2025年――今年の思い出を振り返ったとき、
あなたの中に残っている「すべて」は、どんな景色でしょうか。
そして、その景色を見ているあなたのそばには、誰がいますか?
―心に効く、音楽の処方箋―
【メンタルエイド】BRAND-NEW MUSIC DAYS
今回は、MISIAさんの楽曲「Everything」を考察します。
MISIAさんの楽曲「Everything」は、
2000年にリリースされた7作目のシングル曲です。
ノスタルジックなイントロから始まり、
ゆっくりと時を刻むように進むメロディーは、
これまで歩んできた人生の道のりを、そっと振り返らせてくれます。
苦しみや悲しみを否定するのではなく、
それらを抱えたままでも前に進んでいいのだと、
静かに、しかし確かに語りかけてくるような一曲。
時に優しく、時に力強く響く歌声は、
心の奥深くにまで届き、
聴き込むほどに“希望の温もり”を感じさせてくれます。
年の終わりにこの楽曲と向き合うとき、
「Everything」は、単なるラブソングを超え、
これまで生きてきた時間そのものを肯定してくれる存在のようにも感じられます。
今回は、MISIAさんの楽曲「Everything」の歌詞の意味を丁寧に深掘りしながら、
2025年を生きてきた私たちに、この歌が何を伝えようとしているのかを、
今年の出来事を振り返りつつ、考察していきます。
年の終わりに立ち、いまこの一年を静かに振り返っています。
まだすべてが終わったわけではありませんが、
2025年は、私たちの暮らしや価値観を
大きく揺さぶる出来事が重なった一年だったように思います。
政治の世界では、高市早苗氏が第104代内閣総理大臣に就任し、
日本にとって初めての女性首相が誕生しました。
歴史的な出来事である一方、その一歩を前に、
期待と同時に不安を抱いた人も少なくなかったのではないでしょうか。
変化の瞬間に立ち会うということは、
希望と戸惑いの両方を引き受けることなのだと、
改めて感じさせられました。
経済面では、大阪・関西万博が開催され、
未来へのビジョンが語られる一方で、
物価高騰は依然として私たちの生活に重くのしかかっています。
国民所得の伸び悩みも続き、
「豊かさとは何か」「安心して生きるとはどういうことなのか」を、
日常の中で考えさせられる場面が増えた一年でもありました。
社会に目を向けると、大雪や酷暑といった異常気象、
山林火災の多発、そしてクマの出没による痛ましい被害など、
自然の脅威を前に、人の力の小ささを思い知らされる出来事が続いています。
それでも、困難な状況の中で誰かを守ろうと手を差し伸べる人の姿が、
確かに存在していたことも、心に残っています。
スポーツの世界では、
MLBで大谷翔平選手が2年連続MVPを獲得し、
多くの人に夢や希望を届けてくれました。
また、デフリンピック競技大会の開幕は、
挑戦の舞台がより多くの人に開かれていることを教えてくれています。
勝敗を超えて、前を向く力をもらえた瞬間が、いくつもありました。
そして2025年は、阪神淡路大震災から30年、
日航123便墜落事故から40年、
戦後80年という節目の年でもあります。
昭和100年という数字が示すように、時代は大きく移り変わりました。
それでも、失われた命や受け継がれてきた思いは、
いまも私たちの足元に静かに存在しています。
喜びも、不安も、痛みも、希望も。
2025年に積み重なったすべてが、
いまこの胸の中に同時に息づいています。
その「すべて」を抱えたまま迎える年の瀬に、
MISIAさんの「Everything」は、
静かにそっと心を包んでくれるかのように響いてくるのです。
この楽曲を初めて耳にしたとき、
不思議なことに、筆者の脳裏には「ひよこ」の姿が浮かびました。
それは、かわいらしさや弱さだけを意味するものではありません。
殻を破り、まだおぼつかない足取りで、
それでも確かに自分の世界へ踏み出そうとする、小さな命。
「Everything」のメロディーは、
そんなひよこが、静かな朝の光の中で一歩ずつ歩いていく情景と重なります。
決して急がず、誰かと比べることもなく、
転びそうになりながらも、前へ、前へと進んでいく。
2025年という一年を振り返るとき、
私たち自身もまた、そのひよこのようだったのではないでしょうか。
大きな変化や不安定な状況の中で、
完璧ではないまま、それでも毎日を生き抜いてきた。
MISIAさんの歌声は、その小さな背中を後ろから押すのではなく、
そっと包み込みながら、「そのままで大丈夫」と語りかけてくるように響きます。
強くあろうとしなくていい。
迷いながらでも、立ち止まりながらでもいい。
歩みが遅くても、そこに確かな意味がある。
「Everything」が描く情景とは、完成された誰かの物語ではなく、
いまも成長の途中にいる“私たち一人ひとり”の姿なのだと感じています。
ここからは、歌詞に込められたメッセージをストーリーとして読み解きます。
※著作権の都合により、歌詞の引用は行っておりません。
「Everything」が描いているのは、
すれ違いの中で出会った“たった一人の存在”を、
それでも信じ続けようとする心の物語です。
偶然のようでいて、どこか必然にも思える出会い。
願っていた奇跡が、気づけばすぐそばにあったことへの戸惑いと喜び。
