哀しみの果てにある希望であり、命の営みの中で最後に辿り着く“心の祈り”なのかもしれませんね。
アウトロに残る余韻は、終わりではなく“また始まり”であることを予感させ、聴く者の心に“輪廻”のような感覚を残します。
そしてきっと、あなたはもう一度この楽曲の最初に戻り、“悲願”の意味を探したくなるでしょう。
BRAND-NEW MUSIC DAYSでは
この他にも多くの楽曲を考察していますので
そちらの方もどうぞご覧くださいね。
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