今回の「NON SEALD」は介護・福祉chから
介護現場に安心・安全をもたらすもの「笑顔」と「承認」をお送りします。
メディアを通じて流れてくる言葉でやたらと「安心・安全」との言葉が頻発されていますよね。
介護や福祉の業界においても、この言葉はよく使われていて
例えば高齢者施設などにおいては「高齢者の安心、安全を第一に考えた対応」を掲げ
介助を行っているのを目にします。
転倒事故においての対応は
見守りを強化したり、移動する際に手引き歩行や車椅子の操作などをお手伝いするなどがありますし
転落事故においては
車椅子の座面やフットレストを合わせたり、
重心の位置を考えてクッションなどを宛がうことで、車椅子からのずり落ちを防ぐ。などがあります。
(ベッド上での身体の動きにおいては柵を設置する位置を調整したりします)
食事や排せつ、入浴などの際にも
「安心・安全を第一に考えた対応」として様々な介助や介護を行っていますが
実際「安心・安全」とはどういうものなのかが
高齢者と介護職員との間で分かち合えていないと上手くはいかないものです。
そうでなければ、高齢者(特に認知症高齢者)は決して心を開いてはくれませんし
ギスギスした関係性が続いていけば、お互いの気持ちの中に「不穏」が生じて
介護現場において極めてリスキーな状況に陥ってしまいます…
そこで「安心・安全をもたらすもの」として
考えられるのが「笑顔」と「承認」になるんですが
ただニコニコしているだけで事がスムーズに進む訳ではありません。
承認に行き着くまでに、しなければいけないことがあるのは分かりますよね。
今回は「安心」「安全」という言葉の持つ本来の意味からその本質について理解を深め
「笑顔」と「承認」に行き着くまでに必要なことを踏まえながら
介護現場に安心・安全をもたらすものが「笑顔」と「承認」であるとした真意についてお伝えします。
この記事を読めば、介護のみならず日常生活全般においても、本当の意味での「安心・安全な暮らし」を続けることができますので、どうぞ最後までご覧ください。
言葉の意味を知ることで、安心・安全の難しさが分かります
まずは、安心と安全。それぞれの言葉の意味するものについて一緒に見ていきましょう。
安心と安全。
「安」という字に「心」と「全」がくっついていて似たような言葉には見えますが
本来意味するところは違います。
まず、「安(あん)」という字の意味からお伝えします。
「安(あん)」とは
やすらかだ。危険でない。困難がない。
やすめる。しずめる。おちつける。
これに「心」をつけて「安心」、「全」をつけて「安全」になりますよね。
では、「心(しん)」という字の意味は、こうなっています。
ものの根本。本性。本心。
知識、感情、意識の働きの総体。
次に、「全(ぜん)」という字の意味は、こうなっています。
みな。すべて。すっかり。まるまる。
ある範囲で1つの例外もなく。ひとまとめにして。
このことから、安心と安全についてまとめると
安心とは 知識や感情、意識などの根本にある「気にかかること」がなくなって、落ち着けること 安全とは ある1つの例外もなく、すべてにおいて危険や困難がなく、落ち着けること
になりますよね。
言葉からすると、
安心はどちらかというと「主観的」
安全は「客観的」に視てリスクの少ない状態であると考えられます。
これを見て、あなたはどう感じるでしょうか?
安心は主観ですから、それぞれの心の中において落ち着くことができるものが担保できれば可能ですが、安全は客観。
「1つの例外もなく危険や困難がない状態」などこの世に存在するでしょうか?
