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劇場版「鬼滅の刃」の主題歌のタイトルは、どうして「ほむら」と読む?確かな理由をお伝えします!

よもやま話
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はじめに

2020年は劇場版「鬼滅の刃」がこれまでの歴史を塗り替えるほどの大ヒットとなりましたね。

アニメファンのみならず、ちいさなお子さんから若者、中高年層や「孫可愛い」世代のお年寄りの一部にまで「鬼滅の刃」は知られているほどですからすごいですよね。

アニメのストーリー性も然ることながら、作品全体を包み込むようなスケールの「主題歌」にも注目が集まり、今や地上波やYouTube、SNSなどでも聴かない日はない「炎(ほむら)」。

Lisaさんが感情いっぱいに歌い上げることで、情景が瞬く間に目に浮かぶくらいの名曲ですけど、ここであなたに考えてもらいたいことがあります。

それは何か。

タイトルの「炎」は、なぜ「ほのお」ではなく「ほむら」と読ませているの?ということです。

「ほのお」も「ほむら」も同じ「炎」と書くんでしょう?意味合い的に同じなのであれば「ほのお」でもいいんじゃないの?わざわざ「ほむら」なんて言わなくたって…とあなたも考えるでしょう。私も今まではそうでした。

「ほのお」は口語表現、「ほむら」は文語表現ということはあっても、国語辞典などで調べてみても「ほのお(ほむら)」と説明されているものが大半です。

しかしながら「ほのお」と「ほむら」には明らかな違いがあって、「この楽曲やアニメストーリー全体を考えると「ほのお」ではなく「ほむら」でなければ成立しない」んです。

なぜ、そう言えるのか?

今回は「現代に息づく古い言葉」について徹底分析した内容をふまえ、あなたが抱く「なぜ?なに?」について分かりやすくお伝えしますので、最後までご覧ください。

作品のスケールからすれば「ほのお」では小さすぎる?「ほむら」に隠された真意とは

「ほのお」と「ほむら」。漢字表記はどちらも「炎」ですけど、その由来は違います。

「ほのお」は文語では「ほのほ」となり、漢字にすると「火の穂」となります。

マッチなどで起こされた火を新聞紙などで大きくして、薪に放った状態をイメージしてみると解りやすくなります。燃えている火の先端部分が「穂」のように見えることから「火の穂」のことを「ほのお」と呼ぶようになったとされる説が有力です。

一方「ほむら」は漢字にすると「焔」とも表記され、「火の群れ(火群)」を意味します。ですから表現からすると「ほのお」は「燃えている」であり、「ほむら」は「燃え盛っている」ということになるんです。

このことを「劇場版・鬼滅の刃」のあらすじや映画全体の様子に当てはめると如何でしょう?

炎柱となる煉獄杏寿郎(れんごく・きょうじゅろう)」が鬼殺隊メンバーとして炭次郎らと合流し、共に力を合わせて戦いを繰り広げる中、初めは瞳孔が開ききり、どことなく常軌を逸している不穏さを感じさせているけど、次第に少なからず表情が和らいで、真の煉獄の心が垣間見えるようになっていく…

(中略)戦いが終わり、命を落とした煉獄の思いをつなぐ決意を固め、炭次郎らは新たな戦いに挑み続けていく…

映画の中で繰り広げられる様々な場面において、決してメインばりの登場はしないにもかかわらず、その存在感を映画全体に知らしめる煉獄杏寿郎と炭次郎らの重なり合う「想い」。

そして仲間への思いやり、やさしさとぬくもり、仲間を失った悲しみから湧き立つ仲間を奪われた怒りなどのあらゆる感情を、劇場で観ている人々も一緒に受け留め、その感情を一気に解き放つことによって物語の世界観をMAXに表現させる。

このことをエンドロールとともに昇華させるには「ほのお」と表現するにはあまりにも規模が小さすぎるのではないでしょうか。

登場人物それぞれの「想い」を「ほのお」とし、それを重ね合わせて燃え盛る「群れ」と為し、強い信念の下での「うねり」に変えることで「今、人間にとって一番必要なものが何なのか」を私たちの心にダイレクトに伝えていくことができる。

Lisaさんが歌う主題歌が「ほむら」であることの「真意」はここにあると私は考えます。

まとめ

今回は「劇場版:鬼滅の刃の主題歌が「ほむら」である確かな理由」をお伝えしました。

あくまでも私見ではありますけど、物事を突き詰めて考えたり違った視点で捉えてみたりすると、ものすごく視野の幅が拡がって、新たな魅力を発見で着たりして愉しいですよね。

そしてこのことから「日本語の奥深さ」もあらためて感じることができるのではないでしょうか。

アニメでありながらも人間味溢れる映画に出会えたことに感謝したいものですよね。

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