【メンタルエイド】BRAND-NEW MUSIC DAYS
今回あなたの心に届けたい楽曲は
槇原敬之 さんの どんなときも。 です。
歌詞の意味を考察し、この歌が伝えたい想いの本質「あなたはあなたで良いんだよ!」の真意についてお伝えするとともに、タイトルが「どんなときも」ではなく「どんなときも。」としている真意についてもお伝えします。
5分05秒の世界観は、時代を駆け抜ける希望に満ちた世界への願い
1991年に発表された、5分05秒のこの歌。
軽やかなメロディーラインと優しさと強さを合わせ持つ槇原さんの歌声が心地よく耳に届き、自然に心と身体がリズムを取っている感じがします。
そしてその世界観は、時代を駆け抜ける希望に満ちた世界への願いであり、正に「どんな時も笑顔を忘れずに、夢や希望を抱いて進もう」とするイメージを想起させますよね。
歌詞の意味を考察!「あなたはあなたで良いんだよ!」の真意とは?
さて、歌詞考察に入りますが、この歌の歌詞に登場する人物をPCやモバイルでご覧になっている「あなた」自身に置き換えて見てみると、より一層心に届く歌詞になっています。
一緒に見ていきましょう。
僕の背中は自分が 思うより正直かい
誰かに聞かなきゃ不安になってしまうよ
引用元-「どんなときも。」作詞/槇原敬之
この部分の感情は裏腹なものであり、本当の自分の気持ちを分かってほしいようで背中に表される自分の本心に気づかれたくないと考えている…悟られないように虚勢を張っているといった感じがします。
旅立つ僕のために誓ったあの夢は
古ぼけた教室の隅に置き去りのまま
あの泥だらけのスニーカーじゃ追い越せないのは
電車でも時間でもなく僕かもしれないけど
引用元-「どんなときも。」作詞/槇原敬之
社会へと旅立つ自分自身への「目標」を「夢」とするならば、夢を誓ったのは「誰か」ではなく「僕」だといえますし、古ぼけた教室や泥だらけのスニーカーなどから考えると「学生の頃の自分を顧みている」イメージになりますよね。
夢を抱き、がむしゃらに突っ走ってきた…
ある意味「自信に満ち溢れていた自分」を投影している「今の自分」はどうなのだろう…
周りからは煩いくらい「夢なんか追いかけていないで、もっと現実を知りなさい」といわれ続け、上手くいかないことに塞ぎ込む日々に打ちひしがれてしまいそう…
そんな様子が見て取れます。
そんな「僕」は、一旦冷静になってこれまでの自分を顧みることで気づきます。
でも…それって、結局のところは
- ☆夢を見ること
- ☆夢を追いかけること
- ☆夢の続きを考えること
そのすべてにおいて
「自分の心にブレーキをかけてしまっているから」なのではないか? と。
そして、サビの部分になります。
どんなときも どんなときも
僕が僕らしくあるために
「好きなものは好き!」といえる気持ち
抱きしめてたい
どんなときも どんなときも
迷い探し続ける日々が 答えになること
僕は知ってるから
引用元-「どんなときも。」作詞/槇原敬之
そうだ…
僕が僕であるために大切なのは
がむしゃらに突っ走っていたあの頃の輝いていた僕を忘れないでいること。
今、抱えている課題や問題、悩みや不安は
僕だけに降りかかっているのではなく、誰もが経験していくこと。
だったら「僕なりの生き方」で乗り越えていけばいいじゃないか!
