
――気づき合い、信じ合い、讃え合えば、きっと未来は変えられる。
―心に効く、音楽の処方箋―
【メンタルエイド】BRAND-NEW MUSIC DAYS

社会に疲れ、心がすり減る日々のなかで、
「音楽」がそっと寄り添い、背中を押してくれることがある。
毎回、一つの楽曲をじっくりと掘り下げ、
心に灯をともす“言葉”と“メロディ”の力をお届けする本シリーズですが、
今回は、2025年7月20日に迫る“決戦”へのメッセージとして注目されている一曲を取り上げます。
その楽曲とは――
寿ガールズバンドの話題作、
『日出づる国よ!立ち上がれ!』です。
鋭く、熱く、そしてどこまでもまっすぐに。
この楽曲は、“気づくこと”の大切さと、
無関心という名の鎖から抜け出す勇気を、わたしたちに問いかけてきます。
🔻こんな方に読んでほしい
- 寿ガールズバンドのファン
- 社会のあり方に疑問や不安を感じている方
- 音楽を通じて「前を向く力」をもらいたい方
さあ、歌詞のひとつひとつに耳を傾けながら、
この国の未来と、自分自身の心を、見つめてみませんか?
▶楽曲イメージ|怒りは、誰かを守りたいと願う愛から生まれる

楽曲を初めて聴いた時、筆者の脳裏に浮かんだイメージが2つ。
- 両手を広げ仰ぐ八百万の神
- ライジングサンに吠えるニホンオオカミの姿


この楽曲には、どこか神話的で、霊的で、そして獣のような力強さがあります。
『日出づる国よ!立ち上がれ!』は、明確に現代社会へのメッセージを内包しています。

政治、経済、教育、格差、ジェンダー、自由、表現…
抑圧され、無関心に包まれ、気づけば誰も怒らなくなっていたこの国。
でも—— この楽曲は、その「沈黙」を打ち破るために生まれたのです。

ギターとドラムの重厚なリズムは、まるで暴力にさらされたこの国の鼓動のよう。
そしてボーカルは、静かに、しかし確かに、 “わたしたちは、まだ終わっていない”と歌っている。
怒りは、誰かを守りたいと願う愛から生まれる
その想いが、楽曲全体から発せられ、私たちの心を優しく、強く抱きしめる――
そんな楽曲だと筆者は感じました。
▶歌詞の意味を深掘り|あなたに届ける“無関心からの脱出マニフェスト”

それでは、いよいよ歌詞考察に入ります。
※全文は、記事冒頭のYouTube動画内に掲載されています。
考察と一緒に見て行きたい方は、併せてご覧ください。
◆第1章:叫び ― 無関心という名の敵を討つシャウト
この国を想う心は
誰の中にも 燃えている
バラけた声が 乱反射
同じ未来を 望むのに
このパートに差し掛かった瞬間、まるで胸ぐらをつかまれるような感覚に襲われました。
温厚な楽曲の枠からはみ出すように、彼女たちの歌声が怒りにも似た熱量で放たれるのを聴き、筆者は――
それは“怒鳴る”のではなく、“魂が叫んでいる”のだと感じました。

「同じ未来を望むのに、なぜ私たちは争うのか」
この矛盾に対して、彼女たちは真正面から言葉をぶつけてくる。
しかも、主義主張ではなく、“心の灯り”で映し合おうと呼びかけるのだ。
このシャウトの裏には、
「なぜ分断が起きるのか」という時代そのものへの憤りと、
「本当はみんな、良くしたいと思っているはずだ」という信頼への祈りが同居しているように思えます。
文化も秩序も 根ごと裂く
影が忍ぶ前に 気づけ
戸籍を守り 名を誇り
家族を 家族のままに
ここでは、もはや「政治」や「制度」といった言葉を超えて、
“日本という土壌そのものが揺らいでいる”という危機意識が込められているのではないでしょうか。

シャウトの矛先は、特定の政策批判ではない。
それよりも深い、「気づかないうちに、すべてが失われていく」という静かな恐怖だ。

「影が忍ぶ前に、気づけ」
この一言は、強烈なメッセージ。
“まだ手遅れじゃない”という可能性を、
“でも気づかなければ、もう戻れない”という警告とともに突きつけてくるように感じます。
見て見ぬふりは もうやめよう
「仕方ない」から 踏み出そう
自分の意志で 立ち止まり
この国の未来 思え
ここが、おそらく第1章の核心であり、
この歌が“単なる抗議”や“怒りの表現”にとどまらない最大の理由でもあると筆者は感じます。
「怒り」を通して語るのではなく、
“諦め”を打ち破ることの尊さを語っている。
「仕方ない」と呟く日常。
「どうせ変わらない」と投げ出す心。
それを振り払うように、彼女たちは叫ぶ。

