【メンタルエイド】
BRAND-NEW MUSIC DAYS
今回あなたの心に届けたい楽曲は
King Gnu の ねっこ です。
この記事では「ねっこ(楽曲)」について
曲のイメージやタイトル、歌詞の意味などを筆者独自の視点で徹底考察!
この歌に込められた深いメッセージと共に伝えたい想いの本質に迫ります。
どうぞ最後までご覧ください。
楽曲紹介ならびに楽曲を初めて聴いた筆者のイメージ・感想
日本の男性4人組ロックバンド「King Gnu(キングヌー)」が発表したこの曲は、神木隆之介主演のTBS系日曜劇場ドラマ「海に眠るダイヤモンド」の主題歌として書き下ろされたものです。
ドラマ「海に眠るダイヤモンド」とは?
1955年からの石炭産業で躍進した長崎県・端島と
現代の東京を舞台にした70年にわたる愛と友情、そして家族の壮大な物語。
過去から現代に通じる希望を見つけだす
時代を超えたヒューマンラブエンターテインメント
楽曲について、制作者の常田大希(King Gnu)さんからのコメント
ドラマの舞台である戦後1950年代から脈々と今に受け継がれてきたもの、そして失ってしまったものに想いを馳せつつ、現代を生きるためのほんのささやかな歌になってくれたらと思います。
モノクロームとカラーが交差するようなメロディラインが過去への回顧と現世への憂い、未来への希望を想起させ、悲しみの涙が地中深くにある“ねっこ”に染み渡ることで、花々は茎や葉に力を宿らせ、大空に向かって大輪の花を咲き誇らせていくといったイメージ。
過去の栄華に想いを馳せ、崩れ行く残骸に絶望を抱き、涙する日々…
しかし今、どんなに絶望の淵にあっても決して心の根までは廃れていない自分がいる。
たとえこの身が滅びようと、硬く胸に抱き続けた熱い想いはやがて誰かの想いと重なり、再び熱き炎をたぎらせながらつながっていくはず…まさに“永遠の命”や“枯れることのない息吹”を感じさせる楽曲ではないでしょうか。
楽曲タイトルから歌に込められた深いメッセージを探る
楽曲タイトル「ねっこ」
「木の切り株」や「草木の根」をイメージしますが
これを人間に置き換えると「根源」や「性根」、「気心」といった意味になります。
『物は無くても心は豊か』から『物はあっても心は貧し』へ。
戦後という言葉で括るには、あまりにも当時と現世では社会情勢も人の心も180°変化していますよね…先程お伝えした常田さんのコメントの中にある“当時から受け継がれてきたもの、失ってしまったもの”が、正にこの言葉に象徴されていると筆者は考えます。
現世は「地域共生社会」とは名ばかりに格差と分断が広がり、人の成功を妬み、失敗を吊し上げ徹底的に叩く…そんな世の中を憂いながらも自分独りではどうすることもできない絶望感に苛まれ、自分を押し殺しながら日々を過ごしている人が多いように感じます。
ただ、そんな世の中であっても『困っている人を助けよう』、『傷ついた人を救おう』などといった“思いやり”や“まごころ”は確かに存在していて、誰もが人の優しさやぬくもりに触れながら過ごしたいという願いを抱き、現世を生きているのではないでしょうか。
ここまで考察してきて楽曲タイトルに視点を戻すと
「ねっこ」が何を意味するのかが見えてくるでしょう。
「海に眠るダイヤモンド」が「石炭」を表すとすれば、石炭を通して垣間見える人々の暮らしや心の交流、笑顔などを考えた場合、そんな社会の「ねっこ」にあるものとは?
“熱”ではないでしょうか。
燃え始めてから多量の熱を放つ石炭。
燃焼が治まり、見た目は煤になっても奥の方ではなおも熱を放ち続ける。
この“熱”が、この歌に込められた深いメッセージにつながると筆者は考えました
それは、人間の心の根幹にある「情熱」であり、人を愛することや他者を慮ること、人生を謳歌すること。そのすべてにおいて「情熱」を胸に抱いて生き抜いてほしいという願い、そして祈り…
これが、タイトルに表されたこの歌に込められた深いメッセージだと筆者は考えます。
歌詞の意味を考察!“情熱”を抱き、希望を捨てないで…
さて、歌詞考察に入ります。
印象的な歌詞と筆者の考察と併せてご覧ください。
ささやかな花でいい 大袈裟でなくていい
ただあなたにとって 価値があればいい
「ねっこ」 King Gnu
誰も気づかない 有り触れた一輪でいい
あなたが項垂れた その先に根を張る
そんな花でいい
「ねっこ」 King Gnu
冒頭から登場する「花」。
歌詞の中でも何度も登場しますが、この花は何を指しているのか?