けれど、想いが深まるほど、
会えない時間や距離は、心に静かな影を落としていきます。
相手を想うがゆえに、過去や周囲の存在に心が揺れる瞬間もある。
それでも、「悲しませたくない」「ただ、こちらを見ていてほしい」
そんな切実な願いが、胸の奥から溢れてきます。
この歌に流れているのは、完璧な愛ではありません。
不安も嫉妬も、弱さも抱えたまま、
それでも「あなたが必要だ」と認める、正直な感情です。
やがて物語は、
「永遠とは何か」「未来とはどこにあるのか」という問いへと進んでいきます。
遠い先の約束ではなく、
“いま、この瞬間を一緒に生きること”こそが、
何よりも大切なのだと気づいていく。
離れていても、心がつながっていると信じたい。
再び会えたなら、痛みさえも溶けていくと願いたい。
その想いは、やがて決意へと変わります。
――愛する力を、勇気に変えて、前へ進もう。
「Everything」の歌詞が伝えているのは、誰かに依存する物語ではなく、
“誰かを想うことで、自分自身も強くなっていく”過程なのだと感じます。
そして最後に残るのは、飾らない一つの真実。
この人生の中で、
あなたと出会えたこと、その存在そのものが、
かけがえのない「すべて」だった――
そんな、静かで揺るぎない想いです。
「Everything」という言葉を直訳すれば、
「すべて」「万事」といった意味になります。
表面的には、
「あなたがすべて」「あなたがいればいい」という、
純粋な愛の言葉として受け取ることもできるでしょう。
けれど、2025年という一年を生きてきた今、
あらためてその道のりを思い返すとき、
この言葉が、少し違ったニュアンスを帯びていると感じます。
それは、「Everything」とは、喜びや幸福だけを指すのではなく、
不安、迷い、痛み、後悔――できれば忘れてしまいたい感情も含めた、
“人生のすべて”を引き受ける覚悟を示しているということ。
誰かを想うということは、楽しい瞬間だけでなく、
傷つく可能性も抱え込むことです。
それでも、「あなたがいるから進める」と言える強さ。
それは、依存ではなく、他者の存在を通して、
自分自身の人生を肯定していく姿勢なのではないでしょうか。
スラングとしての「Everything」には、
「最高」「大丈夫」「うまくいく」といった意味もあります。
このニュアンスを重ねて考えると、
この楽曲は、過去を否定することなく、
「ここまで生きてきた自分」を励まし、背中を押してくれる歌にも思えてきます。
2025年は、社会全体が揺れ動き、
答えの見えない問いに向き合い続けた一年でした。
それでも、私たちは日々を積み重ね、
誰かと出会い、別れ、悩みながら、
それぞれの「Everything」を抱えてここに立っています。
MISIAさんの「Everything」は、そんな私たちに向かって、
「そのすべてが、あなたの人生だ」と
静かに、しかし確かに肯定してくれる楽曲なのです。
この歌がそっと効いてくるのは、
心が疲れているときだと感じます。
たとえば、
先の見えない不安を抱えたまま日々を過ごしている人。
誰かとの関係の中で、自分を後回しにしてしまった人。
あるいは、
「この一年、ちゃんと生きられただろうか」と
年の終わりに自分を責めてしまいそうな人。
「Everything」は、
そうした心に対して、答えを提示するのではなく、
“そのままでいい”という居場所を差し出してくれます。
不安があってもいい。
弱さがあってもいい。
過去を引きずっていてもいい。
それらすべてを否定せず、
「それでも、あなたはここにいる」と認めてくれる。
その包容力こそが、この楽曲の持つ最大の効用です。
また、この歌は
“誰かを想うこと”を通して、
自分自身を取り戻していくプロセスを描いています。
誰かがいるから、もう一度歩こうと思える。
誰かを大切に思えるから、自分の人生も大切にできる。
それは、
2025年という揺れ動く時代を生きてきた私たちにとって、
とても現実的で、やさしい救いではないでしょうか。
心が張り詰めたとき、
どうかこの曲を、深呼吸するように聴いてみてください。
何かを変えなくても、
「今日を生きている自分」を、
少しだけ許せるようになるかもしれません。
今回は、MISIAさんの楽曲「Everything」を
2025年の総括を踏まえながら考察しました。
2025年は、
戦後80年、昭和100年という節目を迎え、
多くの記憶と向き合う一年でした。
そんな年の終わりに歌われる「Everything」は、
失われたものを数えるための歌ではなく、
私たちが確かに抱えてきた“すべて”を、
もう一度胸に戻すための歌なのだと思えてなりません。
完璧でなくてもいい。
迷いながらでも、立ち止まりながらでもいい。
それでも、あなたが大切にしてきた想いは、決して間違いではなかった――
「Everything」は、
2025年を生きた私たち一人ひとりを、
静かに肯定してくれる、年越しの処方箋です。
どうかこの曲を、
あなた自身の心にそっと手渡してみてください。
来る2026年が、
あなたにとって素晴らしい一年であることを願い、
この記事を「新たなEverythingの始まり」にしたいと思います。
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