「最近、朝が来ても何も変わらない気がする――」
そんな気持ちになったことはありませんか?
――バブル経済崩壊、就職氷河期、長引くデフレ。
「失われた30年」の闇から打ち上がる花火。

それは、Aimerさんがこの歌に託した”希望”というライジングサン…
―心に効く、音楽の処方箋―
【メンタルエイド】BRAND-NEW MUSIC DAYS

毎回、一つの楽曲を徹底考察し、あなたの心に癒しと力をお届けする本シリーズ。
今回は、Aimerさんの楽曲「太陽が昇らない世界」を取り上げます。
▶はじめに

「太陽が昇らない世界」は、2025年7月18日公開のアニメ映画
「劇場版 鬼滅の刃 無限城編・第一章:猗窩座再来」の主題歌として、
Aimerさんが手がけ、書き下ろした楽曲。

公開前から大きな話題を集め、目下注目度は最高潮に達しています。

楽曲考察に当たり、多くの人がこの曲を
「鬼滅の刃」の物語と重ねて読み解いておられるのはよく分かりますし、
実際そういう楽曲であることは間違いありません。
しかしながら、筆者には、こう思えたのです。
”現実の、夜が明けない世界”を生きる私たちに語りかけている歌なのではないかと。
その感覚を大切にし、それを皆さんと一緒に共有したい――
本記事では、楽曲イメージやタイトル、歌詞の意味などを丁寧に深掘りし、
この歌が”現世に何を伝えようとしているのか?”を読み解いていきます。
この“太陽が昇らない”時代をどう生き抜くのか――
そんな問いのヒントを、この歌から一緒に探っていきましょう。
どうぞ最後まで、お付き合いください!
▶楽曲イメージ

この楽曲を初めて耳にした瞬間、筆者の脳裏には、ある光景が浮かびました。
それは――
“荒廃した街に打ち上げられた花火”という、静かで切実なビジョン。

ビルのガラスは割れ、誰もいない交差点。
吹き溜まりに舞う紙屑の向こう、
誰かが見上げた夕闇近づく空に、一瞬だけ、花火が――

それは祈りのように――咲く。
この情景こそが、「太陽が昇らない世界」というタイトルに潜むメッセージを象徴しているのではないでしょうか。

“夜明けが来ないかもしれない”とされる不安多き時代に、
それでも誰かが希望を打ち上げる――
そんな想いが、この歌には宿っているのではないかと思うのです。
▶歌詞の意味を徹底考察!

それでは、歌詞考察に入りましょう。
印象的な歌詞をピックアップし、深掘りしていきますね。
※JASRAC管理楽曲のため、すべての歌詞は掲載していません。
詳しく知りたい方は、以下のリンクからご確認ください。
■「元凶 絶対の理不尽なダークネス」――鬼とは何か?“この国の闇”とは何か?
元凶 絶対の理不尽なダークネス
妖々 あらがえない異形の闇を裂き
『鬼滅の刃』において「鬼」は、明確に“人を喰らう”存在として描かれていますよね。
しかしその思考の多くは、社会の中で見捨てられた人間たちの末路ということがいえるのではないでしょうか。

たとえば、貧困や虐待、差別や病苦。
彼らは「弱さ」や「不条理」に打ちのめされ、“鬼”になるしかなかった。
そして彼らを取り巻くのは、名もなき「元凶」――
社会の疲労や、共感の枯渇、格差や搾取の構造ではないでしょうか。
これは現代の私たちにとっても同じことがいえます。

あらがえない「異形の闇」――
それは、たとえば次の世代に遺すことすらままならない年金制度の問題や、
夢のない時代に未来を信じられなくなった若者、
自己顕示と承認欲求が交錯するSNSの炎上と孤立といったものが考えられます。

それは言い換えれば、“悪意”というより、“無関心”という形をした暴力ではないでしょうか。
筆者はそう感じます。
■「荒々しい潮騒が 頬をすり抜けていく」――静かなる暴力の感触
荒々しい潮騒が
頬をすり抜けていく
積もり積もった悲しみに迷いはない
ただ、ただ前を向いて 飛べ
このフレーズに感じられるのは、
「破壊的なものが日常に溶け込んでいる」という矛盾のリアリティ。

“潮騒”とは本来、海のさざ波や自然の音を想起させる優しい言葉。
しかしここでは、「荒々しい」という形容が付けられ、
頬を“すり抜けていく”という表現も、まるで暴力が皮膚をかすめる感覚を呼び起こします。
これは、暴力や不条理が表立って爆発するのではなく、
無関心の形をしてすり抜けていく社会構造そのものではないかと筆者は感じます。

たとえば、助けを求める声が掻き消されるような現代社会。
日々流れてくる事件や災害の報道を
「どこか他人事」のように感じてしまうあの鈍さ。
荒々しいのに、音もなく、すり抜けていくもの。
それは、誰かの悲しみが見過ごされる“現世”そのものではないでしょうか。
■「いま 修羅の時」――現代という“夜明けなき時代”
いま 修羅の時がきた
この太陽が昇らない世界の
このフレーズは、『鬼滅の刃』にふさわしい決意と覚悟の表現ですが、
同時に、今の日本社会にも恐ろしくリンクしているように筆者は感じます。
“太陽が昇らない世界”とは、希望や未来が見えない社会だと考えると、
より鮮明にイメージされるのではないでしょうか。

特に、経済の低迷、選択肢の乏しさ、そして無関心が支配する民主主義。
そして、2025年の参議院選挙以降の政治状況に対する懸念や不安――
この国の夜明けは、あまりにも遠く、
まるで何年も太陽が昇っていないかのように見える。

「修羅の時」とは、そんな現実を前にして、
何かを選び取るしかないという“強い覚悟”の呼びかけであり、
同時に私たち一人ひとりが「闘う者」になる瞬間を意味していると思えてなりません。
▶この歌が“私たち”に伝えていること

歌詞考察から、「太陽が昇らない世界」は、単なる絶望の表現ではなく、
“それでも、誰かが希望を掲げようとする歌”だと筆者は捉えています。

すべてを失っても、前を向こうとする姿。
名もなき誰かの痛みを抱きながら、誰かの背中を押す存在。

それは、炭治郎たちのような「鬼殺隊」の姿であり、
現代を生き抜こうとする私たち自身の姿にも重なります。

闇の中で光を求める。
希望がないように見えても、それでも誰かが手を伸ばす――。
そんな祈りが、Aimerさんの声には宿っているのではないでしょうか。
▶まとめ|絶望を照らす、“花火”のような歌

今回は、Aimerさんの楽曲「太陽が昇らない世界」を徹底考察しました。
記事で描き、イメージしていただいた
「荒廃した街に打ち上げられた花火」。
あの花火は、きっと誰かの心に宿った希望そのものです。

音を立てて、燃えて、咲いて、消える。
それでも確かに、その瞬間だけは世界を照らす。
「太陽が昇らない世界」は、
たとえ夜明けが訪れないとしても、
誰かが灯す小さな光で、また歩き出せることを教えてくれる――
そんな“現世の応援歌”なのではないかと筆者は感じました。
音楽は、聴くたびに新しい“気づき”と、今と向き合う“きっかけ”をくれます。

「太陽が昇らない世界」を、「眩い光が溢れる世界」にするのは
私たち一人ひとりの“勇気”と“信念”なのかもしれません。
BRAND-NEW MUSIC DAYSでは
他にも彼女の楽曲を考察しています。
そちらもぜひ、ご覧くださいね!








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