「安心・安全な対応」を目指すことは決して悪いことではないですが
極めてハードルが高いものだということは理解できますよね…
現世においては「安心・安全」との言葉が躍っているだけで
実際は「危闕(きけつ)」な状況です。
ちなみに「危闕」という言葉は辞書にはありません。
筆者が「全(ぜん)」の字から、その反対を意味する字を調べて作った言葉です。
闕(けつ)の意味するところは「欠ける、足りない、省く」といったものがあり
介護現場あるあるでいえば
「声かけや見守りの不十分さに起因する事故」をイメージしてもらうと分かりやすいです。
まともな説明や対応をせずに
「イケイケ」のように推し進められていく「危ない状況」…
このことを「危闕(きけつ)」という言葉で私は表しているんです。
今般の感染症やオリンピック・パラリンピックを開催するにあたっての施策などと照らし合わせた時においても、この言葉がピッタリとハマって来ますよね。
本当の意味で「安心・安全」をいうのであれば
時間をかけて対話をすることや具体性のある説明を十分に尽くすことが大切になりますが
それが「欠けている、足りていない、省かれている」からこそ
「危ない状況」になるのではないでしょうか。
これを打ち破り、主観的にも客観的にもリスクの少ない状況を可能とするものがあるとすれば、タイトルにも掲げた「笑顔」と「承認」になると私は考えます。
しかしながら、笑顔と承認には一足飛びには進んでいきません。
しなければいけないことが1つだけあります。
それは何なのか?
真意を含めて、次の章でお伝えします。
危闕きけつを打ち破る「笑顔」と「承認」。その前に必要なこと。
物事を進めていく上で何が必要になるのかを考えた時、あなたは何を思い浮かべるでしょうか?
- 迅速性
- 効率性
- パフォーマンスの良し悪し
まだあるとは思いますが、こんな感じではないでしょうか。
これらを解決することができれば、安心・安全に物事が進んでいく。そうですよね。
では、これらのことを解決するためには、何が必要になるでしょう?
ここで「安心・安全」というものが出て来るんですが
安心と安全の両方を担保できるものがなければ解決することはできません。
それは「笑顔」と「承認」に行き着くまでにしなければいけないこと。
何か?
信頼を得ることです。
国でいえば「政府と国民との間においての信頼」
介護でいえば「高齢者と職員との間においての信頼」になります。
人は、それぞれに時間の流れというものが決まっていて
少しでもいつもと違うことがあると「なぜ?」「どうして?」との思いが湧き立つものですよね。
その思いに対して今、自分が知っている限りの情報やこれからの方向性などを時間をかけて話して、しっかりと理解してもらうことを積み重ねていくことで「信頼」は生まれますが、ただ単に積み重ねるだけでは状態的には脆いものなので、より強固なものにしなければいけません。
その「信頼」を強くするために必要なものが
「笑顔」と「承認」になります。
「サイクル」を活用することで、危闕な状況を最大限減らす
「知らない」、「分からない」といった混乱からくる不安などについて、しっかりと受け止めて向き合い、思いや考えなどを分かち合うことで、初めて人は笑顔になるのではないでしょうか。
人が笑顔で居る状態は、心が一番リラックスした状態であり
そういった時に話す内容は記憶として残りやすいとされていますので
自ずと承認頻度は上がります。
そして、お互いに分かり合えることが多くなれば、自然に笑顔が増えますし
説明などに対する理解度も上がっていきますよね。
このことができてこそ、迅速性や効率性などといったものが回転力を持つようになり
ひいては「安心・安全」が担保されていくのではないでしょうか?
信頼を得る → 笑顔と承認 → 安心・安全
このサイクルにおいて進めていくことができれば
「危闕な状況」を打ち破り、本当の意味での安心・安全がもたらされていくと私は考えます。
まとめ
日々の介護においては、高齢者との間において何かと心を通わせることが難しく
苛立ちを募らせることが多いですよね…
しかしながら、考えてみれば「分かり合えた時の喜びは何よりも替え難いもの」でもあります。
何事においても一足飛び越しのようには進みません。
急がば回れです。
1つ1つのことを確実に行いながら、施設で共に暮らすすべての人々の安心・安全を担保できるように、あなた自身の笑顔も大切に!
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