
――さぁ歌え!叫べ!笑え!そして、祈るのだ。
それが、あなたを”伝説の夜明け”へと誘ってくれると信じて。
―心に効く、音楽の処方箋―
【メンタルエイド】BRAND-NEW MUSIC DAYS

毎回、一つの楽曲を徹底考察し、あなたの心に癒しと力をお届けする本シリーズ。
今回は、椎名林檎さんの楽曲「芒に月」を取り上げます。
▶はじめに

椎名林檎さんの「芒に月」は、綾瀬はるかさん主演の
NHKドラマ「ひとりでしにたい」の主題歌として起用された楽曲です。
ノスタルジックなサウンド、絶妙に繰り返される転調が“人生”というカテゴリーにバッチリとハマり、
ドラマティックに展開されるメロディーを聴き込むほどに、楽曲の魅惑に惹き込まれていきます。
この記事では、そんな魅力的な楽曲「芒に月」のイメージやタイトルに込められた想い、
歌詞の意味を丁寧に深掘りし、伝えたい想いの本質に迫っていきます。
どうぞ最後まで、お付き合いください。
▶楽曲イメージ

筆者が初めてMVを視聴したとき、脳裏に浮かんだのは――
“現世の日本版サウンド・オブ・ミュージック”という言葉でした。
とはいえ、そこにあるのは、往年の名作が描くような華やかな光景ではありません。
むしろ、グロテスクさや残酷さすら孕んだ、“生きることへの讃美歌”というべき世界。

心の奥底を掘り起こし、
生きるという営みを、ときに冷徹に、ときに祝福のように表現する舞踏。
そして、人生の悲哀さえも優しく抱きしめるような、椎名林檎さんの歌声。
それは、私たちが忘れかけていた“命のリアル”を、
そっと、しかし力強く呼び起こすものでした。
林檎さんが紡ぎ出すこの世界は、どこか懐かしく、それでいて新しい。
そう――まさにこれは、現代人のための“祝祭”のように感じられたのです。
▶歌詞の意味を徹底考察!

それでは、いよいよ本題――
歌詞考察に入ります。
一見すると難解な言葉や比喩が多く、
まるで現代詩のような重層的構造を成しているこの歌詞。
印象的なフレーズをピックアップしながら、
丁寧に深掘りし、「芒に月」が私たちに何を伝えたいのかを
一緒に探っていきましょう。
※JASRAC管理楽曲のため、歌詞全文は掲載していません。
詳しく知りたい方は、以下のリンクからご確認ください。
■「幽霊の正体ご覧になって枯れ薄」――恐れていたものの正体は?
いえそう簡単じゃなさそうです
幽霊の正体ご覧になって枯れ薄とは
このフレーズは、古典落語や民話でおなじみの言葉――
「幽霊の 正体見たり 枯れ尾花」を彷彿とさせます。

月夜に風になびくススキ(=枯れ尾花)は、
人の目には幽霊のように映ることがありますが、それは”ただの草”。
つまり「恐れていたものの正体は、案外、取るに足らないものだった」
という教訓が、このフレーズの核です。
林檎さんがここで描いているのは、現代人が抱える漠然とした不安や孤独――
その“正体”に目を向けよという視点なのではないでしょうか。
- 幽霊=社会的なストレスや自分への否定。
- 枯れ薄=本来の人間らしさ、弱さ、そして脆さ。
そう考えると、この歌は
「それすらも抱きしめて、生きろ」と語りかける祈りの歌にも思えてきます。
■「南無阿弥陀仏(ナンマイダ)」と「参拝だ(サンパイダ)」――争いと救済の狭間で
ニンゲンニンゲン 双方ぶっ刺し合って
致命傷食らって南無阿弥陀仏
枯れ薄と言うニンゲンニンゲン
愛そうと愛したいと 列島行脚 参拝だ
争い、誤解、衝突――
まるで戦場のような人間関係の中、
やがて響くのが「南無阿弥陀仏」という救済の念仏。
それに続く「参拝だ(サンパイダ)」という語感は、
一見ユーモラスに見えて、実は命を賭した祈りのようにも響きます。

