【メンタルエイド】BRAND-NEW MUSIC DAYS
今回あなたの心に届けたい楽曲は
米津玄師 さんの 感電 です。
歌詞の意味を考察し、この歌が届けたい想いの本質をお伝えします。
日本のシンガーソングライターであり
音楽プロデューサーでもある米津玄師さんによって
2020年にTBS系刑事ドラマ「MIU404」の主題歌として発表されたこの曲。
冒頭に高らかに鳴るホーンセッションは
「昭和の刑事ドラマ」をイメージしたものとして知られています。
全体を通してリズミカルであり、コミカルさや華やかさが感じられる中
随所に刹那を感じさせるキャッチーな楽曲だと筆者は感じます。
さて、歌詞考察に入ります。
全体を通してリズミカルに現世を鋭く突いた言葉が散りばめられていますが、中でもタイトルの「感電」の意味するところをしっかりと表している部分を深掘りしていきたいと考えます。
感電の歌詞の中で深掘りする要素は2つ
1つずつ見ていきましょう。
1番と2番のBメロ部分を見ていきます。
兄弟よ如何かしよう もう何も考えない様
Source: https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/kenshi-yonezu/kanden/
銀河系の外れへと さようなら
真実も 道徳も 動作しないイカれた夜でも
僕ら手を叩いて笑い合う
誰にも知られないまま
よう相棒 もう一丁 漫画みたいな喧嘩しようよ
Source: https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/kenshi-yonezu/kanden/
酒落になんないくらいのやつを お試しで
正論と 暴論の 分類さえ出来やしない街を
抜け出して互いに笑い合う
目指すのは メロウなエンディング
真実も道徳も動作しないイカれた夜
正論も暴論も分類さえ出来やしない街
この部分が「現世」を表しているのは分かるでしょう。
銀河系の外れにまで意識を飛ばす程の現実逃避
漫画で描かれているようなシャレにならない激しさの喧嘩
人は「有り得ない」ことを目の当たりにすると驚きを通り越して笑ってしまうものです。
だとすれば、有り得ないくらいに崩された社会から
有り得ないくらいの安心と笑顔に満ちた社会を投影する2人の人情が
「笑い合う」につながっているのではないでしょうか。
この2つの歌詞群からは、大きく歪み澱んだ社会を悲観することなく、むしろ「悲観し尽くしてから後は楽観して笑うしかなくなるでしょう」くらいの勢いで、前を向いて走り出す2人の姿が見て取れると筆者は考えます。
そしてさらに、ブリッジ部分。
肺に睡蓮 遠くのサイレン
Source: https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/kenshi-yonezu/kanden/
響き合う境界線
愛し合う様に 喧嘩しようぜ
遺る瀬無さ引っさげて
肺に睡蓮とは何なのか?
肺に睡蓮の花が咲く病もあるのですが
ここでは「呼吸をするかのようにナチュラルで清らかな心」と解釈します。
遠くのサイレン、響き合う境界線とは
相手が心の中で発する「SOS」を感じ取り「大丈夫!任せておけ」と伝えているイメージ。
自己満足や私利私欲を捨て、自然体にピュアな気持ちでお互いをあるがまま受け入れる。
そうすれば、何処にいても大切な人を窮地から救うことができる力が生まれるのだ。
愛し合うように喧嘩するとは
「信じ合えるからこそ成し得る感情のキャッチボール」だと筆者は考えます。
この世に存在する様々な不条理は、どんな世になっても存在してしまうもの…
だから遣る瀬無い思いが募っていくのでしょう。
しかしながら、どうすればその不条理を撃ち破ることができるかは誰もが分かっているはず。
それができないのは、何らかのしがらみを抱えているから。
そのしがらみすらも一緒に背負い、互いに笑顔で確かな歩みを続けることで
社会はきっと浄化され、光が溢れる未来へとつながっていく。
お互いに心の中にある「ゆるぎない信頼」が
そんな世の中であっても笑い合うことができる強さになっている。
