――“夢見がちな烏”は、なぜ光を目指すのか。
あなたは、自分自身に負けそうになったことがありますか?
理想を掲げながらも、現実とのギャップに打ちのめされた瞬間。
夢を信じたいのに、不安や孤独に押し潰されそうになった夜。
それでも、人は前を向こうとする。
米津玄師の「烏」は、
そんな“人間の弱さ”を抱えながら、
それでも空を切り裂くように光へ向かって進もうとする楽曲です。
―心に効く、音楽の処方箋―
【メンタルエイド】BRAND-NEW MUSIC DAYS
今回は、米津玄師の楽曲「烏」を考察します。
日本の男性シンガーソングライター、音楽家・米津玄師の楽曲「烏」は、
2026年6月11日に開幕する「FIFAワールドカップ2026」の
NHK版テーマソングです。
疾走感のあるサウンド。
胸の奥を貫いてくるような説得力のある歌声。
聴き込むほどに、自らの人生を思い返してしまう――
そんな不思議な力を持った楽曲だと感じます。
スポーツのテーマソングと聞くと、
多くの人は“勝利”や“熱狂”をイメージするでしょう。
しかし、「烏」が描いているのは、単なる勝敗ではありません。
夢を抱き、現実に打ちのめされ、それでもなお歩みを止めない人間の姿。
“誰かに勝つ”のではなく、“己に克つ”こと。
だからこそ、この曲はサッカーを知らない人の胸にも深く響くのだと思います。
この記事では、楽曲の情景イメージや歌詞の意味などから、
楽曲が今を生きる私たちに何を伝えようとしているのか。
そのメッセージを【メンタルエイド】の視点で読み解きます。
筆者が「烏」を初めて聴いたとき、
冒頭の一音が鳴った瞬間に脳裏へ浮かんだ情景――
それは、“樹氷”でした。
凍えるような寒さと、吹き荒れる強風によって創り上げられた白銀の樹氷。
それは、澄み渡る青空の下、
眩しい太陽の光を浴びながら、少しずつ融けていきます。
やがて氷が消えたあとに現れるのは、“元の木々”。
もし、この氷を現世に存在する邪さや不条理だとするならば、青空は夢や希望。
そして太陽は、自分を支え、見守ってくれる人々の想いなのかもしれません。
そう考えたとき、氷が融けたあとに姿を現す木々とは、
“これから芽吹こうとする心”なのではないでしょうか。
傷つき、凍りつき、それでも光を受けて少しずつ本来の姿へ戻っていく。
その姿を思い描いた瞬間、筆者の脳裏にはもう一つのイメージが浮かびました。
――何度倒れても、再び起き上がる「起き上がりこぼし」の人形です。
それは、“負けない強さ”ではなく、
“倒れても戻ろうとする意志”なのかもしれません。
「烏」という楽曲は、ただ勝利を歌う曲ではなく、
何度傷ついてもなお立ち上がろうとする“人間の再生”そのものを
描いているように感じました。
「烏」の歌詞で描かれているのは、
一人の人間が人生を振り返りながら、
自分が歩んできた道を見つめ直す物語です。
主人公は、子どものころに憧れた漫画の世界を思い出します。
そこでは、誰かを守り、誰かを救うことが何より尊いことでした。
だからこそ、自分もそうありたいと願ったのでしょう。
しかし現実は、思い描いたようにはいきません。
未熟さゆえに大きなことを語り、
傷つき、傷つけ、理想と現実の違いを知る。
歌詞の中で登場する“滴った血の黒さ”という記憶は、
その痛みの象徴なのかもしれません。
やがて主人公は大人になります。
星の名前を覚え、世界を知り、誰にも話せない秘密を抱えるようになる。
夢を強く願うほど不安も大きくなり、眠ることさえ怖くなる。
そんな姿は、未来へ進もうともがきながらも、
自分の弱さと向き合い続ける私たちそのものではないでしょうか。
さらに後半では、時間が大きく流れていきます。
古いカセットテープ。
携帯電話の中に残された写真。
かつて同じ時代を生きた人々の変化や別れ。
夢を追った仲間、人生を歩み始めた友人、
そして言葉を交わせないまま去っていった大切な人。
主人公は、それらを振り返りながら、
自らの人生に問いを投げかけます。
「そこからは何が見える?」
この問いは、亡き人へ向けた言葉であると同時に、
自分自身へ向けた問いでもあるのでしょう。
そして物語は、意外な気づきへ辿り着きます。
子どものころ、漫画から教わったのは「誰かのために生きること」。
けれど主人公は、
自分が生まれた理由まで誰かのためだったわけではないと悟ります。
誰かを大切にすることと、自分自身を生きることは本来別のもの。
だからこそ、まず自分の人生を生きなければならない。
