【メンタルエイド】
BRAND-NEW MUSIC DAYS
今回あなたの心に届けたい楽曲は
桑田佳祐さんの楽曲「祭りのあと」です。
1994年に発表された桑田佳祐さんの「祭りのあと」は、ミディアム・テンポのバラードであり、男と女の関係を“祭り”に例えて歌った楽曲です。
中山秀征さん主演のドラマ「静かなるドン」の主題歌でもあり、当時から人気があった楽曲でしたが、時代が変わってもなお高い人気を誇っているのは、あなたも知っていることでしょう。
今回は、桑田佳祐さんの楽曲「祭りのあと」について、楽曲のイメージや歌詞の持つ深い意味と哀愁漂う表現について徹底的に考察し、この歌が伝えたい想いの本質に迫りたいと考えます。
どうぞ最後までお付き合いください。
楽曲はイントロとアウトロのメロディーが特に印象的で、恋の終わりを受け入れながらも、心の傷を抱えたまま夜の街へと消えていく男の姿が目に浮かぶようです。
これまでの恋愛を顧みながら、楽曲の主人公の気持ちに触れると、より一層楽曲から伝わる想いが心に染みるのではないかと筆者は考えます。
それでは歌詞考察に入ります。
印象的な歌詞をピックアップし、深掘り考察しながら
この歌が伝えたい想いの本質に迫ります。
※歌詞の一部を引用しています。
全文をご覧になりたい方は、以下のリンクからご確認ください。
恋も涙も純情も 生きるためには捨てよう
「祭りのあと」 桑田佳祐 歌詞引用
今日も汚れた人ごみに背中丸めて隠れてる
ここでは、恋愛や純粋な感情を持ちながらも、現実の厳しさの中でそれを捨てざるを得ない男の姿が描かれています。「汚れた人ごみ」は、都会の冷たさや孤独を象徴しており、恋が終わった後の虚しさを際立たせ、想いを断ち切って前を向く姿がイメージされるのではないでしょうか。
野暮でイナたい人生を 照れることなく語ろう
「祭りのあと」 桑田佳祐 歌詞引用
悪さしながら男なら粋で優しい馬鹿でいろ
このフレーズこそ、男としての理想像を描いた名言と言えるでしょう。
「悪さしながら男なら粋で優しい馬鹿でいろ」は、まさに『惚れた女の前でする、男が最も苦手な行動』を表していると考えられます。つまり、格好つけずに、不器用でも誠実に愛することの大切さが伝わってくるということだと筆者は考えます。
底なしの海に 沈めた愛もある
「祭りのあと」 桑田佳祐 歌詞引用
酔い潰れて夜更けに独り
月明りのWindow
悲しみの果てに おぼえた歌もある
胸に残る祭りのあとで 花火は燃え尽きた
この部分が、楽曲の中で最も印象に残る歌詞になります。
ここでは、失われた愛と、それを忘れられない男の心情が描かれています。
特に「胸に残る祭りのあとで 花火は燃え尽きた」は、まさに「恋の終わり」と「別れの美学」の象徴であり、激しく燃えた恋だからこそ、その終わりが儚い心情と共に余計に響き、燃え尽きた想いの切なさを際立たせているのではないでしょうか。
眠れない街に愛する女性(ひと)がいる
「祭りのあと」 桑田佳祐 歌詞引用
お前だけが死ぬほど好きさ
秋風のShadow
終わらない夏に 誰かとめぐり逢う
夢の中で彷徨いながら 涙も枯れ果てた
大サビの歌詞。
男はこの恋を完全に忘れることはできず
夜の街で彼女を想い続けているといったイメージが浮かぶのではないでしょうか。
死ぬほど好きで愛したからこそ、過ごした日々が記憶から離れないが
枯れ果てるほど流した涙が教えてくれたのは『後悔』ではなく『感謝』。
そのことを知り、男は新たな出会いと恋のはじまりを信じ、歩き始める。
秋風と夏の対比が、恋の終わりと新たな出会いを示唆しており
季節の移ろいとともに彼の心も変化していくことを感じさせますよね。
今回は、桑田佳祐さんの楽曲「祭りのあと」について
楽曲イメージや歌詞の意味を徹底的に考察し
この歌が伝えたい想いの本質に迫りました。
「祭りのあと」は、恋の終わりを美しく、そして切なく描いた名曲です。
桑田佳祐さんの哀愁漂う歌詞とメロディーが、男の不器用さや恋の儚さを見事に表現しており、恋をしたことがあるすべての人が共感できる普遍的な美しさが詰まっていると「桑田佳祐 祭りのあと」の歌詞考察を終えて、あらためて筆者は感じました。
恋の余韻を感じながら、この楽曲を改めて聴いてみてはいかがでしょうか?
BRAND-NEW MUSIC DAYSでは
この他にもたくさんの楽曲をご紹介していますので
そちらの方もどうぞご覧くださいね。
※桑田佳祐さんの他の楽曲の歌詞考察記事を併せてご覧ください。