今回の子育てちゃんねるからはお送りするのは
人として何を学ぶか~子どもの将来において一番大切なこと~
自分の未来へ向けて頑張っている子どもの姿を見守るお母さんとお父さん。
私にもその経験はありますから、その心中は落ち着かないものがありますよね…
「何かをしてあげたい」とは思っていても
「見守ることしかできない」というもどかしさもあるのではないでしょうか?
その想いが溢れるから、心中が落ち着かなくて苦しくなるんだと私は考えます。
しかし、考えてみてください。
その想いは、どこから来ていますか?
そこに踏み込んだ時に、多くの親の想いの根幹部分が勘違いの権化になっているんです…
その真意については、以降の章で詳しくお伝えしていきますので、どうぞ最後までご覧ください。
それでは始めていきましょう!
子どもを授かり、子育ての最中に親が考えることは
自分の子ども時代を振り返り
「自分が体験した悔しい思いなどを子どもにはさせたくない」ということ。
現世を見てみると、昔と比べて確かに物は豊かになっていて
何かをしようと思えば、手の届く所に物があるといった感じではないでしょうか。
そうなると、親である大人の考え方は「人よりも物」の方に向きがちになります。
とかくこの世において何かを得るためには道具が必要。
目指すものが高い位置にあればあるほどたくさんの道具が必要になる。
その道具の1つとしてお金があるんですが
現世をみると「お金だけで事を済ませてしまう」ということが
あまりに多過ぎやしませんか?
ある意味「歪んだ社会構造」がその要因ではありますが、「目指すもののためにはどれだけたくさんの道具を使ってでも成し遂げたい」という思いの先には、どの親にも心の奥には「将来の経済的安定」が見え隠れしているように私は感じます。
「それ以外に何があるんだ!」 「私たちはこのことで苦労したんだから、この子にも分からせておかないと!」 「お金があれば何でもできるじゃない。選択肢も増えるし一番大事なことだわ」
こんな風にいう人が多いです。
将来の経済的安定が、子どもが人として豊かになるためのマスト
という考え方でしょう。
時に感情をむき出しにして、エキセントリックにいう人もいて
私も本当に困ってしまうんです…
気持ちは分かるんです。私も子育てしてきましたから。
昭和初期の両親から教えられていたことが頭にこびりついて離れず
子育て開始当初は、心の中で自問自答を繰り返しながらでした。
しかしながら、人間として一番大切なものは何なのかを考えた時
大きな矛盾に気づいたことで今、この考え方に至っているんです。
その矛盾が「将来の経済的安定のために頑張ること」と「人としての豊かさを求めること」
この矛盾に気づくかどうかで、子どもの未来は大きく変わってしまいます。
誰もが信じて疑わないフレーズ。
将来の経済的安定が、子どもが人として豊かになるためのマスト
果たして本当にそうなのでしょうか?
その考え方の代表的なものである「お金があれば何でもできる」について
次の章でもう少し掘り下げて考えていきます。
どうぞ続きをご覧ください。
お金があれば何でもできる。
多くの人がそう言いますし、私の周りにもそういった考え方の人はいますが
本当に何でもできるようになるために必要なものはお金ではありません。
私のこれまでの経験でいえばたった1つ。
健康 だけです。
「燃える闘魂」のキャッチフレーズで知られるプロレスラー
アントニオ猪木さんがテレビや試合後のマイクパフォーマンスなどでよく言っておられる
「元気があれば何でもできる」は「本当のこと」です。
そして、この元気の中には「身体」のみならず「心の元気」も含まれています。
心と身体が元気であって初めて健康なのであり、健康であれば勉強や仕事、趣味などでの社会交流もできますし、皆さんのいう「お金を稼ぐ」こともできるので、将来の経済的安定へとつながっていくのではないでしょうか。
とお伝えしたら
「そんなことは当たり前。人よりもいい大学に入って、いい会社に就職することが大事」 「そのために今、一所懸命勉強しておかないと後で必ず苦労する」
などの意見が、多少被せ気味に飛んできます…
健康なのが当たり前…
はっきり言いますが
その「当たり前」というものが一番難しいんです。
当たり前のことを当たり前にすることがどれだけ難しいことなのか?
親である大人が一番知っているはずですよね。
言葉にすれば簡単であっても、行動に移せばその難易度は計り知れません。
そのことに重さを感じず、他人から言われると目くじらを立てて食ってかかる…
ある意味、親自体が1人の人間として子どもと向き合えていないように私は感じます。
自己責任の世の中であっても、自分だけではどうしようもない部分にまで
「当たり前」と称して責任を負わせるなんて論外です。
何よりも、学校や塾で学ぶことが社会においてそれほど重要なことではないことに
令和の世になっても気づけない親の方に問題があると私は考えます。
では、子どもの将来において何が一番大切なのか?
