――無味無臭でも、光は放つ「ファクト」の矢。
闇に消えるか、撃ち破るのか―それを決めるのは、私だ。
―心に効く、音楽の処方箋―
【メンタルエイド】BRAND-NEW MUSIC DAYS
毎回、一つの楽曲を徹底考察し、あなたの心に癒しと力をお届けする本シリーズ。
今回は、Omoinotakeの楽曲「フェイクショー」を取り上げます。
Omoinotakeの「フェイクショー」は、逆津ツカサさん原作、岩田剛典さん主演の日本テレビ系ドラマ
「DOCTOR PRICE」主題歌として書き下ろされた楽曲。
メスもカルテも持たない主人公・鳴木金成(演:岩田剛典さん)は、
“医者の値段”をつけて病院に売り込むという、
前代未聞の医療専門エージェント。
その裏には、医療過誤で自死に追い込まれた父の無念を晴らすという目的が隠されている――
本記事では、そんなドラマの世界観を踏まえながら、
「フェイクショー」の楽曲イメージや歌詞の意味を丁寧に読み解き、
込められたメッセージに迫っていきます。
どうぞ最後までお楽しみください。
この曲を初めて聴いたとき、筆者の脳裏に浮かんだのは――
たった一音だけ鳴らないトランペットの姿でした。
見た目もフォルムも美しく、完成された楽器のはずなのに、
いざ音を奏でてみると、どこか“違和感”を覚える。
それは、誰にも気づかれないほど小さな異変かもしれません。
けれど、その“鳴らない一音”が実は致命的な欠陥であることもあるのではないでしょうか。
まるでそれは、完璧な経歴や肩書きを持ちながら、
内面には欠落や歪みを抱えている人間の姿を映しているようにも感じられました。
本楽曲は、疾走感あふれる洗練されたメロディーが特徴です。
本来であれば、前向きでエネルギッシュな印象を与えるアレンジであるにもかかわらず、
どこか哀しみを帯びた音の響きが、耳に残る――
その切なさが、まさに“鳴らない一音”に宿る違和感と虚ろさを思い起こさせたのかもしれません。
ドラマのタイトル「DOCTOR PRICE」は直訳すれば「医者の価格」ですが、
本来、PRICE(価格)とは、VALUE(価値)から導き出されるもの。
果たして現代の医療業界は、その“価値”を正しく見ているのだろうか――
そんな問いかけに呼応するように、
主題歌「フェイクショー」は静かに、そして力強く響いてきます。
真実と嘘、白と黒の境界が曖昧になったこの世界で、
私たちは何を信じて生きるべきなのか。
その答えを探しに、“矢”のような真心が放たれていくように感じました。
「医」という漢字の中にある「矢」。
それは、医師という存在の奥にある、
まっすぐな意志や信念を象徴しているのかもしれません。
そして、勇気を抱いてその“矢”が放たれたとき、
見えなかった“真実”が、初めて浮かび上がってくる。
筆者はそう感じます。
それでは、歌詞考察に入っていきましょう。
印象的な歌詞をピックアップして、深掘りしていきますね。
※JASRAC管理楽曲のため、すべての歌詞は掲載していません。
次から次へ 幕開ける フェイクショー
嘘も誠も あなた次第のテイスト
この冒頭で描かれているのは、情報があふれすぎた現代社会の姿です。
真実も嘘も、“捉え方(テイスト)”や“演出”によって受け取り方が変わってしまう。
これは、医療の世界でも、同じことが言えるのではないでしょうか。
手術件数や学歴といった“数値”は見えても、
人間性や誠実さといった“内面の価値”は、どうしても見えにくいものです。
テーブルの シロとクロ
混ぜ合わさないで 飲み干して どっちかを
このフレーズは、現代社会に蔓延する“白か黒か”の二極的思考を暗示しています。
曖昧さやグレーゾーンを許さず、どちらかに“決めつけ”てしまう空気が、
かえって真実を歪めてしまうのかもしれません。
どうやら人は 無味無臭のファクトよりも
スパイス効いた 紛い物を選ぶの
このフレーズは、人間の心理を遠回しながら突いているのではないでしょうか。
事実そのものは味気なく、注目も集めません。
けれど、刺激的な噂や派手な演出が加わると、
それが「真実らしく」見えてしまうのです。
医療の現場でも、医師の内実よりも
経歴・ブランド・肩書きが重視されることがあります。
けれど、本当に大切なのは“中身”なのではないでしょうか。
どれだけ立派な装いでも、
鳴らない一音=違和感や欠落があるなら、
その人の本質的な価値は見直されるべきかもしれません。
サヨナラしなくちゃ 不確かな世界で
ねぇ 何が正解って 疑心暗鬼の真夜中
情報が錯綜し、誰もが何を信じていいか分からなくなっている現代。
「正解」も「真実」も、自分自身で確かめるしかありません。
この状況は、ドラマの主人公・鳴木金成が生きる世界そのものです。
それでも僕らは 閉ざされた未来へ
ノックし続けて 在るはずの答えに 手を伸ばす
どれだけ困難で、闇が深くても、ノックし続けることをやめない。
それは、私たち一人ひとりが持ち得る「真心」という名の“矢”なのかもしれません。
ダンスフロア 世界中踊ってるつもりで
踊らされてるかもしれない 「フェイクショー」
自分で考え、選んでいるつもりで、
実は誰かの仕掛けた構造の中で踊らされている――
そんな現代の滑稽さと虚しさが、このフレーズには込められています。
これは、医療業界に限らず、SNSやニュース、
あらゆる情報の中で生きる私たち全員に向けられた
警告なのではないでしょうか。
そしてそれは、単なる警告だけではなく
狂った現世への気づきを促す“シュプレヒコール”のようにも感じます。
僕を信じてやれるのは この心だけだから
いつか僕だけの「大切」を 抱き締めるため
このメッセージには、深い信念が感じられます。
自分を信じてあげられるのは、自分の心だけ。
それは、どんな立場にあっても、どんな情報に囲まれていても変わりません。
「医の中の“矢”」という比喩が示すように、
真心は、どんなフェイクよりも強く、まっすぐに届く力を持っています。
今回は、Omoinotakeの楽曲「フェイクショー」を徹底考察しました。
「フェイクショー」は、
華やかさの表面に隠された“違和感”を見逃すな――
そんな静かなメッセージが、胸に深く刺さってきます。
真実か嘘か、それすらも“演出”や“印象”で決まってしまう現代において、
私たちは、果たして何を信じ、何に価値を見出せばよいのでしょうか。
誰かが決めた「白」や「黒」ではなく、
自分自身の心の奥にある“違和感”にこそ、
耳を澄ませるべきではないかと筆者は考えます。
それは、たった一音だけ鳴らないトランペットのようなもの。
音を失ったその“欠落”は、時に最も雄弁に、真実を語ってくれます。
「DOCTOR PRICE」の主人公・鳴木金成が、
自らの矢を放ち、医療業界の闇を射抜こうとするように、
この楽曲もまた、フェイクな世界を射抜く「真心の矢」を放っているのです。
無味無臭で、地味で、誰にも気づかれないかもしれない。
けれど確かに、そこに“ファクト”は存在している。
そのファクトの矢を、見つけて、信じて、放てるかどうか――
それを決めるのは、他の誰でもない「私」なのです。
BRAND-NEW MUSIC DAYSでは
他にも彼らの楽曲を考察しています。
そちらもぜひ、ご覧くださいね!
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