――正気なんか、失え。
妖しき夜を、狂おしく踊れ。
―心に効く、音楽の処方箋―
【メンタルエイド】BRAND-NEW MUSIC DAYS
毎回、一つの楽曲を徹底考察し、あなたの心に癒しと力をお届けする本シリーズ。
今回は、King Gnuの楽曲「SO BAD」を取り上げます。
「SO BAD」は、2025年9月5日から開催される、
大阪・ユニバーサルスタジオジャパンの大人気イベント
「ハロウィン・ホラー・ナイト」の「ゾンビ・デ・ダンス」メインテーマソングとしてKing Gnuが手がけた楽曲です。
“正気なんか、失え。”というキャッチコピーのもと、
非日常の狂騒へと観客を誘うこのイベントにおいて、
「SO BAD」はその世界観を音楽として体現しています。
ゾンビと人間がひとつになって踊る――
そんな“混沌と共鳴”の夜に、King Gnuが描き出したのはどんな物語なのでしょうか?
本記事では、楽曲イメージやタイトル、歌詞の意味を丁寧に深掘りし、
伝えたい想いに迫っていきます。
どうぞ最後まで、お付き合いください。
メロディーは、勇ましさと妖しさが絶妙にブレンドされながら転調を繰り返し、
リズムは一定の秩序を刻みながらも、どこか不穏で、予測不能。
この“歪なノリ”が、「夜の街」「仮装の群衆」「人ならざる者たちの宴」を演出し、
私たちの心身を支配し、思考を停止させる方向へ誘っていく――
そのサウンドを聴いた筆者の脳裏に、次のようなイメージが浮かびました。
この三色の光が、ティザーの短い音源から見事に立ち上がってきたのです。
それはまるで、ゾンビに扮した人々が正気と狂気の境界を超え、
踊りながら“光”を見出していく物語のようでもあります。
ブルー、レッド、そしてホワイト――
楽曲をすべて聴き終えた直後、
あなたの心と身体を支配しているのは、何色の光でしょうか?
リズムと音が、人を「理性」から「感覚」へと変貌させ、
“正気なんか、失え”というコンセプトを見事にデザインしていると言えるでしょう。
それでは、歌詞考察に入りましょう。
※本記事では、著作権等により、すべての歌詞は掲載していません。
歌詞の世界観を詳しく知りたい方は、音楽配信サービスや歌詞検索サイトでご確認ください。
歌詞に描かれている世界観は、大きく5つに分かれています。
1つずつ読み解いていきますね。
楽曲の出だしにある“存在の喪失/継承”のイメージは、
個人や集団の終焉と再生を同時に示します。
表面的な“王”が消えても、真に重要なのは
その意志や感情が誰の内に宿るかという点です。
最悪で最高――
最悪な気持ちが最高潮に達しているのか?
それとも、最悪な状況下であっても最高の気持ちになることを懇願しているのか?
