「天秤」をイメージする職種と言えば「弁護士」ですよね。
日本にも数多くの弁護士が
「いつ、いかなる場合にも自由と正義を求め、公正と平等を期す」とのモットーを胸に抱き、日夜奮闘しておられることでしょう。
何かと気苦労も多いと思います。お疲れさまです。
こういった方々が政治家になると、本当にこの国は素晴らしいものになるのではと、淡い期待を抱いていたのが間違いの始まりでした。
なぜそう思うのか?
本来の弁護士のモットーを忘れ、私利私欲に走る輩と化す人が多いからです。
弁護士から政治家になった人たち。
2019年10月現在のデータで、衆議院議員23人、参議院議員12人おられるとのこと。
その中で
- テレビでの知名度や人気が下地となって、あれよあれよと大阪の首長にまで上り詰め、退いた後もメディアに度々出て来ては好き放題の持論を垂れ流している人
- 「国民の生活が第一なんて考え方は間違っている」と宣いながら、自分も国民の1人であることを忘れ、ハリボテの権力を勘違いして自分は安全とうぬぼれている人
- 「小さな声を聴く力」よりも大きな権力になびき、自分たちがキャスティングボードを握っていると妄想している「母体はデカいが、党はショボい」与党代表の人
などにおいて、共通していえることがこれに当たると私は考えます。
あえてこの人たちを掲げたのは、この人たちが「特別」だから。
何が特別なのか?
弁護士のモットーの中で挙がっている言葉が、弁護士としての根幹を成すべき事柄ばかりだとすれば、「特別目立って欠落しているものがある」ということなんです。
それは何か。
「公正」 です。
公正とは?
それを説明する前に「公平」というものがありますので、公平の意味をお伝えしてから公正を説明しますね。
公平とは「判断や行動が偏っていないこと」というのが本来の意味です。
公正とはその上のレベルの話で「公平で、かつ正しいこと」ということになります。
これをふまえて、あらためて先程お伝えした「特別」な方々の言動を思い返してみてください。
公正以前に、公平な考え方をしているのかどうか。
甚だ疑問ですし、「していない」と考える方が自然だと私は考えます。
自由と正義、平等は良いとしても「公平でない思想や思考」の人が、どうして「天秤」のバッジを着けているんでしょうか?
自らの勝手都合で法律などの言葉の解釈を変えて、権力の名の下にふんぞり返り、名誉や権威には舌なめずりして擦り寄るような「天秤」は、「壊れかけの天秤」だと私は考えます。
今、時代が求めているのは「平等」ではなく「公平」。
今、目指すべき社会構造は「共生・共成」の社会です。
そういったものに逆行する「壊れかけの天秤」に思いを託すことなどできませんよね。
「まっとうな政治」といった人も弁護士だと聞きます。
何を以て「まっとう」とするのかには甚だ疑問はありますけど、先程お話した「時代が求めているもの」や「目指すべき社会構造」を、どうぞ「まっとう」として取り組んでいっていただきたいと私は考えます。
弁護士だからと自己弁護ばかりしないで、事の功罪をしっかりと突き詰めてもらいたいですし、その肩書があるからこそ「カネと欲にまみれた政治を一掃し、本来の政治を取り戻すことができる」と、あなたも思いませんか?
徳永英明さんの「壊れかけのRadio」
1990年に発表されたこの曲は、TBS系ドラマ「都会の森」の主題歌。
「都会の森」とは、弁護士が主人公のドラマです。
事の本質を見極め、功罪を突き詰めていく姿を取り戻していただきたいですし、私たち1人1人においても「何が正しくて、何が間違っているのか」をしっかりと直視する言動が必要だと私は考えます。
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