【実録】介護の本質ch
冤罪~社会に欠落する「踊る大捜査線」的視点
まずは、コチラからご覧ください。
今から8年前に、長野県安曇野市にある特別養護老人ホームでの介護事故に対する控訴審が開かれ、高裁判決で1審の判決を破棄し、逆転無罪の判決が言い渡された報道。
あなたは知っていますか?
医療・介護業界においては、この事故による判決がどう出るかによって、命の現場で懸命に命と向き合い、生活を支えている職員の士気の低下や気持ちの萎縮などが懸念されるため、かなり注目されていました。
結果としては、ある意味世論を反映する形となった判決であり、冤罪という形になったんですが、こういった「冤罪」はどうして起こってしまうのか?
そこには、現世において広がる「闇」の存在があると私は考えます。
今回の【実録】介護の本質chでは、皆さんに事故発生から裁判の経緯についての資料をご覧いただきながら、この判決内容をふまえた、日本社会に今もなお蔓延している闇について、私の見解をお話して行きますので、どうぞ最後までご覧ください。
事故発生から裁判の経緯について
まず、事故発生時の概要についてお話して行きますね。
2013年12月、長野県安曇野市にある特別養護老人ホーム「あずみの里」において、おやつの時間の際に、当時従事していた准看護師の女性が、全介助である要介護利用者のおやつの摂食介助を行っていた所、女性の後方に座っておやつを召し上がっていた当該利用者であるKさん(当時85歳)が突然意識不明に陥り、心肺停止となった。すぐさま救急搬送され、緊急入院となったが、約1ヶ月後に死去された。
という内容です。
次に、裁判の経緯についての概要です。
施設側と遺族側との間では既に示談が成立し、賠償金支払いも行われているにもかかわらず、検察は当時の状況などから、Kさんがおやつのドーナツを喉に詰まらせたことにより死去するに至ったとして、准看護師を業務上過失致死罪に問う形で起訴。
2019年3月には、地裁の判決で「罰金20万円」の有罪判決が下され、弁護側が控訴。そして、2020年7月28日、高裁の判決で「逆転無罪」の判決が言い渡された。その後の8月11日、検察は適法な上告理由がないとして上告を断念。准看護師の無罪が確定した。
という内容です。
この事故についての詳細な記録について、弁護側が作成したパンフレットがあります。
リンクを貼り付けておきますので、興味を持たれた方がぜひどうぞ。
https://www.hokeni.org/poster-docs/2019070300024/file_contents/panf201906.pdf
では、このことを踏まえて、この事故に関する裁判での係争内容を一緒に見ていきましょう。
そもそもこの事故において、何が問題になったのか
本件において何が問題になったのか。以下の2点が掲げられると考えます。
- 准看護師がKさんに対する注視義務を怠ったこと
- Kさんの嚥下状態や食事形態に関する周知が不徹底だったこと
いずれも検察側が掲げた内容ではありますが、結論から言えば、はっきりいって「御託」です。
なぜ、そう言えるのか。
順を追って、お話していきますね。
准看護師がKさんに対する注視義務を怠ったこと
この件についての検察側の主張は、以下の通りです。
- 「その場にいた職員が、当該利用者を含め、利用者全員の状態をきちんと見ていたのか」
- 「一番近くで介助をしていた准看護師が、Kさんの食事の様子をきちんと見ていれば、このようなことにはならなかったのではないか」
と言うもの。
当時の状況を読み解いて行くと、おやつの時間にその場所におられた利用者は17名。
対応していた職員は准看護師の他に2名の介護職員でしたから、計3名。
人員基準は満たしているので、法律上も問題はありません。
そして、准看護師は全介助の利用者のおやつ介助にあたっており、介助中はそのことに集中する必要性があります。(片手間で介助できるようなものではないからです)
他の職員についても、利用者がおやつを召し上がられている状況は見ているものの、一人一人を個別にじっくりと観ているとは言えない部分はあります。
検察側の主張は、その部分を突いているのだとは思いますが、考えてみてください。
人間の目は2つしかありません。
(アニメ「ドラゴンボール」の「天津飯」ですら「3つ」です)
視野だって限られています。
誰かの様子を見ている時には、自然と他の方への目は離れることになります。
「一瞬たりとも17人全員から目を離してはいけない → 離したから死に至った」とは、ナンセンスの極致です。
それに、人の死は予見できるものではありませんよね(ましてや高齢であればなおさらです)
突発的な状態変化はつきものであり、その状況に陥った時の迅速な対応こそが重要視されなければならないのではないでしょうか。
Kさんの嚥下状態や食事形態に関する周知が不徹底だったこと