繰り返されるフレーズに寄り添うように奏でられる
メロディーの勇ましさが答えになっているように思えます。
筆者がこの反復は、負の側面(最悪)を単なる絶望として捉えず、
そこに歓喜や連帯の可能性を見出す逆説的な祝祭宣言だと感じました。
このことはUSJのイベント空間における“恐怖を楽しむ”身体性とも共鳴します。
“絵空事の政治”や“沈みゆくこの國”といったフレーズは、
政治や社会の無力さ・欺瞞へのシュプレヒコールの意味合いを持ちます。
一方でそれでも“うちはうち”と、
やる気なく現世に甘んじながら繋がる共同体の“開き直り”が描かれており、
諦めではなく“生きることへのたくましさ”として表現されています。
フレーズに在る“サイテーの友達”や“一蓮托生”は、
完璧ではない他者と共に生きる覚悟と喜びを示しており、
欠点や欠落を含めて受け入れる連帯感が強調されています。
英語パートの吐露は、内面のむき出しの欲望をそのまま肯定する瞬間です。
「I WANT THIS SO BAD」という直接的表現は、
欲望が行動へと直結する衝動性を示し、曲全体のエネルギーを解放します。
そして注目すべきは、何度も繰り返される「SO BAD」。
たった5文字で構成されるこのシンプルなフレーズが目と耳に飛び込んでくることで、
楽曲に強い中毒性が生まれます。
“so bad”とは、直訳すれば「とても悪い」。
しかし、英語圏ではしばしば肯定的に用いられ、
「どうしようもないほど魅力的」
「抑えきれないほど好き」
といったニュアンスを帯びます。
この「SO BAD」のリフレインは、まさに抗えない欲望の渦。
私たちの無意識に働きかけ、何度も何度も、その言葉に心が引き寄せられていく――
それはまるで、ゾンビが理性を失い“本能”に突き動かされていく様にも似ています。
改めて「so bad」というスラングの意味を確認すると、
「やばいほど良い」「めちゃくちゃ好き」「たまらない」といった、
肯定的かつ熱狂的な表現であることが分かります。
つまり「SO BAD」というフレーズには、
「それだけ強く、熱烈に求めている」という意味が込められており、
これはUSJのハロウィンイベントが目指す
「理性を吹き飛ばす体験」と見事に一致しているのではないでしょうか。
であれば、タイトルが象徴するのは、理性では制御できない衝動。
たとえば、
King Gnuはこれまでの楽曲でも、
“正気と狂気”“社会性と本能”という二項のせめぎ合いを描いてきました。
そして今回の「SO BAD」では、その振れ幅を最大限に振り切り、
快楽へと堕ちていく美しさを全身で描こうとしているのかもしれません。
USJの「ハロウィン・ホラー・ナイト」は、
“ただ怖がる”だけのイベントではありません。
仮装、ダンス、ゾンビとの狂宴――
その本質は恐怖すらもエンタメに昇華する「遊び心の爆発」です。
「SO BAD」というフレーズは、まさにその核と響き合う言葉。
• 悪ノリしたくなるほどのテンション
• 普段は隠している“異常性”を全開にできる夜
• “やっちゃいけない”を“やってもいい”に変える魔法の言葉
USJの空間と、彼らの音楽が重なることで、
“狂気が肯定される夜”が完成するのです。
“狂気が肯定される夜”を描く場合、
そのまま「CRAZY NIGHT」でもいいし、
「CRAZY PARTY NIGHT」でもいい。
「HALLOWEEN DANCE」でも十分に伝わるでしょう。
でも、どうして「SO BAD」というタイトルにしなければならなかったのか?
このタイトルでなければ、意味が中途半端になってしまうからではないでしょうか。
筆者はそう感じました。
たとえば「CRAZY NIGHT」では、“狂ってる”ことの説明で終わってしまうし、
「HALLOWEEN DANCE」では、単なるパーティソングに堕してしまう。
「SO BAD」には、罪悪感と快楽を同時に内包し、
その世界に一度でも足を踏み入れた者たちを
「もう戻れない夜」に引きずり込む絶妙な心情と行動が込められている。
だからこそ「SO BAD」でなければならないと、筆者は感じます。
今回は、King Gnuの楽曲「SO BAD」を徹底考察しました。
「SO BAD」は、単なるパーティソングではありません。
そこには、正気と狂気、快楽と恐怖の
ギリギリの境界線を踏み越える快感が描かれています。
King Gnuが描いたのは、“音楽による変身”。
日常の仮面を脱ぎ捨て、感情のタガを外し、ゾンビのように踊り狂う――
それは決して堕落ではなく、自由の祝祭なのです。
――“正気なんか、失え”。
妖しき夜を、狂おしく踊れ。
聴こえてくるサウンドがあなたを包むとき、
あなたの心と身体を支配しているのは、何色の光だったでしょうか?
ブルーか、レッドか、それとも――ホワイトか。
BRAND-NEW MUSIC DAYSでは
他にもこのイベントの楽曲を考察しています。
※King Gnuの楽曲の世界観をもっと楽しみたい方は、こんな考察もあります。
こちらもぜひ、ご覧くださいね。
This website uses cookies.