そう気づいたとき、主人公は再び歩き始めます。
誰の声も届かない場所へ向かい、
過去の思い出を胸にしまいながら、夢見がちな一羽の烏となって。
光を受けて続く道。
そして埃まみれの路地裏。
そのどちらも自分の人生だったことを受け入れながら、
再びその道を辿り直していくのです。
それは成功者の物語ではありません。
失敗も後悔も抱えたまま、
それでも人生を諦めない人間の再生の物語なのではないでしょうか。
そして最後に主人公が辿り直そうとするのは、
光だけが差し込む理想の道ではなく、埃まみれの現実が続く路地裏。
理想を抱きながらも、
傷つき、迷い、遠回りを重ねてきた現実。
そのすべてを自分の人生として受け入れ、
もう一度前を向いて歩き出すこと。
「烏」が描いているのは、
そんな人間の成熟と再生の物語なのだと筆者は感じます。
「烏」というタイトルから、
多くの人が連想するのは“八咫烏(やたがらす)”でしょう。
サッカー日本代表のエンブレムにも描かれている存在であり、
“導きの神”や“太陽の化身”として知られる神聖な存在です。
さらに、八咫烏の三本の足は「天・地・人」を表すとも言われています。
つまり、“世界を光へ導く存在”。
この楽曲もまた、人間が迷いや苦しみを抱えながら、
それでも“輝き”へ向かって進もうとする姿を描いていることから、
八咫烏との共通性は非常に強いと感じます。
しかし、もし本当に神聖な存在を表したいだけなら、
タイトルは「八咫烏」でも良かったはずです。
それでも、あえて「烏」とした。
この違いに、米津玄師さんの視点があるのではないでしょうか。
サッカー日本代表の象徴として語られる“八咫烏”。
世界の頂点を目指しながらも、
日本はいまだ“絶対的強者”にはなりきれていません。
あと一歩届かない。
理想へ辿り着きそうで、辿り着けない。
だからこそ、この楽曲が「八咫烏」ではなく、
あえて「烏」と名付けられていることに意味があるように感じました。
それは、“まだ未完成であること”の象徴なのではないでしょうか。
そして、この構図はサッカーだけの話ではありません。
現世社会に生きる私たち人間もまた、
理想を掲げながら、現実との狭間で揺れ続けています。
夢を語りながら不安に怯え、
誰かを救いたいと願いながら、自分自身の弱さに負けそうになる。
つまり私たちは皆、“八咫烏になりきれない烏”なのです。
それでもなお、空を見上げ、光を目指そうとする。
そして、その先にある“輝き”こそが、
八咫烏の象徴する“太陽”なのではないでしょうか。
だからこそ、「烏」というタイトルには、
“未熟なままでも前へ進もうとする人間賛歌”が込められているように感じました。
「烏」は、
“自分自身に失望している人”の心に深く響く楽曲だと感じます。
思い通りにいかなかった経験。
夢破れた記憶。
誰にも言えない秘密。
大人になるほど増えていく、不安や孤独。
この楽曲は、そんな“弱さ”を否定しません。
むしろ、「それでも進め」と語りかけてくる。
特に印象的なのは、
この曲が“完璧なヒーロー”を描いていないことです。
傷だらけで、未熟で、怖がりながら、それでも歩いていく。
だからこそ、この曲には現実を生きる人間への説得力がある。
心が折れそうなとき。
周囲の声に飲み込まれそうなとき。
自分を信じられなくなったとき。
この曲は、“他人ではなく、自分自身の光を見ろ”と
そっと静かに背中を押してくれるのです。
まるで、心の処方箋のように――
今回は、米津玄師の楽曲「烏」を考察しました。
米津玄師の「烏」は、
己に克つことこそが“輝き(太陽)”へ至る道標なのだ
と教えてくれる楽曲でした。
人は誰しも未熟です。
理想通りには生きられない。
それでも、迷いながら進んでいくしかない。
だからこそ、尊い。
完璧ではない“烏”だからこそ、光を目指す姿に意味がある。
もし今、あなたが人生に迷っているなら。
もし、自分の弱さに押し潰されそうなら。
どうかこの曲を聴いてみてください。
「烏」は、傷つきながらも未来を信じようとする
“あなた自身”を肯定してくれる歌なのだから――
BRAND-NEW MUSIC DAYSでは
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あなたの“心のリアル”に寄り添う一曲が、きっと見つかるはずです。
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