興味が湧くところですよね。
単なる比喩表現なのか? それとも重要な意味を持つものなのか?
その答えは後半にお伝えするとして、歌詞を読み進めていきましょう。
ただ黙々とねっこ伸ばして
あなたに見つかるのを待つの
時の歩幅が大き過ぎるから
今日も倦んざりする程に
此の身の丈を知るの
「ねっこ」 King Gnu
望まぬとも時計の針は進み続ける
求める程遠ざかる
大事な者こそ時の風が攫ってゆく
思い出の瓦礫に根を張ってる
此処で何時迄も待っている
今日もあなたを想っている
「ねっこ」 King Gnu
この部分には、ドラマの内容から
「端島(軍艦島)に残された夢の跡」が記されていると筆者は考えます。
眼前に広がる”夢の跡”
それは、この地に生きた人たちの喜怒哀楽、高らかな笑い声、流した汗と涙
そういったものが根を張り、かつての賑わいが戻るのを待ち侘び
離れていった人たちの健康と安息を祈っている…
こんな感じになるでしょう。
ここまでを踏まえ、サビの歌詞を見て行きましょう。
飾らない花でいい 華やかでなくていい
あなたの痛みの上に 根を張れればいい
一頻りの雨に流されぬような
ふとした悲しみを そっと忘れさせるような
そんな花でいい
そんな花がいい
「ねっこ」 King Gnu
ささやかな花、飾らない花、大袈裟でも華やかでもない花…
そんな花でいいという想いは、サビの最後で「そんな花がいい」になっています。
これが何を意味するのか?
端島と島を愛する人たちとの”想いのコール”ではないでしょうか。
それを裏付けるものが、すぐ後の歌詞に表されています。
ただ君が泣くなら僕も泣くから
その美しく強く伸びた根は
誰にも見えやしないけれど
無常の上に咲き誇れ
ただ君が泣くなら僕も泣くから
心ふたつ悲しみひとつで
何十年先も咲き続ける花
無常の上に、さあ咲き誇れ
これが、端島が人々へ贈った”コール”。
内容的には、こんな感じになるでしょう。
この世の無常に耐えかね、絶望を味わうことになろうとも
人々の心の奥に根付いている”確かな想い”を忘れずに立ち向かえば
如何なる苦難が来ようとも、きっと乗り越えることができるだろう
どんなにこの身が朽ち果てようとも、私はずっとここに在り。
人々の生きた証が、私を再び栄華へと導いてくれると信じている。
そして、それに呼応する形になっている
人々から端島へ贈った”エール”が、コチラの歌詞です。
ささやかな花でいい 大袈裟でなくていい
ただあなたと 幾度もの嵐を迎えようと
決して折れはしない
そんな花がいい
「ねっこ」 King Gnu
飾らない花でいい 華やかでなくていい
あなたの喜びの上に 実が生ればいい
一頻りの雨に 流されぬような
ふとした悲しみを
そっと忘れさせるような
そんな花がいい
「ねっこ」 King Gnu
あなた(端島)の下で過ごした日々の中では
自然の驚異や災害など多くの苦しみや悲しみに苛まれることもあったけれど
だからこそ心を一つにして得ることのできた喜びもたくさんあった
あなたとの日々が終わりを告げたとしても、私たちは決してあなたを忘れない。
これから先、どんなに打ちひしがれても、悲しみや苦しみに苛まれても
あなたに教えられた”確かな想い”が、自分を信じる力になることを知ったから…
二つのコールの中にある”確かな想い”というのが、歌詞にある「花」へとつながり
その花の正体は、スイセンであると筆者は考えます。
スイセンは「自己愛」(自分を愛し、誇りに思うこと)が花言葉であり、黄色のスイセンには「愛をもう一度」と意味が含まれていますが、自己愛について筆者は意味を転じて「自分を信じる力」だと解釈しました。
遠く端島を望む場所に咲き誇るスイセンには、自分を愛し誇りに思い、自分を信じて突き進んでほしいという想いが投影され、そうした先にある「希望」を掴み取ることで、再びかつての栄華を取り戻してほしいとする願いが感じられるのではないでしょうか。
そして、その希望を叶えるために決して失ってはいけないもの…
それを筆者は”情熱”だと確信し、この歌が伝えたい想いの本質を
“情熱”を抱き、希望を捨てないで…としているのです。
まとめ
今回は King Gnu の ねっこ について
曲のイメージやタイトル、歌詞の意味などを筆者独自の視点で徹底考察!
この歌に込められた深いメッセージと共に伝えたい想いの本質に迫りました。
BRAND-NEW MUSIC DAYSでは
この他にもたくさんの楽曲をご紹介していますので
そちらの方もどうぞご覧くださいね。
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