【メンタルエイド】BRAND-NEW MUSIC DAYS
今回、あなたの心に届けたい楽曲は
松任谷由実 さんの 春よ、来い です。
歌詞の意味を考察し
この歌が歌い継ぐ、令和の世に通ずる想いの真意をお伝えします。
日本の春の訪れや情緒を感じさせる歌声とメロディーライン
1994年に発表されたこの曲。
主旋律はすべてピアノであり
サビと大サビの部分でその他のメロディーが加わる構成になっていますよね。
優しさと力強さを感じさせる歌声と、季節の巡りや川の流れを感じさせるメロディーラインが印象的で、まさに「日本の春の訪れや情緒を感じさせる歌」ではないでしょうか。
今や「スタンダードナンバー」となったこの曲。
「出会いと別れ」が主なテーマになっている感じがしますが
考察するにつれ、発表された当初のテーマを越え、現世に通ずる「想い」があることに気づきました。
それはどんな想いなのか?
次の章で、歌詞の意味を考察した内容をお伝えしますね。
歌詞の意味を考察①:どんな世の中であっても、春は変わらず迎えに来てくれる
淡き光立つ俄雨 いとし面影の沈丁花
溢るる涙の蕾から
ひとつ ひとつ 香り始める
それは それは 空を越えて
やがて やがて 迎えに来る
引用元-J-Lyrics
どんな世の中であっても季節は巡り
時季を楽しんでいた頃を思い出してもらいたいがため
花はまた咲き誇ります。
「こんなはずじゃなかった…」
そんな想いを胸に、涙に暮れる日々はいつしか
子どもの頃に見た青い空や愛する人と歩きながら眺めた山郷の景色
野に咲く花、たんぽぽの綿毛を運ぶ柔らかな風などを「春の匂い」として香らせ
私たちを「迎えに来て」くれます。
春よ 遠き春よ
瞼閉じればそこに
愛をくれし君の なつかしき声がする
引用元-J-Lyrics
どんな世の中になっていても
どんな世の中になったとしても
春は決して変わらずに、あなたを迎えにきますからね。
1番のサビの後半の歌詞が、そのことを私たちに伝えてくれています。
2番の歌詞になると、今度は私たちの想いを代りに表現してくれているのです。
その真意についてお伝えしますので、どうぞ続きをご覧ください。
歌詞の意味を考察②:「本当の春」を願う気持ちは、きっと届くはず
君に預けし我が心は
今でも返事を待っています
どれほど月日が流れても
ずっと ずっと待っています
引用元-J-Lyrics
今般の感染症が猛威を振るう前の「春」よ
もう一度私たちの前に戻ってきてほしい…
その想いは今も
誰もが胸に抱きながら過ごしていますよね。
どれほどの月日が流れ、時間がかかったとしても
その想いはずっと変わらない…
多種多様に変化しながら
心と身体を疲弊させ続けるウイルスが
やがて本当の意味での「風邪」となる日を待ち焦がれる想い。
それは それは 明日を越えて
いつか いつか きっと届く
引用元-J-Lyrics
そう。
多くの人たちが闘いながら克つことを願う気持ちは
きっと届くはず。
この歌詞は、それを伝えてくれているようですね。
春よ まだ見ぬ春
迷い立ち止まる時
夢をくれし君の 眼差しが肩を抱く
引用元-J-Lyrics
令和の世になってから一度も訪れたことのない「本当の春」
先の見えない中ではあっても
明るい未来や希望に満ちた日々は、すぐ目の前に来ている…
冷え切った心と身体を
穏やかな春の日差し(眼差し)が、優しさとぬくもりを添えて
そっと私たちの肩を抱いてくれることで、勇気と力を与えてくれる…
そんな風に読み取れますよね。
夢よ 浅き夢よ
私はここにいます
君を想いながら ひとり歩いています
流るる雨のごとく 流るる花のごとく
引用元-J-Lyrics
ブリッジ部分の歌詞になります。
ここでの「夢」という言葉を「微かに見える光」と捉えることができます。
それは「感染症終息」へと向かう光。
「私はここにいます」とは、そこへ向かっての心からの言葉だと筆者は考えます。
多くの混乱の中で身体のみならず心までも病み
悲しみや苦しみの中にいる多くの人たち。
流るる雨を「涙」、流るる花を「私たち」と捉えると
流れが行き着く先は「川」となり「海」へと向かいます。
多くの人が流した涙、「本当の春」の訪れを願う人たちの想いが集まれば
次第に穏やかな流れとなり、凪の波が太陽の光でキラキラと輝く景色へとつながる…
そして、歌は「大サビ」へと続いていきます。
歌詞考察は、ここまで。
最後の章では、この曲のタイトル「春よ、来い」についての考察をお伝えします。
どうぞ続きをご覧ください。
「春よ来い」ではなく「春よ、来い」とした真意
考察する中で、タイトルにある「春よ、来い」が気になった筆者。
この曲を聴き込むほどに、その真意が分かったのです。
その真意とは何か?
「、」の部分が「詠嘆と強い決意を分けている」ということです。
この曲の全体像を考えた時、何度も繰り返される「春よ…」という歌詞と歌声。
実際に聴くと、1番と2番のサビでは「♪は~るよ~」と歌われているのに対し
大サビの頭の部分では1音ずつ「♪は~る~よ~」と歌われています。
曲が進行するにつれて、本当の春への想いが強くなっていく表れだと考えられますが、この「春よ」という部分は、今目の前に広がる社会に訪れている春ではなく、私たちがこれまでに過ごして来た春だと考えれば「本当の春を懐かしむイメージ」になりますよね。
そして「来い」とすることでその想いを強め
「絶対来てください!」ということを私たちに印象づけます。
私たちが過ごして来た本当の春よ…
絶対に来てください!
その日を(信じて)待っています
これが「春よ、来い」の真意だと筆者は考えます。
まとめ
今回は
松任谷由実 さんの 春よ、来い の歌詞の意味を考察し
現世へと通ずる想いの真意をお伝えしました。
「BRAND-NEW MUSIC DAYS」では、この他にもたくさんの楽曲をご紹介していますので、そちらの方もどうぞご覧くださいね。
コメント
太平洋戦争末期にね、「桜花」という人間爆弾があったんですよ。日本人が考えること。陸攻一式というプロペラ双発飛行機の真ん中に、翼の付いたミサイルが下がってて、当時はドローンとかAIとか無いから、20歳くらいのパイロットをそれに一人載せて、敵艦目掛けて特攻するわけ。覚せい剤飲ませて、酒飲ませて、お国のために。上空から発射されると、目の前にあるのは13秒しかもたないロケットの点火レバー。あとはフラップを操作して海面に落ちないように、敵艦にちゃんとあたるように操縦するのが仕事。
その桜花のパイロットに選べれてしまった彼氏とどうにもできない彼女。そこがこの歌の元の元ネタなんです。だから、桜にかけて、この二人の[春]は、絶対やってこない。浅はかな夢。
そのへん考えてこのへん読んでみ。この彼女泣いてんのよ。
淡き光立つ俄雨 いとし面影の沈丁花
溢るる涙の蕾から
ひとつ ひとつ 香り始める
それは それは 空を越えて
やがて やがて 迎えに来る