「立ち止まり、この国の未来を思え」
それは、自分の足で立ち、自分の目で未来を見据え、自分の言葉で語り始めるための第一歩。
この歌が求めているのは、行進ではない。“覚醒”ではないでしょうか。
沈む太陽じゃない
昇る光――それが日本だ
このフレーズは、
叫びであり、願いであり、祈りでもあると筆者は感じます。
「もうダメだ」と思っているのは、わたしたち自身かもしれない。
でも彼女たちは言う――「日本は、まだ昇れる」と。

それは、愛国心という言葉に頼ることなく、
“自分たちで光を見つけよう”というメッセージではないでしょうか。
彼女たちが発する叫びは、誰かを責めるためではない。
それは、「無関心」という最も強固な敵に挑む、心の檄文(げきぶん)。
シャウトは怒りじゃない。
魂の目覚めだ。
この歌が聴こえたなら、あなたももう、“目を覚ました一人”だ。
そう伝えてくれていると筆者は感じます。
◆第2章:諭し ― 忘れかけていた“心の根”に手を添えて
忘れるな この大地は
二千年綴(つづ)く 絆の国
先人の知恵と誇り
いま 手に取り 守るとき
第1章で“叫び”という名の覚醒の火が灯されたあと、
このパートでは、まるで古(いにしえ)からの声が語りかけてくるような静けさが広がります。
鋭く訴えるのではなく、
心の奥にそっと触れてくるようなこの旋律は、
忘れていた“想いの根っこ”――
わたしたちが立っている“地面”を見つめ直すきっかけとなります。

- 「この国のことなんて、考えたこともなかった」
- 「歴史は過去のもので、自分には関係ない」
そう思ってきた人にとっても、この歌声は決して否定ではなく、“寄り添い”として響くのです。
日出づる国よ もう一度
失った光を 取り戻せ
真実は 誰かではなく
自分の胸に 宿るもの
ここには、彼女たちの真骨頂とも言えるメッセージの核心が現れていて、
第2章の“象徴”でもあると筆者は感じます。
「真実は誰かではなく、自分の胸に宿るもの」
これが持つ意味は、あまりにも大きい。
情報があふれる現代において、“何を信じるか”ではなく、
“どう感じるか”が、自分の軸となる。
それを、静かに、しかし確かな声で伝えてくるのです。

政治でも、歴史でも、生活でも、自分で感じ、自分で考えるということの尊さ。
それは、ただ「声を上げろ」という意味ではありません。
まずは、自分の胸に灯る“ほんの小さな違和感”や“希望”に、ちゃんと気づいてあげること――。
この歌は、その最初の一歩をそっと背中で押してくれるのです。
減税で 息吹を戻し
暮らしを守る 盾となれ
荒れた土にも 咲く花は
誇りと 希望の種から生まれる
ここで語られるのは、どこまでも「現実的な暮らしの再生」。

理想論ではない。
耳触りのいい夢物語でもない。
- 「税に疲れた暮らし」
- 「諦めが支配する空気」
- 「未来に不安を抱える若者や家庭」
そんなすべての“今”を見つめたうえで、彼女たちは歌うのです。
「それでも、種は蒔ける」と。
“荒れた土”とは、今の社会かもしれない。
自分の心かもしれない。
でも、そこには“誇り”と“希望”を植えることができる。
それを信じる力が、人を前へと歩かせるのだと、やさしく諭してくれるのです。
このパートで歌われるのは、“過去に戻ろう”という懐古ではありません。
「未来をつなぐために、私たちは何を忘れてはいけないのか」という問いです。

叫びのあとに静けさが訪れ、
その静けさが、わたしたちの心の深いところに眠る“根っこ”に手を添える。
まさに原点回帰という名の“再出発”を示しているのではないでしょうか。
◆第3章:決意 ― 自分の未来を“他人”に委ねない生き方へ
誰を信じるか じゃない
自分は どう考え 動くか
それが 生きる意味
ここまで歌われてきた言葉たちは、すべて、この“決意”に集約されていく。
本当の意味での「立ち上がれ」は、社会を変えろという命令ではない。
それは、「自分自身のあり方を、今ここで問うてみよう」という内なる声なのだ。

何を信じるか、ではない。
誰に委ねるか、でもない。
「私はどう考え、どう生きるか」
このシンプルな問いは、あらゆる迷いや情報の渦を超えて、
わたしたちの“存在の軸”を静かに掘り起こしてくれるのではないでしょうか。
この国を壊すのは
外敵じゃない 無関心だ
気づいた瞬間(とき)から
未来は 変えられる
このフレーズは、第3章の“象徴”であり、本楽曲の精神的コアとも言える言葉。

