【コラム】その道標は、本当に正しいですか?~現世に拡がる誤った思考~

子育てちゃんねる

今回の子育てchからお送りするのは

【コラム】「その道標は、本当に正しいですか?」

今から1年ほど前に起こった出来事。

あなたは覚えていますか?

(C)新潟日報

新潟県燕市、新潟県教育委員会の教育長が、定例会において「今般のコロナ禍を解決するには」とする資料配布後に述べた発言において「不適切な表現」があったとして大きな問題となった出来事のことです。

当時のニュースでも大きく取り上げられました。

内容は、コチラをご覧ください。

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不適切な表現とされる部分を抜粋して書いておきます。コチラです。

今のコロナ禍を短時間で解消する方法は、どこかで大きな戦争が発生することではないだろうか。中国とアメリカが自国以外の地域で戦争を始めれば、お金は動く。

コロナ騒動などそっちのけで、ミサイルの発射の瞬間が繰り返し放送されるだろう。きっと経済が上向くきっかけになるのではないか。クリミアでもいい。

紛争とか戦争が始まれば武器という商品で経済は回復するだろう罪のない人間の命との交換である。他に何かいい策があるのだろうか。愚かな人間であり続ける限り、注目の矛先を変えることでしか事態を乗り越えられないのかもしれない。

引用元-http://www.kenoh.com/2020/09/01_kyoyuikutyou.html

元々このような考え方をお持ちであったのなら言語道断ですけど、コロナ禍において真面な思考ができなくなってしまっているなら、私が腕の立つ脳外科医を紹介しますのでどうぞ。

この遠藤という教育長は後日辞任の意向を伝え、9月の定例議会で承認され正式に辞任されましたが、「わざわざ自分で資料を作って手渡した上で念押しのように伝えている」こと自体が常軌を逸していると私は考えます。

ただ、この方の言っている内容。

現世において、静かに拡がっているのも事実としてはあると私は懸念しています。

​それは「コロナとのたたかいの意味を闘い」ではなく「戦い」と勘違いしている方々が多くいることからも言えるのではないでしょうか。​

すべての面において「勝ち負け」を基準に判断する世の中は、ある意味「戦争への序章」になってしまっているように私は懸念しているんです。

この場合、大切なのは「勝つこと」ではなく「克つ(克服)すること」

物事の本質を視る上で最も重要な部分を勘違いして、それを質すことなく影響力を持たせて発信することを「ミスリード」と言うのであれば明らかに現世は「ミスリード下の世の中」ではないかと私は考えています。

この方だけではなく、今の世の中を牛耳っている輩の中にも多かれ少なかれこういった思考を持っている人がいると考えられますが、いずれにしても最近の政治屋の多くが、権威や経済力において「高いところがお好き」なようですね

(○○と煙は高いところに上るというように)


子どもたちに「人の道を教え諭す」のが教育者であるならば、こんな人よりもずっと素晴らしい人が教育者としてあるべきです。

私がそんな思いに駆られたのは、私が小学6年の頃に着任された担任の先生「山口先生(仮名)」の言葉を思い出したからなんです。いい機会ですので、ご紹介したいと考えます。


山口先生が、クラスが集まった最初のホームルームの時に、大きな模造紙を持って教室に入って来たことから始まります。

朝の挨拶が終わってから、先生は「6年生になった君たちに、1年間担任を務める私からのメッセージを伝えたいと思って書きました。一緒に見ていきましょう」と話され、その模造紙を横に広げて見せてくださいました。

広げられた模造紙の上の方に「クラスの目標」と書かれており、その下の方へ目をやると、真ん中辺りにひときわ大きく書かれた言葉にみんなの注目が集まりました。

その言葉が…

正しい判断のできる人間​

「これは、どういう意味ですか?」

この言葉の意味を先生に訊くと、先生はこう仰いました。

これからどんどん成長して、大人になって行く中で、たくさんの友達や大人たちと交流して行きます。

それぞれに考え方などが違って当たり前だけど、大切なことは「自分の人生は自分が決めること」

様々な情報がテレビなんかで流れて来るけど、それにただ流されてしまうのではなく事の功罪をしっかりと見て自分の歩む道を決めて自信を持って進んで行ってほしいです。

これから先、道が分かれていて「どっちに行くか」で悩んだりすることはあります。

そこに示されている「道標」が、自分がこれから本当に歩もうとしている道へとつながっているのかどうか。

何が正しくて、何が間違っているのかの答えは、自分の思いの中にしかありません。

しっかりと自分を見つめて、自分を信じて進んで行ける人になってほしい。

そう思って、クラスの目標としたいのです。

一度しかない人生を、1人1人が楽しく過ごしていけるように一緒に頑張りましょう。

1981年「学級通信」より

今から40年前の「昭和」の出来事であり、今は平成を過ぎて「令和」

時代が変わり、社会も変わりはしましたが、「人としての想い」という変わっちゃいけないところまで変わる必要性はありません。

もちろん「教諭」と呼ばれる人たちが減り、ただ単にお勉強だけを教える大人「教師」が増えていることによる弊害教師を舐め切って立場をわきまえず偉そうにする子ども過保護ですぐに学校に文句を言う「モンスターペアレンツ」も未だいるのは否めません。

ですが本来、学校は「社会において最低限知っておかないといけないことを教科書から学ぶ場所」ではなく「自分の人生において、人として何を学ぶかが大切な場所」であるはず。

学校ができないのであれば、次世代を担う子どもたちとしっかりと向き合い、目線を合わせて語り合い、喜びや悲しみ、悩みなどに共感して「何が正しくて、何が間違っているのか」を教え諭すことが、私たち大人の使命なのではないでしょうか。

目の前に広がる現世を視ても「狂った羅針盤やコンパスを大事に大事にしながら、良からぬ方向へ導こうとしている人」で溢れ、周りが醸し出す「同調圧力」という名の空気感に反応して、自分を見失っている人が「勝ち馬に乗る」ことで自己満に浸っている…

今一度、自分の心に問いかけてください。

「あなたが進もうとする道標は、本当に正しいですか?」と。

空気を読んで、時代に流されてしまう。

そのことに対して「水を差す」言動や行為が必要。

人が何をするか、人がどう考えるのかではなく

あなたがどうするのか、どうしたいのか、どう考えるのか

それが何より大切なことであり、正しい判断への第一歩なのではないでしょうか。

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