そのことについて、次の章でお伝えします。
どうぞ続きをご覧ください。
ここで、親である大人の人に訊きたいことが2つあります。
1つずつ一緒に考えていきましょう。
皆さんにおいて「子どもたちが一所懸命勉強するもの」と考えられるのは
これらではないですか?
これらを頑張ることが
子どもたちにとって「将来の経済的安定」をもたらすと考えているとすれば
それは違います。
どうしてか?
これらのことからは
人として必要なものは何も教わらないからです。
学校での勉強は、文部科学省の「学習指導要領」に起因しているもので
「知識として教えておくべきことを教師が伝える」ものです。
塾や家庭教師を招いての勉強、講習は
「目指す高校や大学に受かるためのテクニックを教える」ものであり
模擬試験は「自分の実力がどの程度なのかを可視化する」もの。
知識、テクニック、実力の可視化という
「道具」を兼ね備えるために
「一所懸命勉強する」ということになりますよね。
しかしながら、どれだけ知識を積み重ねたとしても、あらゆる道具を揃えたとしても、子どもがこれまでに体験し経験としてきた【人として何を学んできたか】の量が決定的に少ないと、そんなものは何の意味も持ちません。
この【人として何を学んできたか】の部分を言葉に表すと【知恵】ということになります。
自分以外の人がどんな人で、どんなことが好きで嫌いで、何を考え、どう行動するのか。
それらを学ぶことの方が先であり、何よりも大切なのではないですか?
このことは決して
「他人の顔色を見ながらものを言い、行動する」ことではありません。
様々な人との関わりやふれあいの中で
「自分はどう思うのか」「自分はどうしたいのか」を考え
それを言動に移すことが大切だということなんです。
自分と考え方が全く同じ人なんていませんし、全く違う人もいないと私は考えます。
目指すゴール地点が同じならば、そこまでに行き着く方法が違うだけです。
その方法の善し悪しについては
「大人が判断するのではなくて、子ども自身が判断すること」が重要になる訳であり
そのために「知識よりも知恵」が大事になって来るんです。
大人であっても「自ら気づくこと」がなければ正そうとはしませんよね。
このことは、勉強を怠ると将来必ず苦労するにおいても同じことが言えます。
もちろん最低限度の知識は必要なのかもしれませんが
知識を得たとして、それを活用するためには「知恵」が必要になります。
お父さんやお母さん、おじいちゃんやおばあちゃん、保育所(保育園)・幼稚園・小学校などのお友だちや先生といった人たちとの関わりの中で、子どもの成長過程で最も身近に得られることは「知恵」からの方が圧倒的に多いです。その方が子どもの成長の理に適っています。
どうしてか?
身近な人たちとの関わりの中で
学校や教科書では決して教えてくれないことを
人として学ぶからです。
知識とは「頭の中に暗記し続けることの繰り返し」。
知恵とは「頭の中にある知識を言動にするための反復」だと私は考えます。
得るための方法は、どちらも同じ「見る・聴く・知る」であっても
人として生きるためには何を真っ先に得た方がいいのかは明白なのではないでしょうか?
現世において、社会に出て就職し仕事をするにしてもすぐに辞めていく人たち。
その理由として「人間関係」がトップに来るような時代だということを考えると
「人として何を学ぶか」に重きが置かれた方がいいというのは分かりますよね。
今回は
人として何を学ぶか~子どもの将来において一番大切なこと~
と題して、いくつかの章に分けてお伝えしました。
様々な意見があるでしょう。
現世を考えれば、お金が何より大事だと思ってしまうのは仕方のないことです…
しかしながら、人間の根幹部分においてまでお金という考えを持ち出すことは
私は、はっきりと違うといえます。
いつか大人として成長し、離れていくことになる子どもたちへ
社会の厳しさ、お金の大切さ、経済的安定を教えることも大切ですが
それよりも
ということの方に重きをおいて
「頑張ってもいいけど、心と身体に無理はしないでね」
といったことを言動にして伝えることの方が何より一番大切だと私は考えます。
子どもたちが人として成長していくために大切なことは
「知識をたくさん積み重ねて、人を蹴落として勝つこと」ではなく
「多くの人との関わりから知恵を得て、これまでの自分に克つこと」
でなければなりません。
そのことを押さえておいて今、未来へ向けて進んでいる子どもたちへ
心からのエールを贈ってあげてください。