終戦の日の本当の意味を、子どもたちに大人がどう伝えるか

子育てちゃんねる

今回、子育てちゃんねるがお送りするのは

終戦の日の本当の意味を、子どもたちに大人がどう伝えるか です。

誰もが1度は学校などで教わる「終戦の日」

史実によれば「1945年8月15日」が終戦の日とされていて、午後12時に時の天皇陛下による「玉音放送」にて、1941年から続いた太平洋戦争は終結した。となっています。

(めちゃめちゃざっくりとした説明ですね…)

私も小学生の頃にそのように習いましたし、子どもたちにおいてもそんなに違いはないようですが、私自身は戦後生まれであり、子どもたちにおいては昭和を通り越して「平成」生まれ。

憲政史上最も長く続いた時代「昭和」、そして終戦の日について、令和の世に生きる子どもたちにどう伝えるか。

今回は【終戦の日】特別企画として、私の父と母を交え、小学生当時の息子と娘に私がどのように伝えたのかをお話したいと考えます。

そしてその後、現世を生きる子どもたちへ、私たちが伝えていかなければならない「終戦の日の本当の意味」について、皆さんと一緒に考えてまいりますので、どうぞ最後までご覧ください。

それでは始めていきましょう!


語り聴く昭和と戦争①:終戦の日の意味を伝えようと思ったきっかけ

私が子どもたちに終戦の日の意味を伝えようと思ったきっかけは、息子が小学4年生の夏休みの出来事が始まりでした。

テレビを観ていた子どもたち。バラエティー番組全盛の頃で、笑い声が心地よく響いていましたが、しばらくすると息子が「お父さんこれ何?」と私を呼ぶ声が。

息子の指差す画面を見ると、原子爆弾投下直後の「きのこ雲」が映っていました。

1945年の8月6日広島に、8月9日長崎に原子爆弾が落とされた直後にできたもので、多くの人が一瞬のうちに亡くなり、今もなお原子爆弾の後遺症で苦しんでいる人がいるんだよと話すと、

「誰がこんな悪いことをしたの?」 と息子。

小学4年生ともなれば、ある程度のことは「知っておくべきこと」として、小学2年生の娘も交え、私が両親や先生などから教えられたことや語り継がれたことなどをできるだけ分かりやすく話して聞かせると 「でも・・・」


何か彼には引っかかることがあるようだったので、感じたことを話すようにいうと、息子はこう言ったんです。

日本は、何も悪いことをしてないのにアメリカに爆弾を落とされたの?


私の小学校時代には、授業の中に「10フィート映画」の上映会があり、原子爆弾の恐ろしさや被爆直後の様子などが映された20分~30分程度の映画を観て、戦争の悲惨さなどを学びましたが、子どもたちは「そんな映画は観たことがない」とのこと…

「はだしのゲン」「火垂るの墓」までもが「子どもに見せると云々かんぬん」といって放送などがされないようになっている昨今を考えると、戦争の悲惨さや残虐さというものを「単なるオカルトやホラーと一緒に考えている大人」が増えているように感じ、私はショックでした。


太平洋戦争のことは小学校・中学校・高校でも教科書等で学んではいますが

  • 実際に日本が当時、周りの国々に対して何をしたのか
  • あるいは日本の軍部が国民に対して何をしたのか

などと言った内容については詳しく教わった記憶がありません。

私ですらそんな状態であるにもかかわらず、私よりも若い世代の親であればなおのこと情報は少ないはず。仮に情報が多くなっていたにしてもそれをチョイスすることなく「見て見ぬふり」をして「臭いものとして蓋をする」感覚で、きれいなものばかりを子どもに伝えようと躍起になっている。

正しい歴史認識なくして、その先に通ずる未来など語れるわけがないですよね。

太平洋戦争は、1941年12月8日に日本がアメリカ・ハワイの真珠湾を攻撃して始まり、連戦連勝していたが、ミッドウェー海戦で負けて以降どんどん飛行機や戦艦が沈没し、敗色濃厚に。

1944年ごろになると、本土の主要都市での大空襲が頻発するようになり、1945年春の沖縄戦・その後の硫黄島戦を経て日本軍はほぼ壊滅。

そして広島・長崎への原子爆弾投下を受け、1945年8月14日ポツダム宣言を受諾し、翌日12時の「玉音放送」で戦争は終結した。


このことは単に「歴史のお勉強」です。

開戦から終戦までの間に日本軍が異国の地で人々に何をしてきたか

(南京大虐殺・従軍慰安婦など)

敗戦濃厚となった状況下において日本軍が日本国民に対して何を行なったのか

(ひめゆり部隊・学徒動員・集団自決など)を詳しく教わった人は、我々の世代では少ないでしょうね…

戦争を実際に体験された人々が年々少なくなって来ていますが、残酷さや悲しみに触れることに背を向けて、ただ単に「戦争があったこと」だけを語り継ぐのではなく「時代の真実」をきちんと理解し、語り継いで行かなければ、本当の意味での「終戦」を迎えられないのではないか。

そう考えた私は、父と母に電話で連絡を入れ「自分たちの憶えている範囲で構わないから、子どもたちに話してやってくれないか?」と伝えたんです。


語り聴く昭和と戦争②:実体験から語る「終戦の日」そして「それぞれの昭和」

父と母は「戦前生まれ」、私と妻は「戦後生まれ」と言うことで、それぞれに生きて来た時代背景はまったく違っています。

「平成生まれ」の子どもたちにとっては、「昭和という時代」については「???」の状態…。

そこで「戦時中」「終戦直後」「戦後」の3つに分けて、一番身近な視点から昭和という時代を伝えていくことにしたんです。

父も母も「奈良県生まれ」であり、戦時中においてはあまり「空襲」などにも遭わずに済んでいたようでしたが、大阪の方向に向かうB29 が低空飛行で飛び去って行く姿を間近に見て、恐怖のあまり震えが止まらなかったと父は話します。

