今回の「よもやま話」は
国民として私たちは本当に護られているのか というお話です。
※あまり楽しい記事ではありませんが、現世を考える上では大変重要な記事だと思います。
どうぞ一緒に考えてみてくださいね。
皆さん、「護」という漢字を見たことはあるでしょうか?
「そんなもん、何回もあるわ!」とあなたは言うでしょう。
では、「護」と言う漢字の持つ「意味」は?
「○○をまもる」ということですね。
「護」のつく言葉を幾つか並べてみると、
看護、介護、愛護、保護、擁護、養護、弁護、警護、防護、庇護、護送、護衛など。
これらすべて「人が人を護る」という意味で使われている言葉です。
なぜ今、こんなことを言うのか?
私が感じているのは、長きに亘る日本社会(今もそうですが)においては
この「護」の意味が、「誤」の意味になってはいないか
ということなんです。
このことをふまえて、今の日本の社会を見てみると
- 体のいい理由を並べ立て、小さな手のひらからもむしり取る税金
- 幼児・児童への育児放棄や高齢者への虐待、社会的弱者への誹謗中傷…
- ストーカーなどが忍び寄る影に怯えても「事が起こってから」対応する関係官庁
- ザルより劣る「水際対策」でスイスイと「検疫」をすり抜けて入り込んだ「ウイルス」
- そのウイルスについての検査において「陽性者」となった人を「感染者」に仕立て上げ、連日のようにその数ばかりを伝えるメディア
- 「ワクチンを接種すれば、感染などしなくなる」と「根拠のない戯言」を自信ありげに伝える大臣
- 「安心安全な大会」と宣う傍らで発生している「選手村内でのクラスター」
これらすべてが「愛誤」「養誤」「警誤」「保誤」などになっているように私は考えます。
これが国民1人1人の誤った思考によって生み出されている社会なのであれば、政府がそれを正す役割を担う訳ですが、問題なのは「政府が率先して誤った思考を押し付けている」ことにあるのではないですか?
「何でもかんでも政府のせいにして」、「首相だって人間なんだから」などと「擁護」する意見もあるでしょうが、考えてみてください。
「すべての国民の安心と安全を担保し、不安少なく笑顔の多い暮らしを実現させること」が政府の役割であり、首相を含めた全政治家の「責務」だと考える時、今やっていることを「擁護」することこそが「擁誤」であり「誤り」なのではないでしょうか。
先日終了したオリンピック、パラリンピックにおいても「緊急事態宣言下」でのもの。
アスリートの健康管理において「ワクチンの接種やウイルスの検査、感染対策を万全にしていた」と胸を張り、それを支持する人がいますが、私が言っているのは「健康管理」であり「体調管理」ではありません。
確かに身体面では護られていたのかもしれませんが、精神的なストレスを抱えてしまい、思うようなパフォーマンスができなかったアスリートも少なからずいる中、その人たちに対して何某かのケアをされたのでしょうか?
そんなことは政府のすることではない。という人もいるでしょう。
「こんな時期に強行開催しておいて、アスリートの心身の変化は自己管理」では、「あなたたちは広告塔であり、客寄せパンダです」と公言しているようなものです。
では、政府のすることって何なのでしょうか?
先程お伝えした「すべての国民の安心と安全を担保し、不安少なく笑顔の多い暮らしを実現させること」であるならば、如何なる人であっても「護る」ことが基本でないといけませんし、国を導いていく者として、どんなことがあってもミスリードも許されませんよね。
私がブログを通じて発信させていただいている「人間にとって、一番大切なもの」とは何か。
今の日本の社会において「本当に必要なもの」とは何なのか。
それは「護」という漢字の持つ「本当の意味」へとつながって行くと私は考えます。
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