
【メンタルエイド】
BRAND-NEW MUSIC DAYS

今回あなたの心に届けたい楽曲は
サザンオールスターズの楽曲「暮れゆく街のふたり」です。
はじめに

サザンオールスターズの「暮れゆく街のふたり」は、柚月裕子さん原作、坂口健太郎さん・渡辺謙さん主演の映画『盤上の向日葵』の主題歌として発表されました。
初めて聴くと、まるで場末の酒場の有線放送から流れてくる演歌のような雰囲気を持ち、哀愁漂うメロディと歌詞が深く心に響きます。
そして歌詞を紐解いていくと、単なる男女の別れを描いたラブソングではなく、より深い人間関係や運命の絡み合いが感じられ、聴き込むほどに「生きること」について考えさせられる人が多いのではないでしょうか。
この記事では、印象的な歌詞の中から、特に注目すべきフレーズ「遭わせた」「遭えたら」という言葉の選択や、「カモメに訊く」という表現が持つ意味に着目し、この楽曲が伝えたい想いの本質に迫ります。
どうぞ最後までお付き合いください。
歌詞の意味を考察!見えてくる想いの本質とは?

それでは歌詞考察に入ります。
正式な発表は3月19日以降になりますが、ここではSNS等で配信されている音源から引用する形で考察を進めていきたいと考えます。
歌詞の解釈:「遭わせた」と「遭えたら」に込められた意味
夏の懈怠が遭わせたふたり
「暮れゆく街のふたり」 サザンオールスターズ 歌詞引用
生まれ変わって遭えたらいいね
「暮れゆく街のふたり」 サザンオールスターズ 歌詞引用
歌詞の中で特徴的なのは、「会わせた」ではなく「遭わせた」、「会えたら」ではなく「遭えたら」という表現が用いられていることです。
「遭う」という言葉は、単に出会うという意味だけでなく、「運命的な出会い」や「予期せぬ巡り合わせ」を示すものですが、映画の内容ともリンクしていて、まるで抗えない運命の流れの中で二人が出会い、そして別れる運命を持っているかのように表されています。
このことを踏まえ、歌詞を見ていくと、こんな想いが込められていると筆者は考えます。
「夏の懈怠が遭わせたふたり」
- 自然な出会いではなく、何かの流れや運命に導かれるように出会った二人
- ある種の必然とも言える出会いでありながら、決して幸福なものとは言い切れない関係
「生まれ変わって遭えたらいいね」
- もう二度と会うことができないかもしれない切なさ
- たとえ再会できたとしても、それは偶然の巡り合わせであり、自分の意思ではどうにもならない無力感
「カモメに訊く」が示すもの
その先は明日カモメに訊くよ
「暮れゆく街のふたり」 サザンオールスターズ 歌詞引用
行く先は遠くカモメに訊くよ
「暮れゆく街のふたり」 サザンオールスターズ 歌詞引用
歌詞には「その先は明日カモメに訊くよ」というフレーズが登場します。
カモメは海を渡る鳥であり、自由の象徴でもありますが、陸と海の境界に生きる存在でもあり、自由に空を舞う一方で、波間に漂うように行き場を失くしている姿を見せたりもする…
このことから考えると、「カモメに訊く」とは、こんな意味を示していると考えられます。
- 自分自身の未来や行く末を、自分で決めることができない
- あてもなく漂う人生の中で、風に流されるように生きるしかない
「何を以て人は“生きている”といえるのか?」

映画のテーマともリンクしますが、この楽曲が投げかける大きな問いの一つが「何を以て人は“生きている”といえるのか?」です。とても深いテーマであり、問いかけになっていますが、あなたは何と答えますか?
筆者は、「闘うこと」が生きている証であると考えます。
大切な人を護るため、自分の不甲斐なさに克つために「闘う」
痛みや苦しみの中、生存への僅かな可能性を信じて病魔と「闘う」…
その姿を目の当たりにした時、歌詞の中の言葉を引用すれば
人は胸の灯りを取り戻し、再び眩しい光を放つのではないでしょうか。
このことが「何を以て人は”生きている”といえるのか?」の答えだと筆者は考えるのです。
まとめ

今回は、サザンオールスターズの楽曲「暮れゆく街のふたり」について
この歌が伝えたい想いの本質に迫りました。
「暮れゆく街のふたり」は、単なる男女の別れの歌ではなく、人生の岐路に立つ人々の哀愁や、運命に翻弄される人々の姿を描いた楽曲です。
映画『盤上の向日葵』の将棋棋士たちの生き様とも重なる部分が多く、まさに作品の世界観を象徴する一曲と言えるでしょう。
BRAND-NEW MUSIC DAYSでは
この他にもたくさんの楽曲をご紹介していますので
そちらの方もどうぞご覧くださいね。
※サザンオールスターズの他の楽曲の歌詞考察も併せてご覧ください。
2025 歌詞考察ブログ
コメント