痛烈で、正直で、そしてまっすぐ。
敵は、他国ではない。陰謀論でもない。
「自分には関係ない」と目をそらす心こそが、国を腐らせる。
この言葉がシャウトではなく、宣言として歌われているのがまた印象的です。
叫ばなくても響く真実が、ここにはある。
そして何より重要なのは――
「気づいた瞬間から、未来は変えられる」
という余白を残した可能性の提示。

それは、強要でも絶望でもなく、
“あなたにはまだ力がある”
という静かな希望の灯火のように筆者は感じます。
誇りを取り戻す日まで
もう 誰かに 任せない
この国の未来は
私たちが 創ると誓う
ここまで来ると、もはやこれは“メッセージ”ではない。
誓いです。

彼女たちが掲げたこの誓いは、
一人ひとりの心の奥に、じわじわと火を灯していく。
「誰かに任せない」という言葉の裏にあるのは、
“誰かを責めるのではなく、自分に還る”という潔さ。

そして、「私たちが創る」と語るとき、
その“私たち”には、政治家でも活動家でもない、
この国で暮らす普通の人びと――あなたや私――が含まれている。
沈む太陽じゃない
昇る光――それが日本だ
気づきの歌が 届くなら
希望は まだ ここにある
このラストのフレーズは、「終わり」を予感させるようでいて、
実は“はじまり”の象徴なのかもしれません。

この国が沈むかどうかは、誰かが決めることではない。
私たち一人ひとりが、“気づく”ことを選ぶかどうかにかかっている。
「気づきの歌が届くなら、希望はまだここにある」
この一行に宿る光は、どんな希望よりも、現実的で美しい。
それは――
他人にゆだねない、自分の心で選ぶ希望。
この歌は、他人を動かすための歌ではない。
自分の心に、“本当の誇り”と“本当の希望”を取り戻すための歌。
今ここに生きる“私たち”にこそ向けられた決意の歌なのだ。

斜に構えるのではなく、不満をただ叫ぶのでもなく、
この国を愛し、この国で生きる者として、
未来にバトンを渡す“言行一致”の生き方をしよう――。
それが、この楽曲に込められた、
心からの“メンタルエイド”なのだと、筆者は感じました。
▶まとめ ― “誰か”ではなく“わたし”から始まる再生

今回、取り上げた楽曲。
寿ガールズバンドの『日出づる国よ!立ち上がれ!』――
この楽曲は、ただの応援歌でも、反体制の叫びでもありません。
それは、“心のスイッチ”をそっと押してくれる【気づきの歌】。
シャウトとともに目覚めを促し、諭すように心の根を掘り起こし、
そして最後には「自分が選ぶ未来」を誓わせてくれる。
一貫して訴えられているのは、「誰かを責める」のではなく、
“自分で考え、自分で動こう”という生き方の提案です。
◆音楽が教えてくれる「誇りの持ち方」

沈む太陽じゃない
昇る光――それが日本だ
この言葉に象徴されるように、
この楽曲が描く日本は、“かつての栄光”ではなく、これから輝く場所。
「誇り」とは、過去を美化することではありません。
今を懸命に生き、明日へ希望をつなげようとする姿勢こそが、誇りとなるのです。
そして何より、寿ガールズバンドの声が私たちに伝えてくれたのは、
「気づいたあなたなら、もう動ける」という静かな信頼。

未来を、もう“誰か”に任せない。
この国に生まれ、生きている私たち自身が“つくる”と決めるだけで、未来はきっと変わる。
🌞 あなたの中に、光はもう灯っている

もしあなたが今、
「もう日本なんてどうしようもない」
と思っていたとしたら。
あるいは、
「考えてもどうにもならない」
と投げ出していたとしたら。
そんな時こそ、この楽曲を聴いてみてください。
この歌の中には、“あなたを責めない希望”が宿っています。

自分を信じていい。
仲間を信じていい。
この国を、未来を、もう一度、信じてみてもいい。
その一歩は、誰かじゃなく、“あなた”から始まるのです。
📝最後に…
この考察が、あなた自身の「気づき」のきっかけになれば幸いです。
そして、寿ガールズバンドの『日出づる国よ!立ち上がれ!』が、
“メンタルエイド”としてあなたの心を照らし続けてくれることを、心から願っています。

――気づき合い、信じ合い、讃え合えば、きっと未来は変えられる。
それは、理想ではなく、今ここにいる私たちが選べる現実です。
BRAND-NEW MUSIC DAYSでは
他にも多くの楽曲を考察しています。
そちらもぜひ、ご覧くださいね。





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