生きていれば、傷つけ合うこともある。
それでも、私たちはなお、救われたいと願う。
このくだりには、宗教的観念とユーモア、皮肉と真摯さが絶妙に同居する“椎名林檎らしさ”が詰まっていると筆者は考えます。
■「弥栄よ祝うよ」――人生の道程そのものへの讃美
遠くまで来た あなたを臨む夜が満ちていた
弥栄よ祝うよ
「弥栄(いやさか)」とは、古来より神道の祝詞などで用いられてきた言葉で、
「ますますの繁栄」「永遠の祝福」を願うもの。
このフレーズに込められているのは、
誰かの成功や幸福を祈る――というよりもむしろ、
試練を乗り越えて今ここに生きていること自体への祝福ではないでしょうか。
「遠くまで来た」という言葉には、
これまで越えてきた“夜”――
悲しみ、孤独、苦難の日々の記憶がにじんでいます。
だからこそ「弥栄よ祝うよ」は、
過去も今もすべて含めて、生の歩みに対する讃歌として響いてくるのです。
■英語詞パートの意味と、その象徴性
楽曲のラストに差し込まれる、印象的な英語詞。
突然の視点の転換、語り口の変化は、この歌が個から普遍へ、現実から理想へと飛躍していく過程を象徴しています。
Crossing over fields and the hills we overcome
(野原を越え、丘を越えて――私たちは困難を乗り越えていく)
Looking at the sky for the sky is what we share
(空を見上げる――それは、私たち皆が共有している希望)
Capturing the wind, blow us from this muddy place
(風をとらえ、どうかこの泥のような場所から私たちを運び出して)
Feeling every beat in the racing of my heart
(高鳴る鼓動の一打を、確かに感じながら)
ここで描かれるのは、人間の魂の普遍的な旅路。
「泥のような場所」とは、争い・欺瞞・自己否定――この楽曲前半で描かれてきた“現世の闇”。
でも、
風は吹き、空は広がり、心はまだ鼓動を続けている。
だから私たちは、
この場所から抜け出し、また歩き出すことができる。
この英語詞には、
“希望とは、誰かと共有できるということ”――そんなシンプルで強いメッセージが込められていると筆者は感じます。
▶楽曲タイトルに込められた想い

「芒に月(すすきにtsuki)」
――このタイトルに、あなたはどんな印象を受けるでしょうか?
まず目を引くのは、“平仮名とローマ字”が混在する独特な表記です。
なぜ「月」をあえて「つき」ではなく「tsuki」と表記するのか?
これは、「芒」という文字が「ぼう」とも読まれるために生じる意味の混乱を避ける意図と、
“これはあくまで「ススキと月」のイメージである”ということを明確に伝えるための手法だと言われています。
そのうえで、この「芒に月」が何を象徴しているのか。
ドラマの内容を含めながら、考察していきますね。

「芒に月」は、古来より十五夜の観月の風習を表す風流なモチーフであり、
花札の中でも縁起の良い札として知られています。

ススキを飾り、満月を愛で、秋の実りや命のめぐりに感謝する――
つまりこれは、“生の祝祭”そのものを表す象徴です。
しかし一方で、椎名林檎さんがこのタイトルを冠した楽曲は、
綾瀬はるかさん主演のドラマ『ひとりでしにたい』の主題歌。

物語は、30代後半の独身女性が“死”を見つめながらも、
それでもなお「どう生きるか」を這いつくばって模索する姿を描いています。
ここに、いったいどんな意味が込められているのでしょうか?
むしろこの“ギャップ”こそが、タイトルの本質だと筆者は感じます。
死を意識することは、今をより強く生きることに直結している。

夜空に浮かぶ月と、風に揺れるススキ――
その一夜限りの美しい情景は、儚さの象徴であると同時に、
「今この瞬間」を祝う尊い営みでもあると考えられます。
椎名林檎さんがこの曲に託したのは、
“死を恐れるのではなく、そこから目を背けずに、なお生きようとすること”の讃歌。
つまり、「死を見つめること」=「生を肯定すること」へと昇華する、人間の根源的な営みではないでしょうか。

――そう、「芒に月」が映し出すのは、
私たちが生きる中で経験していく“光と影”を携えながら、
それでもなお進んでいく“私たちの人生”そのもの。
最後に、この楽曲が私たちにもたらすメッセージの核心を、もう一度見つめ直してみましょう。
▶まとめ

今回は、椎名林檎さんの楽曲「芒に月」を徹底考察しました。
「芒に月」という、いかにも静かで風雅なタイトル。けれどその裏側には――
喪失と再生、痛みと祝福、儚さと強さ、
それらすべてを包み込んだ、
“人生そのもの”への賛歌が、静かに息づいている――
筆者にはそう感じられてなりません。

MV冒頭に登場する言葉――
「LA VELADA LEGENDARIA(生きることそのものが、伝説となる夜会)」。
このフレーズは、まさにこの楽曲が持つ精神のすべてを象徴しているのではないでしょうか。
あなたは、いくつの夜を越えてきましたか?
BRAND-NEW MUSIC DAYSでは
他にも椎名林檎さんの楽曲を考察しています。
そちらもぜひ、ご覧くださいね!
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