この件についての検察側の主張は、以下の通りです。
「食事形態の変更については、誤嚥の恐れがあることによって為されたこと。それを職員間で周知徹底することが不十分であったために、死に至らしめた」 旨の内容。
事故以前の生活については、Kさんは日常面での介護は必要とはされていますが、食事面において自分で食事を摂ることは可能。嚥下状態も良好の方だということでした。
(基本として、会話ができる方は嚥下状態が良好なんですけどね)
そもそも、Kさんの食事形態が変更されていた理由が何なのかが重要。
記録を見て行くと
数日前より嘔吐することが見られていたので、形態をゼリー状のものに変更した。
と記されています。
「嘔吐」や「むせ」と言うものは、いわゆる「異物と身体が判断したものを体外に排出する反射行動」であり、嚥下状態としては正常であることが分かります。
つまり食事形態の変更は「誤嚥リスク」によるものではなかったことが分かりますよね。
となると
『そもそもKさんは、誤嚥によって亡くなられたのか?』という疑問が湧いてきます。
救急隊員や診察した医師などの話によれば
「喉を詰まらせたのであれば、タッピングなどの際に、それがしかの大きさのドーナツが排出されて然るべきだが、そのようなものはなかった」
「所見からすれば、食事中に急性脳梗塞を発症した可能性の方が高い」 旨の内容。
以上のことから結果として准看護師は、刑事裁判として「何の罪に問われているの?」ということになり、筆者の言う「ごたく」だという結論になるんです。
社会に欠落する「踊る大捜査線」的視点
今回の高裁での無罪判決は、ある意味当然の結果であり、上告断念も当たり前のことではありますが、だからと言って「すべて終わり」ではないと私は考えます。
介護福祉施設や介護老人保健施設などにおいては、ある意味病院や医療機関と同じ「命の現場」ではあっても「施設で暮らす」と言うことは、病院や医療機関のそれとは異なり「生活の場としての利用者の尊厳」という確固たるものがあります。
その部分においては、すべてをひとまとめにして「患者(クライアント)」とはならない。
もちろん制約はありますけど、個々の利用者が、それぞれの人生観や思いを他の利用者や職員と語り合い、分かち合いながら、日々の暮らしの中で
- 自分ができることへの喜び
- 気にかけ、気にかけられることへの感謝
- 人と人とのふれあいやぬくもりを感じて生きることへの希望
などを持ち合わせ、穏やかに暮らしていく「終の棲家(ついのすみか)」。
それが、介護福祉施設だと私は思うんです。
暮らしの中に「泣いたり笑ったり」があって当然。そこは「生活の場」なんですからね。
この事故が報道された当時、私は施設ケアマネジャーでした。
事故の報道は施設においても報告され、現場で支援活動をする介護職員さんたちは、冷静には受け止めていましたが、動揺や萎縮は肌で感じ取ることができました。
一時的ではありますけど「施設で働くプロが集まっているのに、何やってんだ!」と言われたこともありましたが、私からすれば「新聞やメディア報道に躍らされているだけの人々が、分かったような口で言ってもらっては困る」んですよ。
状況証拠や固定観念、勝ち馬に乗る的な「空気を読む」ことで本質を視ず、白いものでも黒と押し通すことが正義なんて考えは、あまりにも低レベルで愚かな思考だと私は考えます。
「事件は会議室で起こっているんじゃない。現場で起きてるんだ!」
CXドラマ「踊る大捜査線」で、織田裕二さん扮する「青島刑事」が言った有名なセリフがありますね。
言い得て妙だと、私は思います。
なぜか?
この言葉が正に今の社会に蔓延している闇に対する答えだから です。
- 一方向からの視点でしか物事を捉えず、それに固執することで周りを視ず、中身のない観念を押し通すことで本質や真実を覆い隠し、無き物にしてしまう
- 単に事どもをうのみにして、現場に行かずして勝手に物語を作り上げ、作り上げた物語の通りに事を運んで行く
いわば「現場を知らない人が専門家のように現場を語り、主導権を握る」
ここに「闇」があり、こう言ったことがまかり通っていることが冤罪を招いているのではないでしょうか。
事実のみならず、状況や背景、関係する人や物への多角的な視点を以てして本質を視る
そこに生じている問題や課題についてしっかりと向き合い、解決へ向けて真摯に取り組む
このことが、今の社会において必要不可欠なものだと私は考えます。
だから、あなたにも分かってもらいたい。
「人間にとって一番恐ろしいのは、事の本質を視ないこと」だということを。
これからの未来に、あなたが社会の闇の中に埋もれないために
一方向ではなく、双方向・多方向からの情報収集
狭量(視野が狭いこと)ではなく多角的な視点で物事を考えることをお勧めします。
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