
「あの時、もし違う選択をしていたら…?」──
そんな想いが、窓の外に揺れていた。
―心に効く、音楽の処方箋―
【メンタルエイド】
BRAND-NEW MUSIC DAYS

毎回、一つの楽曲を徹底考察し、あなたの心に癒しと力をお届けする本シリーズ。
今回は、Vaundyさんの楽曲「まじで、サヨナラべぃべぃ」を取り上げます。
▶はじめに

Vaundyさんの「まじで、サヨナラべぃべぃ」は、是枝裕和監督による短編映画『ラストシーン』の主題歌として書き下ろされた一曲です。

Appleの「iPhone 16 Pro」のカメラだけで撮影されたこの映像作品は、“未来に何が残り、何が消えるのか”をテーマにした27分のタイムトラベルラブストーリー。
過去と未来、愛と別れが交錯するなかで、Vaundyさんは“時間”と“恋”を掴もうとしてすり抜けていく儚さを、音楽と言葉で見事に描き出しています。
本記事では、その歌詞に込められた想いを丁寧に読み解きながら、Vaundyが伝えたかった本質に迫っていきます。
「サヨナラ」は終わりの言葉だと思っていた。だけど——。
そんな想いに駆られるような物語が、静かに、しかし確かに、心の奥へと響いていきます。
ぜひ最後までお付き合いください。
▶楽曲イメージ

楽曲を初めて耳にしたとき、筆者の脳裏に浮かんだのは——“連絡待ちで停車している列車の車窓”でした。

夕暮れどき。
静かに停車した列車の車窓から、ぼんやりと街の景色を眺めている。
もうすぐ再び動き出すことは分かっているけれど、今だけはこの“止まった時間”に身を委ねていたい…
そんな情景が自然と心に浮かんできました。

それは、なにかを待ちながらも、ふと過去を見つめてしまう時間。
言えなかった言葉を胸の奥で何度も繰り返しながら、心のどこかで誰かを思い続けている。
まるで“ラストシーン”に差しかかる直前の、もう戻れないけれど、まだ完全には離れていない——そんな境界線のような数分間。
“サヨナラ”を告げるその前にしか訪れない、かけがえのない「静けさ」と「温度」が、そこには確かに存在しているのです。
▶歌詞の意味を徹底考察!

それでは、いよいよ歌詞考察に入ります。
※考察を進める上で、歌詞の一部を引用しています。全文を知りたい方は、以下のリンクからご確認ください。
◆君と過ごした記憶は、今も僕の日々を回っている
飽きたら帰っておいでよ / そしたら また一緒に食べよう
この言葉に、すでにすべてが詰まっているように筆者は感じました。
「飽きたら」で始まるラフな口調には、相手への未練を隠すための照れ隠しが見て取れます。
それでも、「また一緒に食べよう」と続けるところに、かつての日常を取り戻したいという静かな願いがにじみ出ているのではないでしょうか。
「食べる」という行為は、ともに過ごした日常をより鮮やかに思い起こさせる象徴でもあります。
どれも、廻る思い出さ / それでもいいよ / また手紙に書いておくよ
「廻る」思い出——つまり、過去は繰り返し心に浮かび、胸を締めつける。
それでも「それでもいいよ」と受け入れて、未来に向かって「手紙」を書き続ける姿勢には、前向きな愛情と未練の共存が感じられます。
◆レコードのように回り続ける“想い”
君の大好きな曲を / 今日も流しておくよ
どれも、回るレコードさ / 君を待つよ
ここでは、音楽が記憶や感情の運び手として描かれています。

「回るレコード」は、止められない時間の象徴。
どれだけ時が流れても、思い出は音楽と共に何度でも再生される。
それでも、その記憶を否定することなく、「君を待つよ」という献身的な愛情に転化している。
この部分には、「愛する人との時間を否応なく思い出してしまうけれど、それも含めて愛しい」という感情が込められているように思えます。
◆全てが「君のせい」──愛という形で自分を変えた存在
全てが君のせいでできているってこと / 君越しに感じるよ
言い損ねた言葉書き留めておいたよ
「君のせい」という言い方は、一見すると責めているようにも見えますが、ここでは逆説的な愛の告白。
つまり、「君がいたから、今の僕がある」という肯定のニュアンスに転じているのです。

“君越しに”世界を見て、君というフィルターを通して感じてきた世界。
そこで生まれた感情を、「書き留める」という行為でどうにか時間に抗い、記憶として残そうとしている。
それは、“別れ”を受け入れつつも、想いを未来に託す姿にも映ります。
◆サヨナラは本当の別れじゃない
まぁまた帰っておいでよ / 君の住むこの町まで
どこへも、僕は行かないよ / これから君の生きる日々を彩っていくよ
ここにあるのは、「君がいなくなっても、僕はここに居続ける」という静かな覚悟。

「行かない」という選択は、一見、何も変わらないようでいて、実は“見送る勇気”をもった愛の形なのではないでしょうか。
たとえ同じ場所で生きられなくなっても、「君のいる世界を見守る」というスタンスが、この曲の中核にあると筆者は考えます。
クライマックス:時間も夢も越えて届く“最後の手紙”
サヨナラべぃべぃ / 君の住む町に手紙を残しておくよ またね
サヨナラべぃべぃ / 僕の住む日々で手紙を満たしておくよ
ここで繰り返される「手紙」は、言葉にできなかった感情、言い損ねた想いの結晶。

同じ時を生きられなくなったとしても、どこかで読んでくれると信じて綴られるラブレターなのです。
この紐の先で あなたが笑っているなら / まじで、サヨナラべぃべぃ
この夢の先で あなたが幸せならば 構わないよ
“この紐”は、まるで「運命の糸」や「感情のつながり」のようにも読み解けます。

物理的に離れていても、どこかで繋がっていると信じている——
それでも、「あなたが幸せなら構わない」と手放す覚悟。
ここでようやく、タイトルの「まじで、サヨナラべぃべぃ」が本当の意味を持ち始めるのではないでしょうか。

軽やかな言葉遣いの裏にあるのは、深い愛情と優しい別れ、そして“本当は言いたくなかった”という痛み。
何気ないフレーズに込められたその切なさが、聴く者の心にじんわりと残っていきます。
▶まとめ:あなたの“ラストシーン”は、どこにある?

今回は、Vaundyさんの楽曲「まじで、サヨナラべぃべぃ」を徹底考察しました。
この曲は、ただの“別れの歌”ではありません。
「あの時こうしていたら…」という後悔と、「それでも今、前を向くしかない」という切なさ。
そのあいだで揺れる感情が、まるでタイムトラベルのように描かれているのです。

――あなたは、どの選択肢を選んだ?
――その瞬間に、後悔はなかった?
この楽曲は、映画『ラストシーン』と深く共鳴しながら、私たちに問いかけているように感じます。
⏳ タイムトラベルはできない。
🎧 でも、音楽は心をあの日に戻してくれる。
💡 そして、聴くたびに新しい気づきを与えてくれる。
だからこそ、何度でも聴いてみてほしい。
「まじで、サヨナラべぃべぃ」が描く、あなたの“もう一つの未来”を――
🎵 BRAND-NEW MUSIC DAYSでは
Vaundyさんの他の楽曲についても考察しています。
彼が生み出す音楽の世界観を、ぜひご堪能ください!
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