この部分においても、大きく歪み澱んだ社会の中で笑い合えるのはなぜかが分かることでしょう。
そして、このことが次の深掘りポイントである
何もしていないのに思いが通じるのはなぜか へとつながっていきます。
その真意をお伝えしますね。
私たちがこの歌を聴いている中で
一番印象に残るのは、この部分ではないでしょうか。
たった一瞬の このきらめきを
食べ尽くそう二人で くたばるまで
そして幸運を 僕らに祈りを
まだ行こう 誰も追いつけないくらいのスピードで
Source: https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/kenshi-yonezu/kanden/
それは心臓を刹那に揺らすもの
追いかけた途端に見失っちゃうの
きっと永遠がどっかにあるんだと
明後日を探し回るのも 悪くはないでしょう
稲妻の様に生きていたいだけ
お前はどうしたい? 返事はいらない
Source: https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/kenshi-yonezu/kanden/
大サビの部分です。
サビの部分については、こういったコメントがYahoo!などに寄せられていました。
この方の疑問に答えられるかどうかは計り知れませんが
筆者の独自の考察から、ほんの少しでも答えが導かれるようであれば幸いです。
筆者の考察、進めて行きますね。
たった一瞬のきらめきが「稲妻」であり
追いかけた途端に見失っちゃうものだからこそ
次のきらめきを待つ心臓を刹那に揺らすもの・・・
稲妻は闇を切り裂く閃光であり、その道筋の先には光の根源がある。
その根源を天使と悪魔のどちらが握っているのか。
それは幸運と祈りの中で導き出すしか術はないが
2人が一瞬のきらめきの中で取る行動には寸分の狂いもない。
2人の心にある「ゆるぎない信頼」が、たとえ明後日の方向に進んだとしても
永遠に光が満ち溢れる未来へ進む正しい道へと誘われていくことだろう。
稲妻が走るように狙いを定めてまっしぐらに
愛する人や大切な人へ幸せと笑顔を届けたいという気持ちは「お互い様」。
だから「お前はどうしたい?」なんて聞くのは「聞くだけ野暮だったね」
歌詞の意味としては、こんな感じになるでしょう。
ここまでお伝えして分かるように、何もしていないのに思いが通じるのは「ゆるぎない信頼があるから」ということになるのですが、そのことがタイトルにある「感電」と、どのようにつながっているのか。
最後の章「総合考察」で真意をお伝えします。
「感電」というのは、自分の発した電流が相手の体内に流れることを意味していて、単的にいえば「電気の流れを感じること」にはなるのですが、ある意味においては「波長が合う」という言葉があるように「自分の発信する電波を感じ取ること」という意味にも取れますよね。
その電波を非科学的に「テレパシー」、古い言い回しで「あ・うん」と考えることで、この楽曲の世界観が見えてくると筆者は考えます。
お互いの想いを言葉にしなくても一瞬の稲妻のような素早さで感じ取り、別々の動きをする中であっても目的は同じ。という関係性。(例えていうならこの方々の関係性が「感電」の世界観に近いと考えられます)
そういった関係性を持ち合うことができる人の存在は
現世においての閉塞感を一気に打破する基を為すのではないですか?
「大切な人を護るために、お互いの想いを共有し、愛を確かめ合うこと」へと通じていく。
これは男女の関係のみならず、社会全体のコミュニケーション力を飛躍的に進化させるものではないでしょうか。そしてそのことこそが、現世の日本が成し遂げねばならない「キーワード」となると筆者は考えます。
「感電」とは「私たちの近未来への主たる指針となる関係性」を表現した楽曲であると考えた時、その想いの本質は「テレパシーをも超えた「あ・うん」の呼吸」であるとした筆者の真意がここにあるのです。
今回は
米津玄師 さんの 感電 について
歌詞の意味を考察し、この歌が伝えたい想いの本質をお伝えしました。
BRAND-NEW MUSIC DAYSでは
この他にもたくさんの楽曲をご紹介していますので
そちらの方もどうぞご覧くださいね。