そんな想いが感じられます。
この部分全体が、この歌が伝えたい想いの本質である
「あなたはあなたで良いんだよ」の真意であり
後半でお伝えする「どんなときも。」の真意へとつながっていきます。
2番の歌詞では、僕が気づいた「本当の自分」に自信を抱いていく姿が感じられます。
続きを見ていきましょう。
もしも他の誰かを 知らずに傷つけても
絶対ゆずれない夢が僕にはあるよ
「昔は良かったね」といつも口にしながら
生きて行くのは本当に嫌だから
消えたいくらい辛い気持ち 抱えていても
鏡の前 笑ってみる まだ平気みたいだよ
引用元-「どんなときも。」作詞/槇原敬之
自分への自信が再び満ちているイメージになります。
ここまで来れば「怖いものなし」のようにも感じられますが
ここで怖いのが「過信」や「慢心」…
ある意味「一途」な想いがそうさせるものであり
順調に生きている中で誰もがハマる「落とし穴」でもありますが
自分の強さや弱さを知った「僕」にはその心配はいらない。
どうしてか?
そうなってしまう前に、その危険を回避する術をちゃんと分かっているからです。
それが、2番のサビ。
どんなときも どんなときも
ビルの間 きゅうくつそうに落ちて行く夕陽に
焦る気持ち 溶かして行こう
引用元-「どんなときも。」作詞/槇原敬之
過信と慢心に支配された人間の視野はどんどん狭くなり
時として「目先のことしか見えない」ようになってしまうもの…
それが「ビルの間(を)窮屈そうに落ちて行く夕陽」だと考えられます。
しかし視野を広げれば、ビルを抜けた向こうには大きく広がる空が。
その先にある夢や希望が輝く明日を目指して
今抱えているものは、この大空と夕陽に「溶かして」しまおう。
そして、この想いは
これから進むべき「僕の生き方」への「決意」となって表されます。
そしていつか 誰かを愛し
その人を守れる強さを
自分の力に変えて行けるように
引用元-「どんなときも。」作詞/槇原敬之
生きていれば、どんな形であれ「喜怒哀楽」に遭遇します。
中には独りでは到底太刀打ちできないものもあるでしょう。
そんな時には「誰かが誰かの支えになって一緒に乗り越える」ことが大切。
「喜びは分かち合い、悲しみは分け合って」という言葉があるように…
次の章では、先程お伝えした【どんなときも。】の真意についてお伝えします。
ぜひご覧ください。
【どんなときも】ではなく【どんなときも。】であることの真意
楽曲のタイトルは どんなときも。
言葉の最後に「句点」が付いています。
気づいている人もいるでしょう。
このことが気になった筆者。
想いの本質とした部分をさらに深掘りすると「あること」に気づきました。
どういうことなのか?
歌を聴いている人たちの生き方にエールを贈っている ということです。
具体的にみてみましょう。
サビの部分を少し変えてみます。
意味するところは、こうなります。
自分を見失うことなく、自分の思い描く道を、自信を持って歩んで生きたい。
そう、どんなときも。
この【どんなときも。】の前に来る言葉は、この歌を聴いた人たちがそれぞれの人生の歩みの中で思い描く夢や希望、未来だとした場合「自分が自分であるために必要な言葉」が入ることでしょう。
歌を聴いている人たちの揺れ動く想いにリーチし、その想いを包み込み、思い描く未来を予感させ、それを叶える力へと変えて昇華する【どんなときも。】
あなたはあなたで良いのです。
あなたにはあなたにしか出来ないことがある。
あなたのひたむきな姿、屈託のない笑顔を待っている人がいる。
だからこそ、自分を信じて、支えてくれる人たちと一緒に進もう!
そして、この言葉【どんなときも。】が加わることで
すべての想いが自分の中で「確信」に変わるのではないでしょうか。
タイトルを【どんなときも。】としている真意は
ここにあるのではないかと筆者は考えます。
まとめ
今回は 槇原敬之 さんの どんなときも。 について
歌詞の意味を考察し、この歌が伝えたい想いの本質や
タイトルを【どんなときも。】としている真意についてお伝えしました。
BRAND-NEW MUSIC DAYSでは
この他にもたくさんの楽曲をご紹介していますので
そちらの方もどうぞご覧ください。
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