食べ物においては相当苦労した様子で、配給制下、当然お米などは食べることができず、「芋のつる」「かぼちゃ」などを食べ、飢えを凌いでいたようです。

戦闘機の爆音が轟く中「いつ空襲が起こるのか」とビクビクしながら勉強をしていたようであり、それでも毎日必ず「竹槍訓練」はあったとのこと。

玉音放送を聴き、戦争が終わったことに周りの友達が流した涙と自分が流した涙とは違っていたと話す父。「終わってよかった」と父は泣いたそうですが、周りの友達は「戦争に負けたことが悔しくて泣いていた」ようだったそうです。

終戦後まもなく、実兄がビルマ(今のミャンマー)のマンダレーで戦死したという知らせを聞き、遺品もなく、ただ「死亡告知書」なる「紙切れ1枚」が届いたのみ…

家族は皆絶句し「涙も出ない程のショックを受けた」と語る父。

母もまた、兄弟を戦争で亡くし、父と同じような悲しみを抱きながら少女時代を過ごしたとのこと。


「戦後の混乱期」には、ただただ「明日生きること」ではなく「今日を生きること」で精一杯で、鉄くずを集めて売りに行き、わずかばかりの食べ物を食べながら過ごしたと、目を潤ませながら語る父。

「高度経済成長期」の話や「大阪で万博が開かれたこと」などを語ってくれた後、私とバトンタッチ。昭和50年代、昭和60年代の様子「昭和の終わりの日」の様子などを話すと、みごとに「昭和の歴史」がつながったようで、子どもたちにも意義あるお勉強となったようでした。


語り聴く昭和と戦争③:「一番身近から」「勇気を持って事実を視る」ことから戦争を知り、終戦を知る

先程の章でお伝えしたのが、父と母、私たちが子どもたちに伝えた「昭和」であり、「戦争」についてのすべてです。

これはあくまでも「自分たちに一番近い視点での歴史」であって、太平洋戦争の実態に迫るものとしては遠いものだと言うことは理解しています。

ですが、一番身近なものから理解していかないことには

  • どうしてお米が食べれないような暮らしをしていたのか(配給制)
  • どうして中学生の子まで戦場にいかないといけなかったのか(学徒出陣)
  • どうして捕まったら死なないといけないと思っていたのか(集団自決)
  • どうして飛行機(神風特攻隊)や潜水艦(人間魚雷)で突っ込んでいかないといけなかったのか
  • そもそも何のために戦争をしたのか

といった「戦争の本質の部分」への考え方にまで至らないのではないでしょうか。

それをするためには「現世代が確かな情報や知識を持って次世代へ伝えること」が重要。

しかしながら、終戦となって4分の3世紀経った今でも、解明された歴史はあまりにも少な過ぎていますよね…

共同通信社のインタビューで、女優の石原さとみさんが語った内容は、まさに私の言わんとすることと合致しています。

(共同通信インタビュー:石原さとみさん「残酷な事実、心が痛んでも知る勇気を」)

残酷な事実、心が痛んでも知る勇気を 俳優の石原さとみさん 被爆76年インタビュー | 47NEWS
テレビ番組の撮影を通じて被爆者や戦争体験者と出会ってきた俳優石原さとみさん(34)は今年5月、大切な...

本気で戦争をなくし、確かな平和を掴み取るためには高いハードルがあるようですが、本当に2度と戦禍に遭わないためには、親や大人が子どもたちと一緒に「視る、聴く、知る」ことが必要であり、それを確実にアウトプットすることが重要なのではないでしょうか。


まとめ(結びとして)

「何も悪いことをしていないのに、原子爆弾を落とされた」わけではない。

言い換えれば「何か悪いことをしたから、原子爆弾を落とされるに至った」になりますよね。

その「悪いこととは何なのか」について、様々な情報や議論の中で結局は「蓋をしている」状況なのではないですか? しかも今になっても。

その時代に日本が行なっていた多くの物事を私が知ったのは、社会へ出てから。

しかもそれは、全容をありのままに伝え聞くものではなく「勇敢に戦った御霊」などとの言葉で美化され、戦地で亡くなった人たちの本当の想いを理解しようとしていないものばかりでした。

終戦の日とは「310万人の御霊を云々などとカンペを棒読みし、献花して終わりの日」ではありません。

「310万人の言霊を聴き、黙とうの中で想いを確かめ合う日」が、本当の意味での「終戦の日」だと私は考えます。

(c)asahi.com

彼らが本当に伝えたかった「言霊」をしっかりと検証し、間違いを猛省し、次世代の子どもたちへ「あの戦争の中で、日本は関係する国々にこんな間違いを犯していた」と語り継ぐことこそが、あなたを含めた私たち大人の使命であり、確かな平和へと導いていく唯一の方法なのではないでしょうか?

今も何処かで戦争はあり、世界の誰かが犠牲となって、悲しみに暮れている人たちがいます。

「戦争はしてはいけないこと」「平和であることが何より幸せ」というのは誰でも言えますが、今在る平和や幸せは「いつ戦争が起こってもおかしくない状況」の上にあるものだと私は懸念しています。

令和の世を国民にとって喜びに溢れるものにするのか、悲しみに暮れるものにするのか。

キャスティングボードは、あなたのみならず私たち1人1人の想いの中にあります。

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